九
伯林へ電報を打ち、ほかに報せが入ってこないかと気を揉んでいた。遙か彼方の地での出来事が伝わるには早くて十日から二週間は掛かるのだから、俺が巴里を動き回ってもマダム・ド・デュフォールから教えられた以上の情報を手にできる可能性はないだろう。宮廷にもたらされた電報の内容が同じように、アメリカ大陸にいる新聞や雑誌の記者が別便で伝えるとしても、早刷りで出版をするだろうか。今日は万博の褒章授与式だ。悪い報せを急ぐかどうかは、道義上のほかに受けが良いかどうかの踏ん切りがある。
外に出てみようかと迷い、悩んでいるうちに午後四時過ぎた。そんな明るい時間帯に、ゴルツ大使たちが大使館に戻ってきた。
「お早いお帰りでしたね」
出迎えると、大使は難しい顔をしている。
「一息ついたら、着替えてまた出掛ける。
アレティン大尉は、今日のところは本国から連絡が来ないか、待っていてくれ。私は大佐とテュイルリー宮に行く」
「了承しました」
大使は一時休みと口に出したものの、あれこれ考えているらしく、時々何か呟いている。
戦いの果てに皇帝マクシミリアンが捕らえられ、軍事裁判の結果死刑の判決が下り、共和派の政治家を支援していたアメリカ合衆国の大統領、いち早くその判決を知ったヨーロッパの政治家や知識人たちが助命嘆願の説得や書簡を送っていたそうだ。世界中から非難を受けて孤立、或いは新たな争いの火種になると、延期なり、再考なり、促されるかとマクシミリアンならずとも期待するだろう。所詮はナポレオン3世から帝冠を与えられたハプスブルクの大公だ、既に公人として無力となっている、欧州に送り返してもよかった。しかし、メキシコで生まれ育った共和派の政治家は他国から来た者への不信と、自分の国は自分たちの手で治めていきたいと強い意志があったとしか評しえない。
メキシコ皇帝マクシミリアンは銃殺された。
大使は仕事柄、フランス皇帝や外務担当者と会談を行う。大使は弔意を示し、あちらも遺憾とか、痛ましいと返すのだろう。そして、去年の普墺戦争、北ドイツ連邦の成立やルクセンブルク危機でプロイセンの動向に振り回され続けたので、フランスがアメリカ大陸に援助する余裕がなかった、それはオーストリアも同様だったろうと、美辞麗句を折りこみながら、嫌味たらしく訴えてくるに決まっている。
大使は大使で、あちこちに手を出そうとするからかえって何も手に入れられない破目になるのですと、歴史上の故事を混ぜながら優しく答えていく。
王侯や外交官は直情的では務まらない。大使の頭の中では、様々な仮定の問答が繰り返されている。
俺は俺の仕事に集中していよう。
ナポレオン3世はこの所、失策続きだ。巴里全体は博覧会で景気がいい。博覧会でフランスの産業が活気づく一助にもなる。経済的に上向きで国が富めば余裕が出るのだからまだいい。クレティ・モビリエ一つの経営が傾くだけで、金融界にとって大きな打撃にならないのなら、好景気が支えてくれよう。
外交面でフランスが不利になっているニュースが多いのと、クレティ・モビリエやそれに連なる融資先が今後どうなるで、国民の支持が変化していっても、それは自然の流れ。
君主だろうと、選挙で当選した人民の代表であろうと、少数が多数を指導、支配する体制はどこでも同じだ。人間が信頼し、期待する指導者像は明るく、成功を約束してくれる人物だ。そんな希望があるうちは、欠点も愛敬と捉えてくれる。しかし、失敗が目立つようになれば、長所は見えなくなる。
運も大切だ。自身の力の及ばぬ部分にも恵まれれば、神からも祝福されていると喜ばれる。
その意味で、ナポレオン3世は収拾に苦労する。これから挽回策がないかと奔走するかも知れない。
同じく、オーストリアのフランツ・ヨーゼフも昨年の敗戦と、今回の実弟の処刑で失策と不運を国民に印象付けた。
プロイセンの所為にすれば、それは余計プロイセンの強運を際立たせる。
印象操作は諸刃の剣だ。運命の女神には媚びて損はない。




