二
リンデンバウム伯爵家の縁者に会うと、アンドレーアスは緊張していたのだが、ひとたび店の中に踏み込むと、それぞれの年代の見目麗しい女性陣が四人現れて、すぐに気分がほぐれたようだった。通いのお針子がにこにこと愛想よく出迎えてくれ、雰囲気が良かった。
挨拶と紹介をして、歓談を続けたかったが、俺は仕事に向かわなければならない時刻となり、アンドレーアスを残して『ティユル』を出た。ゴルツ大使との密談での付き添いを命じられていて、断れない任務であったからこれは仕方がない。それにアンドレーアスの性格や、挨拶後の口調からして、ご婦人たちに気圧されていない。俺の話は聞いているからベルナデットにちょっかいは出さないだろうと踏んで、心置きなく商売方面の話をすればいいと、大使館に戻った。報告は後日、本人たちから聞けばいい。
次の日の夜、食事を共にする約束をしていたので、アンドレーアスと店で待ち合わせた。乾杯すると、すぐに面白い発見があったと言ってきた。
「あんたは『ティユル』の経理をしている男に会ったか?」
そう言えばルイーズからそんな話を聞かされていたが、会っていない。
「いいや」
アンドレーアスは辺りを見回し、俺に顔を寄せ、小さな声で、さも重大事だといわんばかりに言った。
「店の収支の話で、その男が帳簿を持って出てきたんだ。通いで、その店でただ一人の男性というから、マダムたちの誰かに気があるのか、或いは愛人なのかと、観察してみようと好奇心が湧いた」
心底どうでもいい。一応聞いてやる。
「あの男はシュヴァリエ・デオンだ」
数瞬、意味を考えた。アンドレーアスは俺がどんな反応をするかを面白がっているのがすぐ判る。
「前世紀か、ルイ15世の頃の女装の間諜。『ティユル』の情報を他所の店に流しているのか」
「違う違う、仕事振りは至って真面目で、マダムの信頼に応えているよ。
あんたの発想は堅苦しい」
「お前の例えが変なんだ。そのご仁、ドレスやスカート着用で仕事を仕入れや経理をしているのか?」
「真逆。結婚して妻や子どもがいるが、なんていうのか、婦人服が好き。できれば着飾りたいと思っている。ただそれを叶えるのは難しそうだから、婦人服を扱う店で働いているって様子だ」
「それこそ革命前の貴族みたいに、ひらひらしたレースの付いたシャツや鮮やかな色のジレや金糸の腰帯をしてみたいと?」
「多分ね。だが、男性用の服でそんな恰好をするのは、そんな題材の芝居の俳優か、道化ぐらいだろう?」
女性ばかりの店にはうってつけの経理係のような気がする。経営者家族に邪まな目を向けず、仕事をこなし、婦人服の意匠に理解がある。それはそれで適材適所でめでたいことだ。
今度はきちんとした商売上の話題に移った。
「いきなり大きな仕事をこなすのには、女性ばかりではきついかも知れない。だが、出資をするのは悪くなさそうだ。センスも腕もいいのに、男運が悪い女系家族の面倒を見てあげなきゃと、上流婦人の嫉妬をうまく免れて、一定の顧客がいて、そこそこ評判がいい。ボン・マルシェに既製服の納入をして客層を拡げようとしているし、流行に敏感でいようと研究熱心だ。
まずはミシンを取り入れてみて、効率よく店が回り、もっと人を使うのに慣れてくれるのなら、規模を大きくもできるだろう」
「店を大きくする気があるのかは、姉のマリー゠アンヌに尋ねてみなくてはならないだろう。あまり野心はないかも知れない」
「安定が最善と限らないのだが、こればかりは当人たちの気持ち次第だからな。性急には勧めない。提案にどんな顔色で返事してくるかだ」
家族で経営する店が様変わりして欲しくないのは俺の我が儘な希望。時間は進み、マリー゠フランソワーズやマリー゠アンヌは、ベルナデットやルイーズが店を続けてくれるのか、それとも畳むなり、他人に譲るなり考える時期が来るのを予想しているのかも知れない。その時に備えて、自分たちで切り盛りするか、ほかの者を仕事や資金の調達に入れていくか、アンドレーアスが一つの可能性を示すことになる。
できれば、ラ・ヴァリエール家にとって栄える方向に選択して欲しい。