二十
翌日、また曇だ。今度はグランドホテルにアグラーヤを迎えに行き、『ティユル』に連れていく、逆の行程だ。ホテルの従業員に訪問を伝えると、アグラーヤが待ちかねたようにすぐに姿を現した。
子どもたちといる時とは違い、明るい色調の装いでまとめている。汚されたり、屈みこんだりの気遣いがないし、個人的な用事での外出だから、好きな恰好をしているのだろう。若草色のごく薄い色合いのドレスに濃い緑の上着と、若草色と緑のリボンの飾りの付いた帽子に、アクセサリーはエメラルドのペンダント一つ。
「家庭教師を始めてから、新しく服を誂える機会が少なくて、変じゃないかと緊張してしまうわ」
頭から爪先までアグラーヤをじっくりと観察した。
「訪問用には充分立派な姿に見えるが」
アグラーヤは人差し指を立てて振った。
「男性と会う時のお洒落と、女性と会う時のお洒落は違うの。おまけに皆さん、洋服の仕立てや着こなしには目が肥えてらっしゃるでしょう? 年齢相応に上手くできたかとドキドキしてます」
「気にしても仕方がない。行きましょう」
「はい」
俺はアグラーヤの手を取り、ホテルを出て辻馬車に乗る。
「昨日の伯爵家のご令嬢は、貴方が去年負傷なさった際の、あのプロイセンの将校さんのご家族なの?」
「妹です」
「そう、生き生きしている娘さん」
「あの年頃で生き生きしていなかったら大変だ。少しは品よい振る舞いをしてもらいたい」
「それは貴方があの娘さんより歳を取っているから。同じくらいの年齢だったら、また違う感想を持つはずよ。
精神的には大人になりきれなくても、身体は大人と同じように成熟してきているから、不釣り合いな活力を持て余している。多分、将来は親の決めた相手と結婚するのだろうけど、本やお芝居にあるような恋愛もしてみたいと、思っている。わたしだって、姉妹も知り合いも、あのくらいの時はそんなものよ」
「醜聞で親を慌てさせないよう祈る。俺はああいう手合いは大の苦手だ」
そうでしょうねと、アグラーヤは小さく笑った。誰かの妻になる以外の生き方しかないと決め付けられているのに、世の習いに反抗したい気持ちがどこかに潜んでいると気付かないでいるのはかえって気の毒、貴方のような男性ばかりではないから危ういと、アグラーヤは言う。
アグラーヤとベルナデットに、かつて恋を仕掛けた男たちがいた事実に、男として忸怩たる思いだ。
シャン゠ゼリゼ大通りで辻馬車を降りた。
「この通りからならどこからでも凱旋門が見えるのですね」
アグラーヤは星の凱旋門の姿を見て感嘆した。伯林のブランデンブルク門とはまた違った壮麗さだ。アグラーヤが眺めに満足したところで、コリゼ通りに入った。
『ティユル』の看板のある店の前で立ち止まる。臨時休業の札があったが扉を押してみた。
「いらっしゃいませ、お待ちしていました」
中の応接用の場所に座っていたマリー゠フランソワーズが立ち上がって、迎え出た。一緒にマリー゠アンヌとベルナデット、ルイーズがいる。
「こんにちは、伯母上、マドモワゼル・ハーゼルブルグをお連れしました」
「こんにちは、わたしがアグラーヤ・フォン・ハーゼルブルグです。初めまして」
「こんにちは、マリー゠フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールです。初めまして」
次いで、マリー゠フランソワーズは娘二人と、孫娘を紹介した。
アグラーヤは初めまして、と挨拶し、それぞれと握手をした。
「こうして消息を聞くだけだった異国の若い方たちと実際お会いでいるのは、なんて仕合せで、嬉しいことなんでしょう」
「わたしこそ、励ましや素敵な経験談を教えてくださったマダムにこうしてお会いできて、光栄です。今、親元から独立して生活しているのはマダムのご助言をいただいていたからできたのですわ」
アグラーヤとラ・ヴァリエール家の面々の初顔合わせは上々といってよいだろう。自然に、和やかに打ち解けているようだ。女性の社交用の言辞の裏を読むのは、仕事であっても難しいので、ここでは気にしないことにする。