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君影草  作者: 惠美子
第三章 湖畔での休暇
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「身支度を整えますのでお待ち願えますか?」

「はい……」

「よろしければ外に出てみませんか。平民たちが出入りする店ですが、気軽な食事処が湖畔に幾つかあります。興味がおありならご案内します」

 俺が身支度をしている間、明後日の方向を向きながら令嬢はしばらく思案していたようだ。侍女がたしなめる様子もなさそうだ。

「わたしが入って店の方が迷惑しないでしょうか? 場違いな客が来たと」

「私と一緒なら大丈夫ですよ。それに侍女どのもご一緒するでしょう?」

「ではお連れ願います」

 話は決まった。よくよく観察してみれば侍女は年若い。ハーゼルブルグ子爵夫妻はお目付役のような年配者の侍女は連れてこなかったのだろうか。アグラーヤが外に行ってみようとうまく言いくるめてきたようにも思える。構うまい。俺はアグラーヤの手を引き、侍女はその後ろをついてくる。

 宿の者に外出を告げ、外へ出た。夏の日差しと湖からの風が快い。湖で泳ぐ者がおり、散策する者たちとすれ違う。都会の喧騒とも、軍でのせせこましさとも異質で、心洗われる風景。

「そこの店です」

 ややかしこまったような緑色の屋根の店を指した。アグラーヤがうなずいたので、そのまま店に入った。店の者が席に案内してくれた。侍女が別のテーブルに座ろうとする。

「一緒に座らせてもいいでしょう?」

「勿論」

 アグラーヤは侍女を呼び寄せた。侍女は目をパチクリさせ、遠慮していたが、アグラーヤは手を取って引っ張ってきた。

「今日だけよ」

 アグラーヤは畏まる侍女相手に悪戯心を発揮しているようだ。

「たまにはお嬢さま気分になってみるのも悪くないわよ」

「お嬢様、おやめください」

 しかし、抗議しても無駄とすぐに悟ってテーブルの端に小さくなって座った。

「女性はみな花です」

 俺の言葉に侍女は赤くなって、黙り込んだ。これぐらい世慣れなくて緊張しているのが判るのも面白い。

 店のメニューを見ながら、今日の昼の食材のお薦めは何かと問い、鱒のムニエルやサラダ、ブロートを頼んだ。食後にはキルシュを使ったフルーツタルトを持ってくるように伝えた。

「飲み物は?」

「お茶があれば、それをわたしとこの()に。アレティンさまは?」

「ご婦人を前にしてですが、ビールを頼んでもよろしいですか」

「どうぞ」

「有難う、では遠慮なく」

 侍女はずっと顔を上げずにいる。奉公に出たばかりで、あまり心得がないのかも知れない。だとしたら、悪かっただろうか。うつむきっぱなしも疲れるのか、顔を上げたら俺と目が合って、また下を向く。

「それにしてもフロイライン・ハーゼルブルグ、どうして今日もご家族と一緒の行動ではなかったのですか?」

「バイエルン王家の誇るミュンヘンの美術館に行くのでしたら良かったのですけれど、今日は午餐会と言いますか、社交の場ですので、遠慮しました」

「美術館ねぇ、先のバイエルン国王がコレクションしたという美人画廊は公開されているのですか」

「あれは王宮にあると聞いておりますよ」

「では入れませんな」

「ええ」

 料理が運ばれてくる。固くなったままの侍女に、アグラーヤはあなたもいただきなさいと、声を掛けている。はい、と侍女は始め震えてナイフとフォークがカチカチいっていたが、なんとか落ち着いてきたようで、こちらも安心して食事を続けられる。

「美味しいわ」

「喜んでもらえて、良かった」

 実際、気取った食堂とは別の、シンプルな味わいが舌を楽しませる。

「話は変わりますけれど、アレティンさま。フェリシア様のお兄様の奥様と連絡を取ったことはございますか?」

 顎に人差し指を当てて、記憶の底を探った。

「巴里のグリゼットをしている女性ですね。いいえ、伯母が亡くなった時だけです。女性にどう消息をしたらいいのか迷うのと、多忙を理由にしてしまって、あれ以来全く」

「わたしは何度かお手紙を遣り取りしました」

「息災にお過しなのですか」

「はい、お針子(グリゼット)から独立して自分で洋服店を営んでいるそうです」

「ほう、それは」

「お子さんもいるのにご立派です」

 憧れるような口調に、俺は尋ねてみた。

「貴女も巴里に行って、お店を出そうと考えているのですか」

 アグラーヤは首を振った。

「とんでもない。わたしは裁縫や服のデザインで商いできるほど器用ではありません」

「そういう意味ではなくて」

「そういうも何も、わたしには今一人立ちできるだけの才覚がないのは自分でよく判っています。

 なんと言いましょう……、祖母から受け継いだわたし名義の財産がありますし、どういうつもりか知りませんが(ベル)(リン)からわたし宛てに宝石が届けられています。そういったものを使えば当座は親許から離れて暮らせるでしょう。でも一生となったら心許ないものです。ですから、手に職というか、たつきの手段を身に付けたいと思っているのです。住み込みの家庭教師ができる程度に、子どもへの接し方や物の教え方を習得しようと思うのです」

 今度は俺が瞠目した。アグラーヤの発想に驚くしかなかった。


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