七
テラスから食堂に入ると、先程の給仕が、「個室のお客様はお部屋に戻られました」と告げに来た。礼と再びの心付けをし、アグラーヤを二階の部屋まで送ることにした。
「アデライーダからまた嫌味を言われそうだわ」
「お辛いですか」
「いいえ、アデライーダはわたしやアレクサンドラと違って男性の気を引かないようなのです。逆にアデライーダの悔しがる様子は楽しいですわ」
女は怖い。
ハーゼルブルグ子爵の三姉妹は揃って金髪で器量も良いが、三人の中でアデライーダは知性の面でやや劣るようだ。会話をしていても、幼くて、長姉の優雅さや末妹の才知に埋もれてしまう。
「男性の紹介を受けるような場には普段わたしは一緒に行きません。我が家の外聞もありますけど、何よりアデライーダに安心して結婚相手を探して欲しいですから」
そんな言葉を口にする時は、結婚を諦めたような、一抹の寂しさがあった。
アグラーヤを二階のハーゼルブルグ子爵の部屋に連れて行き、ノックをすると、子爵本人が扉を開けて、招じ入れてくれた。部屋には子爵と婿のホルバイン子爵がいた。
「どこへ飛び出したものかと案じたが、アレティンどのが連れてきてくれて安心した」
親を困らせる娘でも、帰ってこないうちは眠れないだろう。
「礼を言う。
アグラーヤは母にも挨拶して休みなさい」
「はい、そうします」
アグラーヤはしおらしく腰をかがめた。
「アレティンどの、一杯どうかね」
舅と婿は飲みながら待っていたらしい。しかし、俺は断った。
「明日早いのかね?」
「そうですね。特に決めてはいないのですが、馬を借りて遠乗りをしようと考えています。軍ではいつも団体行動ですからね、休暇では一人気ままにしていたいのです」
こうまで言っておけば、しつこく勧めもしまい。
「奥様やお嬢様がたに、楽しい晩餐であったと礼を申していたとお伝えください。それでは失礼いたします」
「残念だが。ご機嫌よう」
「アレティンさま、お休みなさいませ」
残念そうにしているホルバインと、澄ました顔のアグラーヤが見送っていた。
子爵様からの申し出は受けるべきなのかも知れなかったが、くどくどと昔話をされたり、アグラーヤとのことを誤解されたりしては面倒だ。
三階の自分の借りている部屋に入って大きく伸びをした。さて、予定を入れていなかったが、ハーゼルブルグ子爵に言った手前、早目に起きて、子爵一家と顔を合わさぬうちに遠乗りをしよう。
朝、いつもより早く目覚めて階下に降り、朝食を摂る前に馬を借りられるか確認した。すぐに準備できるとの返事があったので、朝食を終えたら所定の場に向かうと伝えた。
ヴァイスヴルストばかり食べるつもりはなく、ブローチェンをいつもより多く取り、卵焼きや果物を、そして飲み物はビールではなく、コーヒーと水を頼んだ。温かいブローチェンは文句なしに美味だ。
腹ごしらえをして、厩のある場所に案内してもらい、馬を見せてもらう。元気が良さそうで従順そうな一匹を選んだ。昨日は湖の北側を回ったので、今日は南側を回ろうか。
ゆっくりと足慣らしに馬を行かせ、馬の機嫌を見ながら速度を上げてみたり、景色を楽しむため、またゆっくりと歩ませたりした。歩くのとは違って視点が高い。また違った見え方がする。
午前中一杯馬を走らせ、戻った。厩に馬を返し、宿に入った。
汗をかいたので、冷水を浴びて着替えをした。
さて、昼はどうするか。ミュンヘンに行って、どこか劇場で公演があれば観てくるか。
シャツ姿でそんなことを考えていると、ノックの音がした。
「開いている」
宿の者かと思ってそう返事をすると、扉を開けたのは見知らぬ女性だったが、後ろにいたのはアグラーヤ・フォン・ハーゼルブルグだった。どうやら扉を開けたのは侍女らしい。軽装の俺をみて、アグラーヤは目を瞬いた。急いで上着を引っかけた。
「見苦しい姿で申し訳ない。宿の者が来たのかと思って失礼しました」
「いえ、こちらこそごめんなさい。急に思い立ってお訪ねしたのですから、お寛ぎのところ失礼しました」
ボタンを嵌め、鏡を見ながら身繕いをして、令嬢に向かった。
「どうしました?」
「家族はミュンヘンの知り合いのお宅に出掛けていて夜になるまで戻りません。アレティンさまのご迷惑でなければ、お昼をご一緒にと思ってまいりましたが、お邪魔のようでしたわね」
ちゃんと着替えを終えていないだけで、グータラしていたわけではないのだが、子爵令嬢からすれば、そう見えても仕方がない。
「邪魔だなんてとんでもないことです。
遠乗りから帰ったばかりの落ち着かない姿で、お気を悪くしないでください」
アグラーヤは安心したようだ。




