十一
マリー゠フランソワーズは語り終わって、思い出で、涙が誘われたようだ。ハンカチを取り出して目元を拭った。
「お話を聞かせてくださり、感謝します。お疲れなのではありませんか?」
「平気ですよ」
そう答えたが、活気を感じさせない声だった。ベルンハルト伯父よりも年上なのだから、実際の印象よりも年齢は重ねているはずだ。アンリ2世の愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエのように実年齢と見た目の印象が全く違うのがフランス女性。いや、偏見はよくないか。しかし女は本当に判らない部分が多すぎる。
「フェリシア様とお手紙の遣り取りをして、そしてベルナデットにこの子の父親の話を何回も聞かせておりましが、この子もそんな年齢でなくなりました。
愛しい人の話をできて、充たされた気分です」
「私の訪問が、奥様を元気付けられたのでしたら、私も嬉しく思います」
マリー゠フランソワーズは満足げに微笑んだ。
「ずっとお話なさっていたのですから、まずお茶を飲んでお寛ぎになってください」
「有難う」
「お茶が冷めたわ」
ベルナデットがカップを下げようとしたが、喉が渇いたから構わないと、マリー゠フランソワーズはお茶を飲み干した。
「では新しく淹れ直してくるわ」
と、ベルナデットが盆に茶道具を置き直すと、マリー゠フランソワーズが手を伸ばした。
「わたしが淹れ直してくるわ。やはり涙が出てきてしまう。年寄りだと思われたくないから、お茶と一緒に出直しの準備をしてくるから、わたしにやらせて頂戴」
言い出したら聞かないと心得ているのか、心の動揺を抑えるのに一人になりたいのかと慮ったのか、母が盆を持って部屋を出るのを、ベルナデットは止めなかった。
扉が閉じられ、ベルナデットは溜息を吐いた。
「わたし、貴方をお友だちではなく、従兄と呼ばなければならないのね」
「それほど貴女を失望させましたか? 従兄妹ではお友だちになれないなんて決まりはないでしょう?」
まあ、異性のお友だちだと深読みしたくなる意味も含まれているが、ここでそれを確認するには、いつマリー゠フランソワーズが戻ってしまうか読めないし、俺は伯母や従妹であってもどこまで信頼できるか量る必要がある。
「貴方がわたしをどう思っているか判らないから、困っているのです。貴方はわたしと付き合いたいと仰言っていました。だからわたしは散々考えてお返事をしたのです。そうしたら今度は従兄だって判りました。
貴方は万博の会場でなんとなく勘付いて、ここまで来て母と会って、疑問が晴れてすっきりした、落ち着いたお顔をしてらっしゃいます。
でもわたしは何が何だかさっぱりです。あくを取りそびれて濁ったまま煮えたぎったスープみたいな気分」
お願いだから泣きわめかないでくれよ。
「悩んで損をしました、モン・クザン」
「悩む必要はないでしょう、マ・クズィーヌ。従兄妹同士でも友だちでいいでしょう。私は巴里のプロイセン大使館付きの武官ですから、転勤を命じられる可能性は充分ありますが、しばらくは巴里にいます。貴女の誠実な友人でありたいのは本心です」
「嘘を吐いていませんか? イタリア座ではお名前を名乗っただけで貴方は詳しい身許を仰言らなかった。でも、その後は? 如何にも貴族の若様のグランド・ツアーで巴里に来ているような説明で誤魔化そうとしていませんでしたか?」
あああ、そう説明してしまった。その上、ここではリンデンバウム家のマグダレナの息子で、巴里駐在武官で大尉と肩書を告げた。飛び出した言葉は取り消せない。
「それは、謝ります。私が全面的に悪い。重ねて謝罪します。
貴女には許せない罪ですか?」
ベルナデットが睨み付けてきた。
「たとえ従兄でも嘘を吐く男性は信用できません」
大きく息を吐きたくなって止めた。ベルナデットを更に怒らせる。
「大使館付きの駐在武官の身分は本当です。そしてオペラ゠コミック座で会った時、あの時はゴルツ大使から田舎貴族の坊ちゃんの振りをしろと言われていました。多分その後来仏するプロイセンの陛下や殿下をお忍びで遊びにお連れする時の練習台にされたのです。
貴女が誰かも知らずに万博会場で再会して、またお会いできたらと申し出ましたが、その時の設定をそのまま使ってしまいました。今日、従兄妹かも知れないと思いはじめて、確認できたら、きちんと説明しようと考えていました。
それでも許してもらえませんか?」
ベルナデットは俺を見詰め続けた。
「考えさせてください」
冷静でいてくれて助かる。下手に騒がれたらこちらが困る。従妹への親しみ以上の何かを感じさせる彼の女を手の届かない存在にしたくなかった。




