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君影草  作者: 惠美子
第二十一章 辿りゆく道
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 あなたの熱心な気持ちに、わたしの心は動かされました。わたしもあなたを愛しています、とはっきり伝えたわ。ベルナールから出会ってから一年以上は経っていたのだから、ベルナールが諦めなかったのが不思議なくらいだと、周りに呆れられた。

 ただ、お付き合いして、一緒に暮らすのは承諾したけれど、結婚するのだけは断った。何故と言われても、何時、カレンブルクから迎えが来るか、ベルナールが戻ると言い出すか、わたしもそこは心配だったから、どこかで線引きしていたのね。いくらか引け目のある身だったから。それに結婚で財産権は妻から失われてしまうから。

 ベルナールは結婚しない条件に、始めは自分を信用してくれていないのかと不満顔だったけれど、それでもわたしの気持ちの問題なのだと割り切ってくれた。

 カトリックとプロテスタントと、信仰する宗派の違いが結婚の障害ではなかった。やはり生まれた時から親しんでいた祈り形は生活に染みついたけれど、お互い苦笑する程度で、それが原因で喧嘩はしなかった。

 ベルナールが故郷に残してきた妹さん――フェリシア様――と密かに文通していたのも教えてくれた。むしろ、妹にわたしを口説き落とすのどうしたらいいかと相談していたと言うのよ。フェリシア様は独身でいらしたのだから、そんな話を持ち掛けられても困っていらしたようで、そのことに対しての返事は無くて、いつも身辺の話ばかり手紙に書いてくると、ベルナールは笑っていた。わたしを愛してくれているように、故郷の家族を愛しているのだと察せられ、本当にこの人はこのまま巴里に住み続けられるかしらと、ふと翳りを感じた。

 だからこそ、二人のその時の愛情は貴重で大切な宝だったわ。想いが通じたならば、ためらいは無用。

 ベルナールの借りていた部屋はそのままアトリエとして残して、わたしとアンヌと三人で暮らす為の部屋を別に見付けて、そこで暮らし始めた。アンヌがしょっちゅう顔を見せに来る美男のお兄さんに憧れていたのには気付いていたけれど、母親の恋人になったのだから、そこは仕方なかったわね。それこそ、自分の気を引こうとする少女にちょっかい出さずに、子持ちの年増にだけ興味を持ち続けてくれたベルナールに感謝だわ。

 ベルナールは絵描きの修行を続け、わたしはわたしで自分のアトリエ――、お店を出そうと考えはじめて、計画を建て始めた頃。何もかも新しい出発をしようと二人で充実した日々を過していた。

 仕合せだったわ。

 ベルナールに愛されて、ベルナールを愛して。

 二人と娘との暮らしの中で、変化が訪れた。わたしに子どもができた。三十も半ばになって妊娠するとはとかえって自分が驚いていた。ベルナールは大喜びしてくれた。

「きちんと結婚しよう。改宗だってなんだってするし、君が店を出すのに、融資を受けるのや地所の買い取りで名義が私になったって構わないじゃいか。私は君がしようとすることにはなんだって賛成なんだから。アンヌや生まれてくる子どもの為にも結婚しよう」

 ベルナールが心底願って申し出てくるのを断れる訳なかった。“Oui.”と答えたに決まっています。

 でもね、それは半分叶って、半分叶わなかった。この巴里でわたしたちが結婚するのに異議を唱える人はいなかった。周囲も祝福してくれて、喜んで証人になってくれる友人たちと巴里の役所に婚姻の届け出をしたわ。ベルナールが異国人で、確認項目があるとか役所で言われて手続きに手間暇かかったけれど、法的に正式に夫婦となった。教会にも式の申し込みをして、後は予定の日まで準備を整えていくばかりになった。教会でリハーサルだってしたのよ。

 神様からの祝福を授かる前に、ベルナールが辻馬車に轢かれてあっけなく亡くなってしまうなんて、誰も知らなかった。

 教会に持ち寄る花が婚礼ではなく弔いの為になるとは、誰も誰も知らなかった。

 お判りでしょう? この娘はベルナールとわたしの娘。ベルナールが亡くなったので、わたしは結婚前から通していた「ラ・ヴァリエール」の名前で仕事を続け、ベルナデットが手の掛からない年齢になった頃、かねての計画を行動に移して、やっと自前のお店を出した。それがこの「ティユル」。フランス語のリンデンバウム。

 ここはわたしにとっての夢のお城。


 ここで、マリー゠フランソワーズは話を止めた。彼の女が壁の方を振り返ると、一幅の絵が掛けてあった。彼の女とアンヌと、多分伯父であろう男性の肖像画。ベルナデットはまだ見ぬ子であったから、絵の中にはいない。

 なき人と なして恋ひんと ありながら 逢ひ見ざらんと いづれまされり

                               和泉式部

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