九
明らかに育ちが良さそうで、三十前のドイツ連邦からきたらしい若い男の子が、――女として自信がなかったのではないのよ、充分ありました――、本気じゃないだろうと疑ったわ。
今でもお美しいですって? それは有難う、嬉しいわ、“mon beau neveu.”
年下の男性が三十を過ぎた女に真剣に言い寄るだろうか、店で仕事を任されているからとお金を貯めこんでいると思いこんだのかしらと、かえって用心しなくちゃと頑なになってしまった。だから、自分の年齢を正直に伝えたし、アンヌの存在も教えた。もう十三、四になっていたから、大きな娘のいる母親と知ったら幻滅するだろうと踏んだの。ベルナールは意外なことを聞かされたと、大分動揺していた。もうこれで来ないだろうと安心していたら、また顔を見せた。
「私はあなたの過去を全て受け入れる。どうかあなたも私を知り、受け入れて欲しい。
あなたの話を聞いて悩んだけれど、あなたに焦がれる想いは変わらない、あなたの苦労してきた歳月を知って、あなたに寄り添おうと愛情がより強くなった」
そう訴えてきた。そこまで熱心に言われて、わたしはベルナールの話とやらを聞くことにした。
そうしたらカレンブルク王国の伯爵のご長男がご当主と喧嘩して家出してきたと告白するじゃないの、こちらが魂消てしまったわ。実家とは縁を切って、画業で食べていく、働くのを選んだんだから自分はもう貴族じゃないと本人が言い張っても、一人息子なのだから、そのうちご実家から追い掛けてくる家来が来て家督の為に無理やりにでも連れ帰ってしまうだろう、やっぱりお坊ちゃんなんだ、期待しちゃ駄目だと、自分に言い聞かせた。
そうね、少し気になりはじめていたのでしょうね。でも、そんな事情があるなら軽々しく受け入れられない。わたしは、あなたの帰る家にわたしを連れていけないでしょうと断った。仕事が大事な女なのだから放っておいてって。
ベルナールは諦めなかったわ。絵を描きながら合間を見ては、お店に挨拶しにきた。流石にわたしの借りている部屋にまで押し掛けてこなかったけれど、店でお手伝いを始めていたアンヌとも親しくしようとして、自分がどれだけわたしを想っているか態度を示そうと必死だったみたい。
店のみんなもあんないい男を逃す手はないと冷やかすのだけど、いい男だからこそ本気になったら後で泣くことになりはしないかと、不安だった。いつ気が変わるか、いつ故郷に帰ると言い出すか、そうしたらまた若い時と同じ。二度と繰り返したくはなかった。
「私の姓の前に“von”が付いているからあなたはためらうのか。あなたの姓には“de” が付いて、“La Valliére ”と“la”があるのは古い家柄の貴族が先祖にいたからではないのか。
判らないからといって否定はできないでしょう。
先祖に爵位が授けられた者がいた。私はその子孫に過ぎない。私自身が爵位に値する働きや才を世に示したからではない。まだ画業で称賛されるまでに至っていない。
私はただの未熟な青二才だ。しかし、あなたを愛している。あなたとともに人生を歩みたい。仕事をこなし、娘さんを育てている立派なあなたに不釣り合いな、貧しい男だ。故に受け入れてもらえないのだろうか」
ベルナールは訴えた。わたしは迷いに迷った。断り続けるわたしにずっと誠実に、決して無理強いせずに紳士的である若い男性に、わたしこそ不釣り合いなのではないのかと、胸が苦しかった。ベルナールが来ないともう諦めたのかしらと悲しくなり、“non”と告げるくせにかれの姿を見ると嬉しかった。
ええ、わたしもベルナールを愛しているのだと自覚したわ。それでも受け入れて、お互いの為になるのかどうか、判断できなかった。
でも、中途半端にしていていいことではないわ。決めなければならない。
わたしは散々悩んだ末に、ベルナールに返事をした。