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君影草  作者: 惠美子
第二十一章 辿りゆく道
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 洞窟のように薄暗い水族館を抜け、明るい陽光の下に戻ってきた。眩しさに一瞬目を眇めた。同じように手をかざすベルナデットの手を引いて、ベンチに座らせ、俺も並んで腰かけた。ベルナデットにどう話を切り出していったらよいか、言葉を探す。

 聞きなれない言葉――外国語か――が聞こえてきて、ふとそちらに目が行った。あの服装や髪形は日本(ヤーパン)だな。日本の使節の者たちが休みなのかどうかは知らないが、数人の日本人、例の襟を重ねるような袖の長い服を着て、ヨーロッパとは異なる形、設えの刀を下げていた。下っ端らしい者が色々と話をしている。話を聞いている一人は、襟元を大きく寛げて、襟元から手を出して喉の辺りを掻いている。涼しそうだが、礼儀に適った姿ではなかろう。別の者から注意をされて、手を引っ込めて、袖に腕を通して襟元を直していた。

 現地のヨーロッパ人たちに見られているのだぞとくらい言われたのだろう。

 ああ、考えに詰まったからといって目に付いた光景を観察している場合ではない。ベルナデットとベンチに座って、足の疲れが取れるくらいの時間は使っていないが、沈黙を通しているのも、おかしく思われる。ベルナデットの方から話を始めた。

「今日は楽しかったですわ。一人で見て回っても、疲れるだけですから、こうやってお話しながらですと、気分が違います」

「満足してもらって、さいわいです」

「今度はどこでお会いしましょうね」

 ベルナデットは今日の見学と、俺との会話ですっかり満足しているらしい。帰宅どきかと計りはじめている。このまま帰したら絶対後悔する。言葉が見付からないが、とにかく、この場でさようならはしないと口にすれば、なんとか意思を伝えていけるだろう。まずは何かを言わなければならない。

「あの!」

 同時にベルナデットも言い掛けて、声が重なった。決まり悪く、苦笑いだ。

「どうぞ、お先に」

「いえ、わたしが喋りっぱなしでしたから、どうぞ」

「いいえ、まだお話の途中でしょう?」

 焦るな、女は大した内容でなくてもお喋りを中断させると機嫌が悪くなる。全部言わせた方がいい。

 ベルナデットは探るように俺の顔を覗いた。

「呆れていませんか?」

「いいえ、全く」

「そう、なら良かったです。急に涙ぐんだり、お喋りばかりして、変な女だと思われているのじゃないかと、ドキドキしてしまいました」

 仕草や口調の素直さの中にさりげなく媚態を紛れさせている。

「正直、驚きました。でも、貴女には貴女の、私が知らないご事情があるのですから」

 悩みがあるなら話してみたらと、促していいのか躊躇がある。それは彼の女も似たり寄ったりのようで、曖昧な表情をしている。心の内が水を注いだグラスのように見えるのなら、便利だろうと思うが、それは逆にこちらも見られるのも同じこと。やはり心は読めない方が仕合せでいられよう。

「いずれムシュウにお話する機会があるかも知れません。折角お友だちになれたのですから、どうかわたしをお嫌いにならないでくださいまし」

「今、私が貴女を嫌いになる理由はありませんよ」

 すっとベルナデットが視線をそらした。

「今。ムシュウは真面目でいらっしゃいます」

 女性向けには入れない方がよかった単語か。引っ掛かりを感じさせたようだ。しかし、未来の自分の気持ちがどう変化するかは保証できない。それは承知してもらって欲しい。酷い言い方と怒るなら怒って構わない。

 ベルナデットは憤らなかった。むしろそれで信用を感じてくれたらしい。

「先々どうなるか誰も判らないのですもの。歯の浮くような綺麗事をすぐに口にする人よりムシュウはずっと誠実でいらっしゃいます」

 褒められた。歯の浮くような台詞が次々と浮かんでくるような男でなくて安心だ。

 その分、ベルナデットには辛い経験があったのだと、推量させられる。

 誰しも、誰かを傷付け、傷付けられながら、生きていくのが人生。それは大袈裟に吹聴して歩く目録とは違う。砂時計の砂のように流れる時間の経過の中で積み重ねられゆく数々の記憶と感情。いつの間にか自分自身の性格や思考を形作っていく一端でもある、洗い流せない過去。

 伴侶や友となれば、それは隠すものなのか、共有して新たな未来を築こうと努力するものなのか。正解はなさそうだ。

 だが、今感じるのは、彼の女と離れ難い強い気持ちだ。側にいたい。できれば寄り添い、語り合いたい。たとえ血の近い従姉妹であってもだ。

 今後の行動の為にも、是非とも確かめておかなければならない。

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