五
夕食の時間が来て、俺は食堂に入った。既にハーゼルブルグ子爵とホルバイン子爵の家族が揃っていると、個室に案内された。個室に入ると、ホルバイン子爵が立ち上がって、挨拶をした。
「ご機嫌よう、アレティンどの」
「ご機嫌よろしう、皆さま。ご家族水入らずでお過ごしのですのに、お招きいただき恐縮です」
「ご遠慮なさらず、こちらへお掛けください」
指し示されたのは、ハーゼルブルグ子爵の斜め向かいで夫人の隣、昼間いなかった女性――アグラーヤだ――の向いだった。座る前に俺はアグラーヤを見た。うつむいていた彼の女は、ふと顔を上げて俺を見た。五年の歳月が経っていたが、アグラーヤの輝きは失われていなかった。名前は忘れても、このじゃじゃ馬娘の強い光は忘れなかった。
「お久し振りです、フロイライン・ハーゼルブルグ」
「本当にお久し振り、アレティンどの」
すっと差し出す右手を取り、接吻した。
「挨拶も済んだことだし、食事にしよう」
とハーゼルブルグ子爵が促した。
ギルベルトの坊主は乳母と部屋で留守番をしているのだろう、来ていない。主人としてハーゼルブルグ子爵夫妻が中央に向き合って座り、俺が主賓席にいる。婿殿も子爵なのに差し置いてだが、そこは家族ばかりで飽きているのだろうからと、好意的に受け取ろう。アデライーダが子爵夫人のそのまた隣なので、直接顔を見ないで済みそうだ。アデライーダが不美人という訳ではなく、子どもっぽくて性に合わないような気がするからだ。三姉妹が金髪なのは、子爵夫人譲りなのだろう。ハーゼルブルグ子爵は既に白髪なので、元がどんな髪色だったのか判らない。ホルバイン子爵夫人アレクサンドラはハーゼルブルグ子爵の右隣に座り、髪を簡単に結い上げ、象牙色のドレスを着ている。指輪以外のアクセサリーを付けていないが、かえって清潔で優雅である。ホルバイン子爵はその斜め向かい、アデライーダの隣にいる。アデライーダは子爵夫人ごしにも金髪を巻き、ビーズをあしらった髪飾りを付けているのが判る。ピンクのドレスの袖がちらと見えた。
アグラーヤは淡い青色のドレスを着て、長い金髪を後ろで束ねて背に流していた。あっさりとした姿の方が、彼の女の良さを引き出しているように思える。
ハーゼルブルグ子爵は厳めしい父親そのもの姿であった。年齢を重ねてもピンと伸びた背筋、威厳を感じさせる口ひげ。
食事の合間合間に、質問が飛んでくる。
「アレティンどのは南部の軍に所属していると言っていたね」
「はい、南部のシュリヒテング中将の軍に属しております」
「階級は?」
「中尉です」
「士官学校を出てからまだそれ程経っていないようだが、早い昇進ではないか」
多少は俺のことを調べているのだろう。ここのところ戦闘がないのに、爵位のない騎士が二年ほどで階位が上がるのは不思議と感じたのか。
「運に恵まれました。そのお陰です」
冬の行軍訓練で、偶然遭難しかけた高位の貴族を助けたのが俺とその隊だった。子爵は特に説明を求めるでなく、俺が謙遜していると感じたのか、得心したようにうなずいた。
「お父様ばかりがお客様とお話してずるいわ」
とアデライーダが不満を漏らした。
「若い娘が何を言っているのやら。はしたないと思わないでくださいね」
子爵夫人が笑いかけた。この母上も子どもっぽいのかも知れない。年齢相応の装いながら、稚気があるようにも見える。
「女性に囲まれる機会などありませんから、緊張しています」
素直に言うと、それこそ若い娘のように照れ笑いをした。まだ娘には負けないと思っているのだろうなぁ。孫もいるのに、気が若い。
「アレティンさま、今はご自身の望む道を進んでいらっしゃられるのね」
アグラーヤは真剣な眼差しで問うた。
「はい。でも、わたしは貴女にこそ問いたい」
アグラーヤは頭を振った。
「わたしは何もできないでいます。何を望むかも判らないままです」
俺は父のハーゼルブルグ子爵に視線を向けた。難しい表情をしている。子爵にとって俺は関わりの薄い人間だ。細かい事情を尋ねられないし、たとえ尋ねても答えてくれないだろう。
会話が途絶えがちになりながら、食事が続いた。
「朝のヴァイスヴルストもいいですが、ここの鱒のフライもなかなかの美味だと思う」
ホルバイン子爵が明るく話をもってくる。
「わたしはお魚より、お肉が好きだわ」
とアデライーダ。
「お野菜のスープが美味しかったわ」
「南の方のお野菜は少し味が違うようね」
アレクサンドラと子爵夫人はのんびりと会話している。
「アレティンさまは、今お一人なの? 決まった方はいらっしゃるの?」
無邪気な声でアデライーダが訊いてきた。
「アデライーダ」
ハーゼルブルグ子爵は二女を咎めた。
「ごめんなさい。でも、お聞かせくださいな」
「決まった相手はおりません。自分は軍人です。結婚の意思がないのです」
まあそんな、とアデライーダは呟いた。
「お寂しくはないのですか?」
アグラーヤが尋ねた。
「寂しいとは思いません。伴侶がなくとも、かけがえのない戦友たちがいます。私にはそれで充分です」
「そうですか」
「アレティンどのはまだお若い」
ハーゼルブルグ子爵の言の意味するところは理解できる。
「退役する年齢まで生きていたら、考えるかも知れません」
じっとアグラーヤは俺を見詰めていた。すると、アデライーダのからかうような声が響いた。
「駄目よ、アグラーヤ。あなたはまともに結婚しようと考えちゃいけない人間なのですから」
子爵がバンとテーブルを叩いた。アデライーダは身を縮めたようだ。
アグラーヤは下を向いた。悔しそうにしているが、言葉が出てこないようだった。
一通りの食事が終わり、コーヒーが並べられるが、アグラーヤは席を立った。
「ごめんなさい、少し酔いが過ぎたようです。お先に失礼します」
引き留める間もなく、部屋を出た。誰も追わない。
「いいのです。末の娘は変わっているので、お気になさらずにどうぞ」
気にしないではいられなかった。コーヒーには手を付けただけで、立ち上がった。
「今宵は楽しく過せました。お礼を申し上げます。失礼します」
後は何と言われようと知ったことか。アグラーヤを探しに追って出た。




