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君影草  作者: 惠美子
第十九章 パビリオン
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「何かいいことがあったのですか?」

 大使館に戻ると、ヤンセン曹長から声を掛けられた。

「いいや。たまに職務抜きで出掛けるのはいいものだと感じたんだろうな」

 曹長は複雑そうだ。

「そうですか。それは良かったですね。偉い方を接待で万博会場に行っても、こちらは余裕がありませんし、かといって休みの日にあの人混みに行く気がしません」

「それは気の毒に。小官は初めて行ったから、何もかも物珍しかったし、空いている展示場所が案外小官には面白かった」

 羨ましそうでもなく、ふんふんとヤンセン曹長は肯いて、続けた。

「アレティン大尉にお手紙が届いていますよ。大佐の検閲済みです」

「有難う」

 巴里に来て一月が経った。そろそろ大使館以外に起居の場を設けるべきなのだろう。長期滞在用のホテルか、それなりの賄い付きの賃貸の部屋か。

 受け取った手紙はアンドレーアスからだ。差出はフランクフルト。近々巴里に来ると知らせてきたか。部屋に入って読むと、やはり来仏の知らせだ。それもすぐの日付だ。ベルナデットと会う日に重ならないように調整しなくてはならない。

 夕食の席で、シュタインベルガー大佐が早速ご下問だ。

「大尉、今度貴官を訪ねてくるアンドレーアス・ディナスとは何者だ?」

 尋ねた内容にのみ答える。

「小官の乳兄弟で、父の遺した商会で働いています」

「その者は貴官の職務を知っているか?」

「いいえ、大使館付きの武官とだけしか知らせていませんし、小官の職務に興味を持っておりません。商売一筋で来ている男です」

 大佐は俺の返事に満足したどうかは知らないが、一言付け加えるのを忘れなかった。

「旧交を温めるのはいいが、くれぐれも口は慎むように」

「はい、心得ております」

 巴里の盛り場はアンドレーアスの方が多分詳しいのではないかと、会ったらどうするかは深く考えていなかった。あいつだって独身だから、気兼ねはない。

 三日後、ストラスブール駅近くの、アンドレーアスが指定したカフェで待ち合わせた。

 久し振りに会う乳兄弟は、汽車で揉まれたのか、ややくたびれた服装になっていたが、変わらぬ姿を見せてくれた。

「息災にしていたか?」

「ああ、元気にしていたとも。あんたも元気そうでなりよりだ」

 抱き合い、肩を叩き合って、席に着いた。七月一日に万国博覧会会場で、ナポレオン3世からの褒章授与式があり、それでまた人と物流の混雑が予想されるから、その前にきちんとこれからフランスの名物として当たりそうな品物はないかと実地に目を付けに来たのだと、説明した。

「授与式でグラン・プリがはっきり決まってからでは遅いのか?」

「遅い。それから注文していたら、いつ入荷するか判らなくなるし、遅くなるなら、ほかを当たると取り下げられる。それなら見本品くらいのわずかで量でも取引先に見せて判断してもらった方がマシだ。評判は気になる、しかし、カタログや新聞だけで満足できない、現品をじかに見たい、触りたいって方々はいらっしゃる」

 汽車の旅が一般的になっても、なかなか巴里など大都市に出てこられない貴族やブルジョワもいるから、見栄の為に、流行や万博で表彰された品物を身近に置きたい気持ちを刺激して、買わせる。またその商店の株があれば値上がり前にアンドレーアスが買うのだろう。これも賭けだ。綿密な調査や勘、踏み出す機会を読んでいく、俺とは違った種類の緊張の勝負の世界だ。細かい部分は判らないなりに、アンドレーアスの仕事の重さを、話し振りの中に感じ取る。

「一緒に行こうか?」

「まずは一人で行ってみる。あんたが一緒だと、趣味が高尚過ぎて俗っぽい所に目が行かなくなる。その次に、まあ、お上品な層に受けそうな品物を考える時に一緒に行こう」

 アンドレーアスらしい言い草だ。

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