八
「どれも良い品ですから吟味してお買い上げくださいな」
と、一つでもいいから購入していってくれと願っている売り子が、声はやさし気に、しかし、何も買わずに行かないで欲しいとはっきりと読み取れるご面相で言ってくる。
「本当に迷ってしまいますので、もう少し別の場所を眺めさせてください」
ベルナデットは気にせずかわした。ベルナデットも仕事となれば何の注文も取らせずに離すものかの気迫で客に対するかも知れないと、借金取りに追い掛けられ、足に取り縋られる気分に似ているのだろうかと想像してみた。それぞれ生活が懸かっている。
女性一人でいるよりも、売り子や職人たちから無碍にされず、かといって手を取らんばかりに買えと勧めてくるのを断るにも、男連れなら心強いと体よく使われた気がしてきた。
「ムシュウ、どうかしました?」
朗らかにしている姿に、なんとか気を持ち直した。
「マドモワゼルがよろしければ、お近づきの印に、何かお一つ進呈しようかと思っているのですが、なかなかお気に召す物が無いようです」
「お気遣いは無用です。欲しい物があれば自分で買います」
「いえ、私が貴女に何か贈りたいと思っているのです」
ベルナデットは顎に指を当てた。
「わたしが欲しいのは、アメリカ製のミシンと言ったらどうなさいますの?」
はて、幾らだったかな? しかし、それは彼の女が欲しいといっても家業に関する機械だろう。もう少し女性が気に入る小物や、男女の出会いの記念になるものはなかったろうか。
「もし、ミシンが貴女や母君のお店に必要となれば、贈り物ではなく、出資の形で申し出ましょう。その為には貴女がたの店の経営を知らなければならない」
「出資なさるのでは当然でしょう。
でも面倒でしょう?」
売り子だけでなく、俺をもかわすか。初心な年齢でない分、小憎らしい機知で煙に巻く術を心得ている。
正直に伝えてしまおう。
「この場限りではなく、また貴女とお会いしたいと望んでいます。貴女は私とまた会うのは、嫌ですか」
真剣に言った言葉には、対する女も真剣に考えて答えてもらおう。
ベルナデットは驚いたようだったが、すぐに冷静さを保とうと表情を改めた。
「考える時間をください。初めてこうして過してみて、まだわたしの中でどう判断したらよいか、決められません」
「ずっと立ちっぱなしできています。座れる場所に行きませんか?」
「はい」
スペインのブースの外側にはスペイン風のカフェが設えてあった。そこに入り、ベルナデットと二人、席を取った。コーヒーと、スペインの、炒った小麦粉を使ったというサクサクした食感の焼き菓子を食べながら、これまで観てきた各国の衣服や装飾品の意匠についての感想を言い合った。そしてベルナデットは告げた。
「こうやって出掛ける日もありますが、わたしはいつでも店にいます。店にいらしてください」
「店に行くのも、貴女や母君の経営に出資するのもいいでしょう。
しかし、貴女は私の言っている意味を判っていてはぐらかしている。私は商売の話抜きで、貴女とまた会いたいし、語りたいと思っている。迷惑なら迷惑とはっきりと言って欲しい」
ベルナデットの視線が下がり、さまよった。
「迷惑ではありません。今日は楽しく見学できました。
ただ、まだ判断する勇気が出ないだけです。
もう一度……、もう一度、こうしてお会いできませんか? それまでに答えを決めておきます」
「判りました」
俺はベルナデットの白い手を取った。手は逃げも怯えもせず、俺に逆らわなかった。
「良い返事をお聞かせくださると嬉しい」
後日、また会う約束をして、彼の女と別れた。彼の女に何も贈れずじまいで、それが心残りだ。店の場所を知っているのだから約束をすっぽかさないだろうが、”non”を突きつけられる時に贈り物をするのはあまりに侘しすぎる。




