五
巴里で自己紹介する際の、自分で作った設定であるのに、有閑階級の退屈しのぎでここにいるように思われたくない。我ながら不思議だ。
「急に用心されたようだ」
心外だとでも言うように、ベルナデットは瞠目してみせた。
「そんなふうに見えますか?」
「さあ? 私は貴女にとって異国の人間ですから、物珍しさにお話相手をしてくれたのかも知れないと、貴女のお気持ちを想像するばかりです」
ベルナデットは笑った。
「ごめんなさい。だって貴方は真面目な顔をして可笑しくなるようなことを仰言るから。巴里に遊びに来る貴族や商人のお坊ちゃんなんて、わたしには珍しくもなんともないんです。それにお金のある方が遊ぶ場所はほかにありますもの」
それは否定しない。
「わたしは田舎から出てきたばかりのお針子娘じゃありません。紳士から声を掛けられて、舞い上がり、お小遣いをもらえるか計算を始めるような類いに見えましたか?」
と、続けてベルナデットは口角を下げてみせた。確かにベルナデットは世間知らずの小娘ではない。若さだけを武器に愛想を売る年齢でもないし、性格も堅実そうだ。
「失礼した」
「ご無礼になりますけど、ムシュウ・アレティンは、巴里に来れば殿方だけの社交界に積極的に遊びに行こうとしている性質の方には見えません。
織物か炭坑の、工場か取引先をお持ちのお家の方かとお見受けしました。間違っていましたかしら?」
あっと遅れて思い出す。アレティン商会での仕事のヒントを探すのも、ここに来た目的の一つだった。アンドレーアスに株や投資を任せているが、どんな商売がこれから伸びるのかと、各国の産業を改めて見ておきたいと自分で考えていたではないか。うっかりしている。
決して軟派な目的で彼の女を誘っているのではない、誤解されたくないと言い訳している姿が、自分でも滑稽だ。女性に悪印象を抱かれようが一切気にしないできていたのに、今更上品ぶって、素行がいいように見られたいのか? この年齢で?
「間違ってはいません。詳しくは説明出来ませんが、私名義で出資しています」
出資の言葉を聞いて、ベルナデットはやはりといったふうに肯いた。
「ムシュウも研究熱心のようですね」
「まあ、それなりに。道楽だけで過していません」
言葉遣いがおかしかっただろうか。ベルナデットがまた笑った。
「ごめんなさい。怒らないでくださいね、ムシュウ・アレティン」
笑う仕草と一緒に耳飾りが揺れる。控えめな輝きが彼の女の魅力を引き立てている。帽子の鍔の下、ゆったりと結い上げた黒髪とすっきりとした首筋の白い線が、目を眩ませる。
「ムシュウの話し方がまるで……、少年みたい」
これは褒めているのとは違うな。だが、怒れない。笑われて仕方ない話をしているのは俺だ。
「お気を悪くされたのでしたら、謝ります。ごめんなさい」
「いえ、貴女が謝る必要はありません」
俺が彼の女に語れる話など、天気や展示物についてくらいしかない。情報収集の仕事をしている身は不自由だ。
「貴女と違って、しっかりと語れる自分が無いから、軽い人間ではないと強く言ってみる、子どもと評されても仕方ない」
「わたしはドイツ語が判りませんけれど、ムシュウはきちんと勉強なさってきているのでしょう?」
「単に知識を頭に詰め込んでいるのと、それを活かして教養としていけるか、たつきの道に役立てていけるかは、全く違う」
「わたしのような物を知らない人間でも、遠い昔の哲学者の言葉を知っています。『無知の知』ですか? ムシュウはそれをご存知ではありませんか?」
気の利いた言葉を言ってくれる。ただの縫子ではない知識の持ち主のようだし、やさしい。青い瞳に吸い寄せられるように、じっとベルナデットを見詰めた。
ベルナデットが俺を見詰め返す。
天使が何度か間を通り抜けた。ベルナデットが面を伏せた。
「ムシュウ・アレティンとお話しているのが楽しいのですけど、まだ回っていない場所があります。そろそろ行かないと、時間がなくなります」
「ああ、私もまだ観始めたばかりです。ご一緒しませんか」
帽子の鍔で顔が半分隠れていて、顔色が窺えない。断られるかと、一瞬息を詰めた。
「ムシュウがよろしければ」
駆け引きの言葉を使いたくないが、焦らされて嬉しいとは思わなかった。