四
「カフェのある外苑に行きましょうか?」
と、尋ねると、ベルナデットは首を振った。
「いいえ、中庭の方が近いですし、美術品をまだ観ておりませんの。そちらの方に参りませんか? 休憩するベンチくらいあると思います」
「そうですか。ではそうしましょう」
美術品の飾ってある場所を示す案内板に従って歩を進めた。隣のベルナデットをさりげなく観察した。ベルナデットは琥珀が好きなのか、それが家に伝わる品なのか、今日も身に付けてきている。瞳の色よりもやや濃い色合いの服を着て、品よくまとめている。
絵画の展示されている場所に来て、空いている椅子があったので、彼の女を座らせ、俺も腰掛けた。絵画の展示場所は空いている。目新しく、珍しい物産品に客の目が集中して、美術コーナーまで熱心に足を運ぶ者は流石に少ないらしい。無名の若い画家ではなく、既に名を成した大家の絵画が多く、それはそれで目を楽しませるが、博覧会の見世物としては刺激が足りない。『美神の誕生』は魅力的な姿で、「甘美な娼婦のよう」と評論されていたが、ご婦人を差し置いて眺め入るのは気が引ける。
「先程は熱心に何をお訊きなっていたのですか?」
「ご覧になっていたのですか?」
まあ、恥ずかしいと言いながら、ベルナデットは説明しはじめた。
「布地の種類やそれにあった染料のことです」
仕事絡みか。このような事柄に興味を持たれないでしょうが、と前置きしつつ、知識を披露してくれた。染料に草木を使うだけでなく、石炭など化学的な材料を合わせて作られるようになり、色の種類や濃淡をうまく染め分けられるようになりそうなこと。木綿の布地を綺麗な白に仕上げられるようなった、良質の毛織物や木綿の布地が手に入りやすくなる、ミシンという機械はまだ高価だが、あれば縫いが単純な箇所はすぐに仕立てられそう、などなど。よく喋った。
「あら、いけない。わたし、一人でずっと喋っていますね。呆れられました?」
「いいえ、研究熱心だと感心していました」
女性が朗らかにさえずっているのが、うるさい場合と、楽しい場合とあるが、ベルナデットは後者だ。仕事に楽しく打ち込んでいるのが伝わってくる。様子を見ていて、こちらまで気分が弾んでくるようだ。生き生きと自分の成そうとすることを語る女性は少ない。ベルナデットは毎日こなす雑務に疲れ果てる、或いは退屈を社交という名の会話や火遊びで紛らわす種の人間ではない。アグラーヤのように、自身の生きる道を持っている。
「わたしは、この街で家族と服を誂える仕事をしています。新しい技術や意匠の可能性が増えていくのですから、勉強しなくてはいけません。ぼうっとお客様を待って、こんな風に服を縫ってちょうだいと言われるがままでは商売になりません」
俺と同じくらいの年齢、マダムではないと言っていたが、仕事一筋なのだろうか。
「ムシュウは? 観光や勉学で長期のご滞在なのですか?」
当然の質問だ。
「ええ、巴里で丁度万国博覧会が開催されていますし、社交や世界の文化を学んで来いと言われ、郷里から送り出されました。以前にお会いしました時に説明した通り、ゴルツ大使にお世話になっています」
巴里は洗練された都会で、余裕のある階層の跡目を継ぐ前の子息がコネや伝手を拡げ、一通りの遊びを体験してくる場所である。イングランドの王太子がいい例だ。
ベルナデットはそんな話は聞き慣れているのだろう。少しも表情を変えなかった。空模様がどうと天気の話をするように、言ってきた。
「ロシアやプロイセン、ベルギーからも皇帝や王様がいらしているくらいですもの、どれくらいの期間のご滞在になるか知りませんが、お楽しみになっていってください」
別の世界に人間と線を引かれたか。何故か悔しい。




