四
アデライーダと呼ばれた娘は人目もはばからず不愉快そうな様子を見せ、子爵夫妻は困惑しているようだ。一度口に出したのだ。俺は構わず続けた。
「士官学校に入る前ですから、五年近く前になります。リンデンバウムの伯母の屋敷に挨拶に行った時に、偶然フロイライン・ハーゼルブルグの訪問がありまして、そこで伯母から紹介されました。それ以降は伯母の葬儀で会ったきりです。
アグラーヤ様はご健在ではないのですか?」
子爵夫人が、消え入りそうな声で言った。
「末の娘は息災です」
伯母の話ではアグラーヤ嬢は三女だ。アデライーダは二女なのだろうが、どうも仕草のはしばしが幼いというか、優雅さに欠ける。
「妹は外に出たがらないのよ」
邪険な言い方をした。
補うように、ホルバイン夫人、アレクサンドラが続けて説明した。
「アグラーヤは一緒に来ているのですが、体調が優れないと部屋にいるのです」
出てくる必要ないのよ、とアデライーダの呟きが聞こえたが、無視した。
「それは残念です。よろしければアレティンが来ているとお伝えください」
「ええ、そうしましょう」
「ご家族の団欒をお邪魔して申し訳ございません、これで失礼します」
俺は一礼した。場の雰囲気を乱したのだから、早々に立ち去ろう。
「ホルバイン殿、お誘い申し訳ないが失礼します」
「ええ、機会があればまた」
「はい」
俺が回れ右をすると、ホルバイン夫人が声を掛けてきた。
「ギルベルトを部屋に連れて行きます。途中までご一緒しましょう」
二女と違い、優雅な婦人だ。
「よろしいですか?」
一応夫にお伺いを立てなければ。
「ええ、どうぞ。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、子爵様」
ホルバイン夫妻は微笑みを交わした。仲のよろしいご夫婦だ。
巻き毛の坊主は汚れた顔をしたまま嫌々をしていたが、顔や手を綺麗にしたらおやつにしましょうと言われ、素直になった。ホルバイン夫人と並んで廊下に出ると、夫人は小声で話し掛けてきた。
「わたくしどもの様子を変だとお思いになったでしょう」
「何かご事情がおありのようですね。知らずにご無礼申し上げました」
「いいえ、こちらこそ、妹を気に掛けてくださったのに、何も言えませんでした。
なんというのか……、アグラーヤは縁談がうまくいかない、そんな事情があって、家族もどう接したらよいか判らないような状態なのです」
なんとか公爵だったか、よく覚えていない。
「アデライーダは、わたくしがもう縁づいているからいいだろうが、自分にはいい迷惑だとか言って、どうしても冷たくしてしまうらしいのです。
アグラーヤにアレティンさまのことをお伝えします。もしアグラーヤがお会いしたいと申し出た時は、会ってやってくださいますか?」
「私は独りで来ていますので、構いません」
「有難うございます」
二階に着いて、わたくしどもの部屋はこちらですと、夫人とその場で別れた。俺は三階の自分の部屋に向かいながら、あのじゃじゃ馬娘が部屋に籠もりきりなんて余程の出来事があったのだろうと考えた。あの人数に囲まれるのはいい気分とは言い難いが、アグラーヤと話せるのなら我慢しよう。伯母との思い出を共有している人だ。鈴蘭の女性との。
その日の夕食をご一緒したいとハーゼルブルグ子爵から連絡があった。アグラーヤも同席するので是非にと、伝言を受け、俺は了承した。