十四
ロシア大使館の舞踏会には軍服ではなく、礼服姿でロジェフスキとともに紛れ込む。くたびれた様子を顔や仕草に出さないように振る舞うのが、街頭を歩く物売り屋のごとく洒落も工夫も通り一遍で、我ながら情けない。
「今日は活躍したんだからもっとシャンとしろ。我々は手柄を立てたからといって勲章をもらえるような類いの仕事をしていない。影の存在だ」
「称賛されたいのではありません。アレクサンドル2世の滞仏中の行動に付き合いきれるか自信が無くなりそうなんです」
ロジェフスキは、厨房に連れていかれる家鴨を見るようだった。
「それは慣れるしかない」
「努力を続けます」
皇帝や大公たち、駐仏ロシア大使の様子を伺いつつ、一人のご婦人から誘いの視線を受け、踊りを申し込みに手を差し出した。
「ご機嫌よう、わたしを覚えていらっしゃるかしら?」
ご婦人は魅力的に微笑みかける。フランスのご同業者と競馬場で一緒にいた女性だ。
「ええ、覚えておりますよ。あの時はご紹介いただけませんでした」
「曲が終わったら、少しお付き合いいただけるかしら?」
「ええ……?」
舞踏の曲が終わり、一礼して、手を取り、婦人が進む方へと行くと、件のご同業者がいた。由緒ある貴族の佇まいであるのは競馬場で見掛けた通り変わらない。尊大さを見せず、かといって気品を崩さず、丁寧に話し掛けてきた。
「名乗るのは初めてになる。私はエドモン・ジョゼフ・ド・リオンクール侯爵だ。ローデンブルク伯爵とは直接の血縁は無いが、叔母がローデンブルク伯爵の一族と結婚していてね、結構密に連絡し合っている」
縁とは異なものだ。ここで感心している間はないな。
「自分はオスカー・フォン・アレティン大尉です。ローデンブルク伯爵の奥方の妹君とは長年の友人です」
侯爵は事情を全て頭に入れているようだ。表情に反応は見せない。
「こちらは私の友人のマダム・ド・デュフォール」
「ポーリーヌで構いませんわ」
お互い初対面ではないが、改めて、如何にも社交的態度を気取って挨拶を交わした。
「ブローニュの森の沿道で拳銃を持った男がいると声を上げた人物がいたが、その人物は狙撃犯が実際いた場所より離れた所にいたと、見ていた密偵の一人がいてね。陰謀を企てて実行犯を使嗾した者がいるのではと後を付けた。その者はプロイセン大使館に入っていったと報告が入った。それが貴官だった」
舌打ちしたくなる気分を抑えた。尾行に気付かなかったか。まだまだ俺は未熟者だ。
「こちらは警告をした。その上でまたフランスを益する行為をしたのだから、感謝してもらいたい」
知らぬうちにロジェフスキが侯爵の後ろに回っていた。
「そうだな、いくら感謝しても足りないくらいだ。大きなツケにならないうちに返したい」
ロジェフスキは今度こそ羽を毟られ、釣り下げられた家鴨を見る料理人のように笑った。
「プロイセンの宰相閣下は自分を狙撃しようとした学生を自ら捕らえたが、元大統領閣下には無理のようでしたな。多勢を恃まなくても、武器を持てば強くなれると錯覚する人間がいる限り、用心に越したことはない」
「肝に銘じておく。詳しい尋問はこれからだが、犯人は波蘭土人だ」
波蘭土系らしいロジェフスキは一瞬痛みを堪えるような顔になった。ああ、そういえばあの小娘の家もそうだ。祖先の土地と現在のロシアやプロイセンの在り方への想いは単純ならざるものだろう。だが、ロジェフスキは現在プロイセンの側の人間だ。
「犯人がどこの国の人間であれ、貴国内での事件なのだから、貴国の不面目だ」
侯爵が目を眇めた。耳が痛いだろうが事実は事実だ。張りつめた雰囲気を変えようと、俺はわざとのんびりした口調で言った。
「群衆の前であれだけの騒ぎだったのですから、隠しおおせないでしょう。巴里でロシア皇帝が受けた被害を黙っていてはロシアの世論にも影響します。新聞などに公表するのでしょう?」
「詳しい供述が取れ次第そうなる。そして、我が皇帝陛下と皇后陛下はアレクサンドル2世とあの公爵令嬢のご機嫌取りをどうしようかと悩みながら、あれこれと贈り物を抱えてきている」
「それはもうお偉いさんがたの交渉ですから、我々は何もできませんね。これ以上何も起こらないよう祈り、不審な動きの者に目を離さないでいるしかありません」
「もっともだ」
この場の険悪さを避けたいと感じているのは俺だけではないようだ。マダム・ド・デュフォールは今度はロジェフスキに、「わたしと踊ってくださるかしら」と誘いを掛けた。
「気分を改めるにはそれが一番よろしいようで」
と、二人は手を取り合ってその場を去った。
侯爵はやれやれと肩をすくめた。
「こちらは素直に礼を言いたかったのだがね。
感謝するよ、アレティン大尉」
「どういたしまして。どこかでお世話になるかも知れませんから、その時は遠慮なくご厚意に縋ります」
「そうならないように願うね」
「ご機嫌よう、侯爵様」