三
ホルバインはテラスから中へと誘おうとする。散策を終え、ホテルに戻ろうとしていたのだからこちらは断る理由がない。ただ、俺の顔が引きつってないかが気に掛かった。
夫人が金髪の坊主の手を引きつつ、
「やはりこの子は乳母と部屋に置いていれば良かったのよ」
と、素気なく夫に告げた。
「付いてきたがっていたのに可哀想じゃないか。それに、部屋の中ばかりでは、体力が付かない」
そうでしょう、と同意を求めるように俺に顔を向ける。家族間の教育方針が対立しているのに、他人を巻き込むなよ。
「子どもが元気よくしているのは楽しいですが、ご自宅ではともかく、お出掛け先では行き届かぬことも多いでしょう」
と曖昧に答えた。
「まあ、だから転んだとも言えますね」
と、ホルバインは苦笑した。テラスから屋内の食堂に入った。
「ああ、妻の家族です。よろしければお茶をご一緒しませんか?」
夫人の視線が気になる。
「いえ、ご家族で楽しんでいらっしゃるのに、水を差すような真似はしたくありません。遠慮します」
小さく夫人が笑った。
「わたくしの父以外は女ばかりで、夫は話し相手が欲しいのですわ」
「おい」
「だってそうでしょう、一人で外に出ていってしまうのですもの。でも、アレティンさま、無理なさらないでください」
妻だけならともかく、妻の両親や姉妹に囲まれたら、そりゃあ気詰まりだろう。だが、俺だって気詰まりになりそうだ。
「紹介だけでも受けてくださいよ」
ホルバインは愛想の良さを崩さずに懇願した。はあ、と返事にもならない返事をして、俺は、その妻の家族とやらが座るテーブルに一緒に歩み寄った。
「義父上、今、そこで知り合いました。転んだジルベルトを助け起こしてくださった、オスカー・フォン・アレティンどのです。
アレティンどの、こちらが私の妻の父、ヨハン・フォン・ハーゼルブルグ子爵です。隣が妻の母のエリザベート、こちらが妻の妹のアデライーダです」
ハーゼルブルグ子爵? どこかで聞いた名前だ。
「初めまして、オスカー・フォン・アレティンと申します。カレンブルクの南部の軍団に勤めております」
子爵は立ち上がって、右手を差し出した。
「初めまして、孫がお世話になったそうで、感謝します」
歓迎されているらしい。俺も右手を出し、握手した。
「当然のことをしたまでです」
女性陣は、初めましてと口々に言いながら、値踏みするように俺を見た。妹と紹介された若い女性が、目を大きくして、話し掛けてきた。
「もしかしたら、リンデンバウム伯爵の甥御さん?」
「はい、先に亡くなったリンデンバウム伯爵は私の伯母です」
両手をぱんと合わせ、ややはしたない仕草で笑いながら、若い女性は家族を見回した。
「以前、リンデンバウム様のお葬式の時に会った甥御さんだわ。本当は初めましてじゃないのね」
そう言えば、葬式の場だというのに、伯母の知り合いの女性たちに取り囲まれたことがあった。その時に会った女性たち一人一人の名前と顔など覚えていない。
「失礼しました。取り乱していた時ですので、覚えておりませんでした。
取り込みの場でなければ、お美しい方々を忘れたりはしないのですが」
何が可笑しいのか皆目判らないが、女性はくすくすと笑い続けている。
「悲しみの場で覚えていなくて当然だ。アデライーダははしゃぎすぎる」
子爵は困ったようにたしなめた。
「そうでしたか、リンデンバウム伯爵とご縁のある方でしたか」
と、ホルバインが言った。とすると、この男も爵位持ちか。
「直接の面識はなかったのですが、よくお話で聞く方でした。
ああ、アレティンどの、難しいお顔をしないでください」
やはり顔に出てしまうか。ハーゼルブルグ子爵の名を聞いた時から気になっていた。あのじゃじゃ馬娘、名前をなんといったか。
「伯母の家でこちらのお嬢様のご紹介を受けたことがございます。確か、お名前をアグラーヤ様と記憶しておりますが、あの方はおいでではないのですか? ご結婚なさったのですか?」
その場の空気がさっと凍り付くのを感じた。