六
夜のオペラ座で来仏している王侯はほとんど顔を揃えた。新しいオペラ座を万国博覧会まで完成させる予定だったそうだが、その場所は地下水の水脈の真上に位置していて、竣工できず、オペラ座の場所は変わっていない。それでもなお巴里のオペラ座は素晴らしい佇まいだ。俺は中に入らず、周囲を見回っていた。
歌劇が終わり、小波のように、次いで鉄砲水ほどではないにしても、人が一気に外に出てくる。馬車を回して乗り込むフランス皇帝夫妻や招待客たち。そのまま歓迎の晩餐会の会場テュイルリー宮に移動だ。
徒歩でそれをゆっくりと追う。勿論後でこちらも馬車を使うが、王太子殿下夫妻もロシア皇帝一家もこの場にいらっしゃる、無事の出発と不審がないかを確認してだ。
万歳の歓声があちこちで上がり、歓待ぶりはいつでも変わらないように見えた。安堵の思いで、力が抜ける。ガス灯の灯が揺れる中、巴里の人々は高貴の人物を迎えている優越と、その人々が満足げにしている様子に一緒に酔い痴れているかのようだ。何事もなく、終わってもらえるか。
街路の群衆を見回していて、はっと緊張を感じた。
昏い、それでいてある種の熱狂を孕んだ視線。向かいの歩道からの大勢とは異なる表情。
誰だ? 俺は目を凝らした。
あの男だ。昨日見掛けた青年。右手を懐に入れて、かれの視線を辿った先にあるのはロシア皇帝一家の乗った馬車。
その右手は?
俺は青年に向かっていつでも駆け出せるようにと、身構えた。しかし、青年は動かない。どうする?
青年は右手を懐から出した。息が止まる。
右手は何も持っていない。
さあ、これからどうする?
俺は動かず、動向を見守る。
青年は不意に力を落としたように、後ろを向いて、その場を立ち去っていこうとする。貴賓の乗る馬車が次々と走る通りの向こう側に渡るには時間が掛かり過ぎる。今、俺一人で、応援がいない。
ロシア皇帝は無事に出発し、王太子殿下夫妻も続いている。この場の危険は去ったと判断して、次の警備場所に移動。ロシア皇帝が標的なら、それは俺が捕まえるよりも、報告事項だ。




