五
参謀本部への報告をまとめ、暗号にして、電信を依頼した。フランス部の少佐は、俺が気にした青年を重視するだろうか。
後は俺が悪党になりきる度胸があるかどうか、か。
喉が渇いたと、食堂近くに行くと、先にシュタインベルガー大佐とハウスマン少佐が一服しているのが見えた。大佐が俺に気付いて来るように手招きした。
「紅茶だが、大尉はどうかね?」
俺は愛想よく答えた。
「いただきます」
少佐がカップを揃え、大佐がポットを持って注ぐ、サービスだ。機嫌がいいのかな。二人は、今日の王太子殿下がベルギー国王と日本の公子との会見を話題にしていたようだ。会話が続く。
昨年、フランスは情勢の不利や軍備拡張の廃案からメキシコから撤兵。メキシコ皇帝となっているオーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフの弟マクシミリアンは欧州諸国から米大陸に取り残された格好になった。メキシコ皇帝の妻シャルロットはベルギー国王レオポルド2世の妹だ。そのシャルロット皇后は夫を見捨ててくれるなと、単身ヨーロッパに戻って、フランスのナポレオン3世をはじめローマ教皇にまで直訴して回っていたが、全て空振りとなり、遂に恐慌状態に陥った。皇后の次兄に当たるフランドル伯爵が見兼ねて強引に故郷に連れ帰り、症状が落ち着くまではと城に隔離されているという。そんな中でも上の兄であるレオポルド2世はナポレオン3世への態度は冷静、かつ友好的であるらしい。
「国王の義務の顔なのでは?」
「元々兄妹仲が良くなかった所為もあるらしい。ただ一人の娘を前王が溺愛していたのが、気に入らないとかで」
「王族でも、庶民でも変わらないところがあるようですね」
「親から認められたい感情は誰しも持つが、そこから長じて優れた統治者になりたい、より名誉ある地位を得たいと願うのが王族だ。
バイエルンの公女が皇后で、ベルギー王女の自分が大公妃なのが我慢ならないと、マクシミリアン大公を焚き付けたはいいが、結果がこれでは人前に出せないと周囲から判断されなくなるほど、様子が変わってしまうのも仕方ないだろう」
「ベルギーの国益について、アフリカや東洋にレオポルド2世の目が向いているようだから、メキシコに手を出したくない所が本音じゃないですかね」
「レオポルド2世は熱心に日本のプリンツ・アキタケにベルギーの鉄鋼業を説いて、ヨーロッパ式の軍備を日本で整えたいのなら、ぜひ我が国の鉄を輸入してくれと売り込んでいた。プリンツ本人よりもお付きのサムライたちが驚いていたくらいだった」
「東洋の一国では大分習慣が違うらしいぞ。サムライの鍛錬の乗馬や古の儀式での馬比べはあっても、上流階級の人間まで加わっての馬の到着順を賭け事にする興業はないと、皇帝同士の高額の賭けに慷慨していてね。
どうも日本では政治の話が高等で、商売や金の話は卑しいととらえられるようだよ。国王自ら自国の商品をと国の代表といってもほんの少年にするのだから、どう対応したらいいものかと、困っていて、我が王太子殿下が察して話題を変えてくださった」
俺は顎に手を当てた。
「日本はプリンツだけでなく、為政者側も初心なようですね」
みんなで肯き、大佐は真面目くさって、話をまとめようとした。
「どこの国でも多少の差はあれ、内憂外患は抱えている。日本も例外ではないらしい。プリンツの本家ではヨーロッパの大国を味方に付けられればいいと、大君の代理で弟を寄越してきた。日本の別の勢力の家が巴里にも乗り込んできているから、東洋の国も平和ではないのさ」
翌六月四日、夜更かしが過ぎたのか、ロシア皇帝一家は午前中はエリゼ宮にいた。昼過ぎから起き出したようだ。夜にはナポレオン3世の公式招待でオペラ座での観劇とその後の歓迎晩餐会がある。
昼下がり、それでも花の都で寝て過すのは勿体無いとばかりに街中に出掛けた。当然俺もそれを探りに出掛けた。どこでも外国の賓客を歓迎する様子で、昨夜見掛けた青年がいない。俺の取り越し苦労ならそれでいい。火薬の匂いは花火だけで充分だ。
ベルギー国王が徳川昭武に自国の鉄製品の売り込みの話をするのは、万博中のパリではなく、この年の秋に徳川昭武一行がベルギーのブリュッセルを訪問した時です。ちょっとイタズラして、会話に入れました。
パリの万国博覧会には日本の代表として幕府からの出展だけでなく、実質薩摩藩が代表として琉球王国の出展をしていました。