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君影草  作者: 惠美子
第十八章 祭りの始末
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 日曜日、晴天に恵まれ、キリスト教徒としては心を落ち着けて祈りの日を過してしかるべきなのだろうが、朝っぱらから他人の色事を見物してすっかり毒された。新婚の二男と一緒に巴里に来ているのに、息子と恋を囁き合ってもおかしくないような若い娘と、こちらが呆れかえるほど熱烈な逢引きを見せつけられては、皇帝の動向を探るのが仕事とはいえ、石を投げつけたくなる。(そこは我慢したに決まっている)

 今日の午後はフランス皇帝ナポレオン3世の主催での競馬だ。主催者は勿論、フランスの貴族たちや大事業主、そして先に来仏しているプロイセンのフリードリヒ王太子殿下、ベルギー国王レオポルド2世、ロシア皇帝アレクサンドル2世と二人の息子たちが列席されている。俺は大使館の駐在武官と、本来の姿をして、ブローニュの森の中のロンシャン競馬場に顔を並べている。

 朝の光景はすぐにご同業者の報告からフランス宮廷や政府高官に筒抜けになっただろう。まあ、こちらも早速ゴルツ大使にご注進したのだから、他人のことはとやかく言えない。

 安息日、いやロシア皇帝はギリシア正教なのだから、安息日は土曜日だったか? それでも日曜日はあちらだって礼拝はするのだろうから、主はきっと苦笑なさっている。

 プロイセン大使の後ろに控え、辺りに注意を払っているのがそもそもの役目でもある。決められた席の周囲を一通り観察しようと、断りを入れて席を立った。特に変わった作りは無し、注意を引くような目付きでこちらを窺うような輩も無しか。

 列席なさっている貴賓の席の端に、見慣れぬいでたちの子どもがいる。顔立ちからしてヨーロッパ人ではない。服に埋もれるようにして、小さな体で座っている。どこの国の代表だろう。

 子どもを観察していると、向こうから、朝、ロシア皇帝の密会時に見掛けたフランス人のご同業者が婦人同伴でこちらに歩み寄ってくるのに気付いた。武官ではない。貴族らしい、伊達な着こなしの服装をしている。腕を組んでいる婦人からしてブルジョワではなく、貴族の婦人らしい品の良さがあるし、宝飾品がにわかなものではなく、古風な作りであるのが見て取れる。かれはどれくらいの身分の貴族なのだろうか。

“Bonsoir,Monsieur.”

 見知らぬ者がすれ違うように、さりげなく挨拶をしてみた。

“Guten tag,Herr.”

 と、ご同業者は返し、次いでフランス語で続けてきた。

「それが本来の貴官の身分ですね、将校さん」

「ええ、貴方もそのようですね」

 相手はにっと笑った。

「貴賓席で何か? 我が皇帝とロシア皇帝が派手に賭けをしていますよ」

「いえ、見慣れない服装、襟を重ね合わせるような服をした子どもがいたので、つい足を止めて見入っていました」

 ご同業者は貴賓席を見た。

「ああ、あの方は日本(ジャポン)大君(タイクーン)の弟ですよ。プランス・アキタケ」

「だとすると、日本の大君は若いのですね。弟があんな子どもなんですから」

「いや、大君は三十歳くらいと聞いています。あの公子(プランス)は十四歳です」

「十四歳?」

「違う民族の年齢は見た目で解りづらい。

 では失礼」

 女連れだ。これ以上引き留めるのは、不審を呼ぶし、野暮だ。

「こちらもお引き留めして失礼しました。有難う」

 同伴のご婦人はご同業者に小声で俺が何者か尋ねていた。ご同業者の答えを聞いて、実に艶めいた流し目で振り返り、微笑みかけくれた。ご婦人向けの無害そうな微笑を返した。もし二人きりになる機会があれば、フランス女性の手練手管を実地で教えてくれる可能性がある。愛想は無料(ただ)だ。

 プリンツ・アキタケは年齢より大分幼いというか、小さく見える。十一、二歳と言われても信じるだろう。皆大人の王侯ばかりの周囲に、威厳を出そうと頑張っているような印象だ。遠い国、(シン)よりも遠い場所にある島国の日本からやって来て、異国の王侯との挨拶や慣れぬ儀式に窮屈な思いをしているのに違いない。そこは人からかしずかれて暮らす者の義務だ。幼く見えてもそれを知って、祖国の名を汚さぬよう、大人と変わらぬように振る舞っているのだろう。少しばかり同情する。

 徳川慶喜の異母弟・昭武は嘉永六年(1856年)九月生まれで、満年齢で十二歳、数えで十四歳でした。パリの万国博覧会やヨーロッパ諸国への訪問による日本や徳川幕府の存在のアピールと、将来の為の留学を兼ねて渡欧中でした。

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