八
貴賓が観劇するとなれば急なご来訪となっても、末席には座らせられない。舞台を観易く、そして観客への愛想を振りまくのに丁度良い角度の特別席。
ダフ屋で慌てて切符を買った我々の席は、観劇するには舞台の真正面で良いのだが、ロシア皇帝を観察するには斜め上を向かなくてはならず、ちと辛い。婦人を連れずに桟敷席に男二人で並んで座るのは恰好がつかないのだから、これはこれで仕方ない。
「アレティン君はこういう時に同伴する婦人のアテはないのか?」
ロジェフスキの言葉に一瞬黒髪の女性が脳裏に浮かんだ。名前も知らないじゃないか。
「残念ながら。これから探すことにします」
「詮索せず、噂話もしないご婦人はいないから、あまり真剣になるなよ」
こちらが噂を仕入れたり、お喋りから意外な情報を拾い出したりは助かるが、逆になっては困る。こちらの目的を知らせずに女性と付き合うのは、厳しさがある。
「遊戯の場くらいは付き合ってもらえる女友だちもいいでしょう」
「卿の容姿なら苦労しない」
褒められたとしておこう。
「有難うございます」
劇場にアレクサンドル2世と大公たちが姿を現し、皆、一斉に起立した。礼の後着席し、指揮者が合図をして、序曲が流れ始めた。
幕が開き、舞台はどうやら戦場の近くのようだ。兵隊たちが前線の憂さを晴らすように歌っている。見るからに笑いを取る為の将官が出てくる。
若い兵卒が恋人とじゃれたりなんだりしている。
軍隊を明るい調子でからかっている訳だ。なかなかタイトルロールの女大公が出てこないと思ったら、前線の視察といった格好で出てきた。そしてさっきまで恋人とじゃれていた若い兵卒を気に入り、昇進させると言い出した。
いくらなんでもそりゃ無茶だ。軍の規律を何だと思っているのか、案外これは軍の強化に成功しているプロイセンを小ばかにしているのかも知れないな。
この展開はお芝居だからとしか言いようがない。
若い兵卒は昇進して、見事に活躍し、女大公の期待どおりとなり、女大公は口説きにかかるが、宮廷の言い回しを知らない元兵卒は理解できず、元々の恋人と結婚しようとしている。ああ、ドタバタとした喜劇の結末が読めてきた。これなら、軽快な音楽を耳で楽しみつつ、本来の仕事に集中できそうだ。
歌いながら、特別席のロシア皇帝に視線を向ける歌手に、皇帝は愛想よく肯き返している。
「女大公役の歌手にイングランド王太子がぞっこん惚れ込んだそうですが、どうやらロシア皇帝陛下もお気に召されたようですね」
「ああ見えて皇帝陛下は若い頃から情熱家だ。多分閉幕後に、役者たちが席まで挨拶に行くと思うが、どんな態度で接するか、見ものだ」
五十近いとはいえ、スラリした長身は、同じ長身でも筋肉質の皇太子よりはご婦人受けしやすいだろう。
フィナーレが終わり、拍手喝采で幕が閉じると、早速主要な役柄の歌手たちが皇帝の席まで挨拶に来た。皇帝も大公たちも大喜びで、特に主演のオルタンス・シュネデールを奪い合いように代わる代わる手を取っている。
「公演は万博中続くからお持ち帰りはしないだろう。多分巴里にいる間、時間が空けばここに芝居を観に来るか、歌手の機嫌伺いに来るだろう」
「無茶を言い出さなければ、多分そうでしょう」
「端役の歌手や踊り子ならともかく、公演中の主演女優をさらったら、いくらロシア皇帝でも外国ではやり過ぎと囃される」
劇場を出て、皇帝一家が馬車に乗り込むのを確認した。
「大人しくエリゼ宮に帰還されるようだ」
「今晩はよくお眠りになっていただきたいです」
ロジェフスキは慣れたようにこう言った。
「明日以降もお出掛け先が満載だ」




