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君影草  作者: 惠美子
第十七章 喜劇は続く
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 ロシアのエカテリーナ2世とくればプロイセンのフリードリヒ大王と同時代の人物なのだから、前世紀の皇帝だ。外国から嫁いできたが、夫のピョートル3世を廃して帝位に就き、為政者として秀で、大帝の称号で呼ばれる。数多くの愛人を持ち、夫のピョートル3世との息子のほかにも、愛人たちとの間に子を生した。

 愛人の中には政治家や軍人として優秀な男もいれば、恋愛遊戯にしか役に立たない者もいただろう。ドイツ諸邦の一領主の娘でありながら、大帝の称号を得たと多少の親近感があるのだが、多情であったと揶揄されるのが残念な面だ。

 寵姫や非嫡出子を持った男性君主が存在しているのに、女性君主の数が少ないのと、男が女に気に入られて楽に出世したと男からの妬みがある。女性が若さや美しさで権力を持つ男性に見初められて出世すると同様なのに、世の中の扱いが違う。世の中の仕組みを作っているのが男だから、男の都合の良いようにできている。一人、二人、傑出した女性が現れても、仕組みをまるきり変えられない。男と女はほぼ半々ずつ存在しているはずだが、権利のある所に義務ありきで、男が馬車馬の如く働かされているような気がしないでもない。

 喜歌劇の内容がどこの国をモデルにしていようが、所詮は面白おかしく楽しむために作られた演目の一つに過ぎない。本気になってモデルを特定しようとしたり、不謹慎と怒ったりしたら、それこそ創作者から莫迦にされ、大衆から笑われる、全く以て労力の無駄だ。高貴の方々は憧憬の対象であるとともに、戯画や模倣の対象でもある。庶民の息抜きの悪戯くらい笑って済ますのが、支配者の度量だ。

 それでも、職務だ。俺とロジェフスキはエリゼ宮の周辺を歩き、皇帝たちの宿泊の居室の場所のあたりを付け、大使館に戻った。今晩のロシア皇帝の予定を報告して、ダフ屋を頼って、今晩のヴァリエテ座の公演の席を手に入れた。必要経費だ。

 巴里の街のあちらこちらにある鉄骨でガラスの天井を備え付けた通りがパサージュ。天候を気にせず散策や買い物ができる。昼に陽光を受けた明るい中を、別のパサージュで歩いた。まだ雨粒が降りしきる所は観ていない。観光、社交場、様々な場所にガラス張りの天井を備えた通りがある。その一つのパノラマ通り。イタリアン大通りからモンマルトル大通りへ進み、モンマルトル大通りから入る小路がパサージュ・デ・パノラマ、すぐ脇が今晩目指すヴァリエテ座だ。

「『ジェロルスタン女大公』の作曲者のオッフェンバッハ、フランスの発音で言うとオッフェンバックか」

「その点はどっちでもいいじゃないですか。生まれ故郷よりも巴里で成功したなんて、芸術家には珍しくもない」

「バイエルン国王のお気に入りのワーグナーは巴里では受けなかったそうじゃないか」

「初演が失敗だっただけで、熱心な支持者が付いたそうですよ」

「シャルル・ルイ=ナポレオン、ブオナパルテの甥っ子は、世渡りが下手なようで、上手く巴里を発展させている」

 そこは皇帝の役割を果たしていると認めざるを得ない。伯父と違ってヨーロッパの王室から縁組を嫌がられた果てに、スペインの――王族ではない――貴族の女性と合意して結婚して、変わっているというか、自身の欲に忠実と言ったらいいか判らないが、ひとまずは為政者の義務を理解している人間なのだろう。女好きと派手に言われているのは身から出た錆である。

 こちらは男好きと言われる女性君主が主人公の喜歌劇を、礼儀に適った社交用の身なりで観劇しに行く。どちらが喜劇か、傍から見たら判るまい。

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