九
先に立って案内していた侍女が扉を開けた。俺はそのままレヴァンドフスカ嬢の手を取りながら、部屋に入り、小娘を椅子に掛けさせた。
「小官はこれで失礼しますから、お茶は不要です」
侍女は人に慣れない子犬みたいに、俺と小娘の様子を窺った。侍女の性質なのか、いつもこの家の人間たちは使用人に高圧的なのか、年端もいかぬと言われる年齢を超えているのに、扱いにくい。
「大尉、少しくらいいいじゃありませんか」
「大使の馬車がそのままです。馬も御者もそのまま待たせていないで、早く戻って仕事を終わらせてやりたいのです」
小娘はさも感心したように、言い返した。
「お優しいのですね」
「いい仕事をしてもらいたいのなら、気紛れで振り回すのはよくありません」
「使用人だってお給金分の仕事をするのは当然でしょう?」
「ええ、当然です。小官も忠誠を誓った国家から給金をいただいております。しかし、命を賭ける仕事です。軽んじられたくありませんね」
「判りました。大尉を見習います。
テレーザ、あなたの仕事は今晩は終わり、下がっていいわ」
「でも、お嬢様、お髪の手入れも何も……」
「いいから、一旦お下がりなさい!」
テレーザと呼ばれた侍女は、うつむいて、かしこまりましたと、下がっていった。また始まったと思ったのか、怒ったのかは知らない。未婚の令嬢と男性を二人きりにしたと咎められたくないだろうから、多分、扉に貼り付いているだろうが。
「呆れておいでなの?」
「この状況? それとも貴女の態度に?」
「貴方の態度だってよろしいとは言えないのではないのかしら? わたしやデュ・シャトレーの奥様がいらっしゃるのに、ほかの女性に声を掛けようとして、失礼じゃないですか。流石に洋裁店の女性たちも用心していらしたわ。
殿方が特に女性を連れていないと、どこに目を付けるか、実例を拝見したと思いましたわ」
お説教を始めようというのか。
「貴女の兄上が、華やかな女性たちに目を向けず、父上や大使たちと一緒になって投資や銀行の話に興味があるとは知りませんでした」
レヴァンドフスカ嬢は持っていた扇をポンと卓に放り出した。
「兄は天文や数学が好きですから、計算や数字の話なら何でもいいんです」
未婚の娘と大事にされていても、父や兄とは話が合わない、理解できない、そんなところで退屈なのだろうが、俺はそんな頭の良くない小娘の寂しさを紛らわせてやるほど親切に性格ができていない。
「大尉はもう少し柔らかい喋り方をなさった方がよろしいですわ。ここは野戦場ではございませんもの」
「無理ですね。はっきり言いましょう、伯爵令嬢。
俺にとっては公爵夫人も、街頭の花売り娘も女性であることで同等。同じです。
こうして目の前にいる貴女もだ」
掛けているレヴァンドフスカ嬢の両肩を押さえつけた。きゃっとか、わっとか、相手は声を上げた。しかし、侍女が飛び込んでこない。とくと焦るがいい。
「いいですか。貴女が、侍女や洋裁店のご婦人たちを軽く見ているのは、貴女の主義なのでしょうからいいでしょう。
しかし、俺が貴女や娼婦を同等に見ようとも、それが俺や大多数の男の主義だとしたら、この状況をどうする? 侍女を部屋から追い出したのは貴女自身で、何が起こっても、責められるのは貴女自身。判っているのか?」
ぐいと、肩を更に押さえつけ、ドレスの襟ぐりに手を掛けた。
今にも泣きさけばんばかりの、情けない顔。整った高慢な顔がくしゃくしゃに歪んだ。怯えきって声も出ないらしい。俺は手を離した。
「とにかく、男に油断して、軽々しく近付けてはなりませんよ」
俺は足早に部屋を出た。これだけ怖がらせておけば、二度とちょっかいを掛けてこないだろうし、惨めな表情をさせてやって満足した。あの小娘が父親に何を言い付けたとしても、いくらでも言い逃れはできる。実際あの娘のこれからの結婚の契約に障害になることはしていない。部屋にいた時間の短さだって、侍女が言いくるめられても、宿の者や御者が記憶していてくれる。
全くとんだ茶番劇だ。さっさと大使館へ戻ろう。




