七
外出から戻って一日の行動をまとめて報告していたが、夕食の話題として、あれこれと尋ねられた。
「イタリアン大通りにはイタリア座があって、今度の金曜日に大使と赴く劇場だ。下見をしてきたのかね?」
「下見といっても外から見るだけでした。それに、昼間と夜とは雰囲気が違いそうですね」
シュタインベルガー大佐は肯いた。
「それもあるし、あの通りの飲食店によっては夜通し開けている店もある。服飾や宝飾の店も多いが、夜はそちらが盛り上がる」
「夜通しの酒盛りですか?」
フランス人はそれ程痛飲するのかと疑問に感じていたら、大佐はやれやれといった感じで首を振った。
「飲食店の個室は何の為にあると思う?」
訊いた俺が野暮だった。浮気を粋と心得る者たちが個室で何をしていようが知ったことではない。
「野戦の為の軍団にいると、遊びとなると賭け事ばかりです」
「貴官は、巴里に来たからと羽目を外すような輩ではないようだから、その調子なら安心だ。真面目に職務をこなしていけるだろう」
褒められていると解釈しておこう。
「有難うございます」
ハウスマン少佐はまた違うことを話し掛けてきた。
「カフェ・アングレなんて個室もあって、値段も高い店に行っても料理を味わうどころじゃないような気もするね。気後れするような立場ではないが、つまりは貧しい労働者階級を寄せ付けないようにしている。フランス人の軽佻浮薄さが出る場所だ。
それに、セーヌ左岸にも面白い場所がある。
サン・ジェルマン・デ・プレ教会やリュクサンブールが有名どころだが、百貨店のボン・マルシェの近くに人気のある礼拝堂がある。そこの修道女が作って配っているメダイユにご利益があると評判らしい。コレラが流行した時にそのメダイユのお陰で、沈静したと巴里の信心深い人たちは信じているらしい」
「聖人のご加護がある場所なのですか?」
「その修道女が聖母マリア様からのお告げを受けたそうだ。お告げの内容を刻んだメダイユを作れと。それを身に着けていれば、大いなる恵みが与えられるそうだ」
カトリックの国の話だな。
「カトリック教会と違って、聖母マリアへの崇拝が薄いプロテスタントにもお恵みがあるのでしょうか?」
「天からのお恵みに区別はないと信じれば、それで構わないのじゃないか? 我々は聖職者ではないのだから。それに勝利の女神像を首都の門に飾っているが、偶像崇拝の罰は当たっていない」
それもそうだ。
大佐が咳払いをした。
「フランス人と同席したら、その手の話はしない方が賢明だ。信心深くない同士でも、習慣が違うと厄介な話題になる」
そうですねと、相槌を打ちながら話題を変えた。
「その修道女の礼拝堂もですが、ボン・マルシェも面白そうな場所だと聞いています」
「行けば帽子から靴まで揃えられるそうだからな。自宅にそれぞれの職人を呼び寄せて誂えさせるよりも手間暇が掛からないし、その場で現金払いで持って帰れるから、手軽に着せ替えするには便利だろう。
貴官の年齢や外見から、学生と名乗っても無理がない。下町にも昼と夜の顔を変える場所もあるが、まずは少しずつ偵察して慣れてみたらいい。その場にあった服装や仕草もあるだろう。
若いのなら順応できるだろうから」
大佐はあちこちと動き回ろうとする俺を、蟻か蜜蜂のように見ているのかも知れない。からかっているように見える。地理上あちこち探るのなら、蟻でも蜜蜂でも伝書鳩にもなってやるさ。
嫌味で言っているのでなさそうなのが、大佐の品の良さだが、こちらは胸の中が泡立った。
パリの第7区に「奇跡のメダイユ教会」があります。メダイユはフランス語やドイツ語でのメダルです。1830年に修道女のカトリーヌ・ラブレの前に聖母マリアが出現し、そのお告げの内容をメダルに刻みなさいと使命を与えたと伝えられています。
現在、世界で最初の百貨店ボン・マルシェの向かいにあります。
参考 『街角の遺物・遺構から見た パリ歴史図鑑』 ドミニク・レスブロ 倉持不三也訳 原書房
『十八世紀 パリの明暗』 本城靖久 新潮選書
『都市計画の世界史』 日端康雄 講談社現代新書
『るるぶ情報版フランス ❜13~❜14』 JTBパブリッシング
『バルザックの時代の街を歩く 失われたパリの復元』 鹿島茂 新潮社
『パリ・世紀末パノラマ館』 鹿島茂 中公文庫
『パリ時間旅行』 鹿島茂 中公文庫
『マンガギリシア神話』全8巻 里中満智子 中央公論社
『マリアのウィンク 聖書の名シーン集』 視覚デザイン研究所 編 株式会社視覚デザイン研究所
『天使のひきだし 美術館に住む天使たち』 視覚デザイン研究所 編 株式会社視覚デザイン研究所