五
巴里の見取り図を見ながら、考える。まずは大使に付き従ってセーヌ川の右岸の新しく華やかな地区から回ることになるのだろう。シャン・ド・マルスの万国博覧会の会場にも行くだろう。そしてルーブル宮の美術館。皇帝や貴族、ブルジョワの暮らす右岸の場所からだんだんと外回りの十八区から二十区辺りまで、そして左岸の「ボン・マルシェ」を始め、カルチェ・ラタンやモンパルナス。誂えた服で出歩くのが不自然な場所まで行くようなら、古着屋か「ボン・マルシェ」の「吊るし」の服を見繕おうか。
大使館からシャン=ゼリゼ通りへ出て、エトワール広場の凱旋門を眺め、通りの店を見ながら、歩き、時間があればイタリアン大通りまで行ってみよう。お上りさんはお上りさんらしく、巴里の観光をしてみようじゃないか。軍服ではない姿で、かといって有閑階級のように自分を見せびらかすような伊達姿をせず、地味にまとめて外に出る。
シャン=ゼリゼ、ギリシア神話の死後の楽園「エリュシオン」の野を意味する通り。広く、歩道にはマロニエの木が並ぶ。少し盛りを過ぎたか、マロニエの花が咲いている。伯林のウンター・デン・リンデンとは印象がまた異なる。
これまで知らなかった緑と花の香りと風景。慌ただしく行く者、伊達姿を披露し、また道行く洒落者を観察する者。大通りは馬車も数多く通っていく。辻馬車もあれば個人の所有らしい手入れのいい馬車もある。時折耳障りな金属音が響いてくる。
ドイツ語ではない言葉が飛び交い、日の光さえ別のもののように感じる。
異郷の地に立つ物寂しさと、心浮き立つ思いが双方あった。去年の今頃はハノーファー軍との合同演習をするだのなんだのと、軍装の準備をしていたのが幻のように思えてくる。男ばかりの軍隊で、鉄と革と火薬、土埃だらけになりながら、必死になっていた。
それが今はこうして旅行者の顔をして、巴里の目抜き通りをふらふらと歩いている。シュミットが生きいていたら何と言うか、ブルックが知ったらどう思うか、詮無い感傷だ。
シャン=ゼリゼ大通りは自分の姿を見せ合いたい暇人ばかりがいる訳ではない。荷物を抱えた婦人が向こう側の小路から出てきて、俺のいる方向へ進んできた。大きさの割に重そうでないのは、かさばる布地か何かだろうか、ふと視線がいった。
“Bonjour,Monsier.”
視線が合ったかも知れない。俺は帽子のつばに手を掛けた。
“Bonjour,Madame.”
婦人はわずかな愛想を見せて、すれ違っていった。お針子なのかも知れないが、灰色の服を着ていたようでもなかった。振り返らなかった。俺はともかく、相手はお遣いの途中だろう。
巴里の女性は華やかだと少佐が言っていたのはたしかだな、とひとりごちた。
更に歩を進めると、西に、遠景だった星の凱旋門がはっきりと建物として見えてきた。
ナポレオン1世の建てさせた凱旋門、しかし完成はかれの死後だ。
星の広場に相応しい星の凱旋門。ここにも勝利の女神の像がある。門の上ではなく、門の柱に相当する部分の彫刻の中にいる。
勝利すれば敗北する者がいる。当然の理だ。歴史の語る由来は不愉快だが、この壮麗さには圧倒される。




