三
プロイセン大使館に到着し、ヤンセン曹長に案内され、駐在武官の詰め所、まずはシュタインベルガー大佐の部屋に向かった。
「ヤンセン曹長です、ただいま戻りました。本日着任のアレティン大尉をお連れしました」
「入りなさい」
声が掛かり、俺は部屋に入った。後ろにヤンセン曹長が立つ。俺は敬礼した。
「参謀本部より、巴里のプロイセン大使館の駐在武官の辞令を受けましたオスカー・フォン・アレティン大尉です。どうかお見知りおきを」
相手は敬礼のしぐさに優雅さがあった。
「駐仏プロイセン大使館の駐在武官、ルードヴィヒ・ヘルムート・フォン・シュタインベルガー大佐だ」
少佐が言っていた通り、四十がらみの、金髪、青い目の若い頃はさぞかしと思わせる容貌の持ち主だ。多分、高貴な方々の護衛やお供で過してきた立場の御仁なのだろう。
「伯林の参謀本部から話は聞いている。貴官は巴里での地勢調査や情報収集で動くのが仕事だ。
巴里の地図や大きな通りは頭に入れていているかと思うが、実地に歩き回るのが肝要だ。手始めに大使の護衛をお願いしたい」
遊ばせる気はないと言っているように聞こえるな。
「はい、ぜひとも、巴里に駐在する各国大使の様子も知りたいですから」
「いい返事だ」
大佐は莞爾としていた。
「巴里で我々が羽を伸ばす暇がどれくらいあるか保証の限りではない。ただ金に飽かせて派手に遊び歩いている豪儀なお歴々がいらっしゃる。
ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵家の当主がスラブ系の高級娼婦に入れ揚げて、シャンゼリゼ通りに面した一等地に豪邸を建ててやったくらいだ。
見栄っ張りの女らしいから、派手な宴会で客を招くのが好きなようだ。宴会に顔を出せれば、貴顕たちのまた違う顔を拝めるかも知れん」
「それはまた貴重な情報を有難うございます」
大佐の部屋を下がって、ヤンセン曹長と挨拶回りして、建物の案内をしてもらった。大使館内の様子はだいたい判った。
巴里は区画整理されているから、今まで通ってきた通りは広く、清潔だったが、開発途上の場所はどうだろう。セーヌに架かる橋など大分変わって、勝手に屋根を付けて住むのは禁止になったと聞いている。
「倫敦で会議の最中ですが、逐一報告が来ますし、それに合わせて、周辺国の大使館で動きがありますから、外交官方はご機嫌伺いで忙しいんですよ。そして、万博では自国の出品の評判はどうか、見物に行きたいから都合を付けておけと、別の所から連絡が来る。
情報の整理や報告には手が幾らでも欲しい状態ですから、大尉の着任は歓迎されていますよ」
「それはどうも有難う。大佐はどんな人柄なのだろう?」
「上品な方ですよ」
育ちがいいのは、俺も見て取れた。そうではなく、仕事の付き合いの上での面を聞きたいのだが、ヤンセン曹長はあまりその点は気にしていないらしい。
「馴れ馴れしいのは苦手なようですから、こちらも礼を失しないようにしています。
それよりも武官の出納を管理しているハウスマン少佐を怒らせないでくださいね。必要な物資を買うのを遅らせられたらたまりませんから。
ああ、大尉は参謀本部に連絡されれば、大丈夫なんでしょう?」
まあ、直接要求はできるが、あからさまに現地の出納係を無視していいものでもないだろう。
「さっき挨拶したが、気難しい御仁なのか?」
大佐よりは付き合いやすそうに見えた。
「いいえ、酔うと必ず歌い出すような方です」
ドイツの田舎では珍しくない酔い癖だ。
「フランス風にオスマンとお呼びすると怒られる?」
「誰も試していませんが、多分怒らないと思いますよ。セーヌ県知事と同じ綴りなんですから。少佐は歌がお好きなのに上手くないので、歌わせないようにしろと大佐が仰せなんですよ。しかし、止められるものではないですからね、そこで誰かが犠牲になる」
「……」
新しい職場は楽しい面子が揃っているらしい。
駐仏プロイセン大使の名前までは調べられましたが、そのほかの大使館のスタッフ、駐在武官の名前までは調べきれませんでした。ですので、ゴルツ大使以外の大使館のスタッフの名前は、作者の創作となります。悪しからず、ご了承ください。




