八
「そのようにお言葉を掛けていただき、有難く思います」
震えるようで、言葉がうまく出てこなかった。ローデンブルク伯爵は俺の品定めに満足したのだろうか。
「貴方は武官、私は文官ですが、能う限りの力を出していきましょう」
「はい」
伯爵は感激したと言わんばかりに俺の肩を抱き寄せた。そして耳元で囁いた。
“Excusez-moi.”
伯爵はそのままフランス語で続けた。
「巴里には親戚がいますが、あまり親しくしていない。親しい者は倫敦に多い。貴方の赴任先が巴里で残念だ」
俺もフランス語で返した。フランス語を解する者は多いだろうが、宴のざわめきの中での小声の異国語での会話を聞き取れないだろう。
「いえ、お心配り申し訳ない。しかし、勤めは果たします。 “Merci bien.”」
お互い莞爾として、腕を解いた。周囲には併合された国出身同士の感傷的な動作だと見えていればいい。
アデライーダは知ってか知らずか、にこやかさを崩さない。以前とは打って変わって令夫人らしい余裕があるのは、自ら成長をしようと努力していたのか、夫の薫陶ゆえか。
ローデンブルク伯爵夫妻の言葉に心を動かされたのは嘘偽りない。だが、ここは教誨室ではない。身を投げ出して、本音を言い合えればどんなに楽かと感じるが、それは許されない。因果なものだ。
額に汗し、土に塗れて日々暮らす、清い務めの者たちを守る為の、務め。
「お勤めの時間に空きがありましたら、今度こそゆっくりとお話しましょう」
ローデンブルク伯爵も似たような気持なのかも知れない。
「ええ、ぜひ」
いつ正式に密談できるか判らないなと思いつつ、会話をしていると、つかつかと近付いてくる女性がいた。一応女性の手を取っている男性はいるのだが、女性の勢いに付いてきているといった体だ。女性はアデライーダの側で足を止めた。
「恐れ入ります。ローデンブルク伯爵、そちらの軍人さんをご紹介いただけますでしょうか」
引きずられてきた男性が恰好を付けた。俺はローデンブルク伯爵夫妻を見て、そして、隣の少佐たちを見た。少佐は社交用の顔のままだが、皮肉っぽい笑みを浮かべている者がいた。
「これはご機嫌よう、マテウシュ・レヴァンドフスキ殿、妹殿もご機嫌麗しう」
顔見知りらしい士官が声を掛けた。ご機嫌ようとその男性は返したが、妹とやらは冷たく会釈を返しただけだった。
ローデンブルク伯爵は何も見なかったように、俺に手を差し伸べた。
「カレンブルクからこちらの参謀本部に出向していらしたオスカー・フォン・アレティン中尉ですよ。
アレティン中尉、こちらはレヴァンドフスキ伯爵のご長男のマテウシュ・レヴァンドフスキ殿と、妹御のヨアンナ・レヴァンドフスカ嬢です」
つい、目を眇めた。馬に引きずられていた少佐のきょうだいか。この家の男性はいつも何かに引きずられているらしい。
こちらは謁見を待つ臣下のように、相手の言葉を待った。
「初めまして、レヴァンドフスキです」
「初めまして、オスカー・フォン・アレティンと申します」
紹介されるまでは口を利かないのは令嬢の行動として正しい。このフロイラインは紹介されたがっていたようなのに、俺になかなか口を利こうとしなかった。この娘は淡い色合いの金髪で、群青色の瞳で、いかにも育ちが良さそうで、気の強そうな中高の顔立ちの美人だ。二十歳前、十七、八くらいと見た。
身分の違う士官にどう声を掛けたらよいか、言葉を選んでいるのだろう。あまりお付き合いしたくない相手だ。
さて、なんと言ってきてくれるのか。




