三
宿から出て、小路を通り、ウンター・デン・リンデンへ出た。菩提樹の若葉が勢いよく伸び始めている。若葉の薫りが風に乗って漂う。
深く呼吸をする。
伯母は菩提樹の葉で香りを付けた茶を飲んでいたのを思い出す。庭を眺めながら、書斎で本を広げながら、この香りの茶がいつも側にあった。花でお茶を淹れていたこともあった。少年の日、ディナスやリザがいて、フェリシア伯母がいた。
見守り、愛情を注いでくれる者がいるのも知らず、心を失くして生きていこうとしていた。
昴から離れて、郷愁に浸る日が来るとは、まるで想像がつかなかった。
シューマッハは俺と同じように並木を見上げた。
「昼間、この木洩れ日の中を歩くもいい、ティーアガルテンの方向へ行って、散策し、動物園に行くのもいいさ。世の中には色んな生き物がいるのだと、結構楽しい」
「緑の木々があるのは気分が落ち着く」
「そうだろう」
鉄道での移動や、街中の喧騒と初対面の人間との挨拶でいささか気分がささくれ立っていたようだ。若葉の薫りが頬を緩やかに撫でてくれる。心が洗われ、自然に伸びやかさを取り戻していくようだ。芯から寛いだ気分になってくる。
誘ってくれたシューマッハに感謝しなければならないな。
ウンター・デン・リンデンをしばらくそぞろ歩き、シューマッハの示した店に入った。
「伯林では、カリーヴルストやアイスバインが名物だと言われてきただろう。それを試してみてもいいし、店ならではの品もあるから、まずはメニューを見てみろよ」
「ああ、今日はいささか疲れたから、重いものより軽い食事がいい」
「肉よりジャガイモがいいかな」
「野菜が多めの料理だと、どんな感じになるだろう」
二、三、見繕って食事を注文し、小麦の白ビールを頼んだ。
ビールが来て、シューマッハへの感謝を告げ、乾杯した。大袈裟だ、こちらも貴官に会いたかったのだと、言いながらも受けてくれた。
「貴官はこの近くに住まいがあるのか?」
「ああ、官舎住まいだ。落ち着けるのならシェーネブルクあたりに家を持てたらと思うが、今のところは何とも言えん。子どももいないからな」
「シェーネブルク?」
「伯林の南側、急に人が増えているからそちらにも人が住めるように整備されているんだ。
ああ、見物なら往復に時間が掛かるが、ポツダムの方が面白いかも知れん。あそこにも小さいながらもブランデンブルク門と呼ばれる門がある」
「いや、そうではなくて、軍人をしていれば事務方でもなかなか腰を落ち着けてとはならないだろう」
シューマッハは複雑そうに考え込み、そして苦笑した。
「それもそうだが、結婚して六年になる。女房は二十四歳だから、焦っちゃいないが、親戚連中が、挨拶代わりに言ってくる。女房は伯林にずっといるのだから、俺よりも辛いだろうと心配している」
困ったな。何を言っても気楽な独り者の御託となってしまいそうだ。はぐらかすように言ってみた。
「貴官は俺よりも年嵩なはずだろう? 貴官の細君は俺よりも若いのか」
「そりゃ今三十一なんだからな。
何にも知らないような小娘をたぶらかして嫁にしたと、同僚に散々からかわれたよ。だが、エーファは年齢よりもずっと大人だ。
七つも年上だからと俺は威張り散らしたりしない。一緒に手を取り合って歳月を送りたいと願い合っている大切な相手だ」
心を結ぶ相手。そんな風に想い合えるのなら幸運なのだろう。
「普段から結婚を考えないんだが、貴官の口振りを聞いていると悪くないと感じてくるのは何故だろうな。
それぐらいの妻を見付けられる方が稀有のような気がするぞ」
シューマッハは少年のように、大いに照れた。