血脈
ミケーレは、動くことはできなかった。ゲレオンの部下たちも同じだった。次の動きは、ゲレオンによって決まる。
ゲレオンは、静かに眠る少女の顔を見た。顔を見るかぎりは、エルナ・ヴァレニウスだと思うのだが、しかし、着ているものは違っていた。絹のワンピースのような服は、同じ白い色だが、一般の民が着るものに変わっていた。この少女は、どう考えてもエルナ・ヴァレニウスではないのは確かなのだ。
再び、ミケーレに視線を戻す。そこには、疲れきっているが隙のない様子でこちらを伺う男が立っていた。あの場所から、自分たちを執拗に追いかけて来た男は、魔法や護符をものともせず、ただ一向に、娘を追いかけていたのだ。
親が子に向ける愛情など、自分には無縁だと思いながらゲレオンにも、尋常ではないことだとは理解できた。理屈ではなく、これが子を思う親の行動なのだと。
ゲレオンは、降ろしていたはずの剣をすっと上げて男に向ける。ミケーレも覚悟を決めたように剣を再度握り直す。
「お前は何者だ」
ゲレオンの問いは、ミケーレを驚かした。今、まさに剣を交えようとしていた男は、剣ではなく言葉を投げかけて来たのだ。
「ミケーレ……ミケーレ・ノルドランデルだ」
ミケーレがそう名乗ると、ゲレオンは息を飲んだ。
そして、ゲレオンは全てを理解したのだ。いや、理解ではなく、納得をしたと言った方が近いものだった。一瞬驚いた表情をしたが、諦めたような、それでいて少し楽しそうな顔を見せた。
「お前たちは、馬に乗れ」
ゲレオンは静に部下たちにそう言うと、エルナであったと思った娘を部下から受け取り、そっと地面に降ろした。いつの間にか部下の1人が、ゲレオンのそばに馬を引いて来る。部下たちはすでに3頭の馬に乗っていたのだ。
ゲレオンには選択肢がいくつもあった。本来の自分たちの仕事として、ここで親子共々亡き者にするのが普通なのだ。しかし、このミケーレと名乗った男は、相当な腕の持ち主であるとを部下から聞いているし、自分の目で見た今は、その評価を否定できなかった。そして、この娘を殺せば、この父親は地の果てでも追いかけて来ることは、親の情など知らないゲレオンでも想像に難くない。
それに、どうやら時間切れがやってきたことに気がついた。
「……後方より、騎馬が近づいてきます」
馬を引いてきたゲレオンの部下は、そう小さい声で言ったが、神経を研ぎすませ、この先に何が起こるのか警戒をしているミケーレにも聞こえた。
ゲレオンは馬に乗ると、もう一度ミケーレを見据えた。
「……ミケーレ・ノルドランデル……親の情とは恐ろしいものだな」
そう言って、馬の腹を蹴りながら方向転換をした。走り去る途中で、もう一度振り返ったゲレオンだったが、ミケーレの姿は見えなかった。当然、今頃は娘を抱きしめているのだろう。それと同時に、後方から来る10騎ばかりの影を捕らえた。
更に馬の腹を蹴り、速度を上げたゲレオンには、任務に失敗したと言うことより、人の巡り合わせの面白さや恐ろしさに心を寄せていた。
そして、少し残念だったのが、ミケーレと剣を合わせてみたかったと言うことだ。
「護符を使え、速度を上げるぞ」
「はい」
部下たちにそう声をかけると、当初の目的の町・カロッサに馬を進めた。
(どうやっても、主には、ノルドランデルという名が立ちはだかるのだな……)
ミケーレは、ゲレオンが動き出すと同時にエイナに駆け寄った。地面で横たわっているエイナは、静に眠っていた。
「まさか!」と思い、慌ててその頬に手を当てると、温もりが手に伝わって来る。ホッとして抱き上げると、強く抱きしめた。三ヶ月ぶりの小さな体から、子供特有の高い体温を感じた。
「エイナ……」
そう呼びかけるが、エイナは返事をすることはなかった。人形のようにミケーレに抱かれるままになっている。エイナは、びっくりするくらい、寝入ったら起きない子であった。が、これは少し違う気がした。
「エイナ?」
顔色も別段悪そうには見えないし、体温も高いわけでも低いわけでもない。それなのに、エイナは眠り込んでいるのだ。ミケーレに考えられるのは、エイナが何か薬を飲まされて眠らされているか、それとも何か魔法にかかっているかもしれなと言うことだ。
もし、魔法なら、誰が解いてくれるのだろう?
そんな不安を他所に、騎馬の一団がミケーレに近づいてきた。エイナの様子の方が重大事なのだから、それが敵ではない自国の騎士団だと確認できれば、それはもう、道ばたの石ころのような価値でしかない。
騎士団は、ミケーレを見つけると、全員が馬を降りてきた。騎士団は、王都の第4騎士団の者で、その一団を率いている男が近づいて来た。
「そなた、ミケーレ殿か?」
ミケーレは、自分の名前を知っているのを訝しみ、その声の主を初めて見た。そして、その青年の顔を見て驚いたのだが、その青年も同じように驚きの顔を見せた。
その青年は、金色の髪と青い瞳で、そして何より馴染み深い顔だった。髪と瞳の色は、自分の一番上の息子に良く似た色合いなのに、その顔や表情は見知った顔だった。その見知った顔の子の親は、その子が自分と同じ顔をしていると言って笑ったのを思い出した。と言うことは、目の前の青年は、自分と同じ顔……かなり年上だが、それと遭遇して驚いているのだと、ミケーレにもようやく合点がいった。
「ぷっ」
青年の横にいた騎士にしては気品があり、眉目秀麗と言う言葉が似合う青年が吹き出した。そして、腹を抱えて爆笑しはじめたのだ。勿論、自分とこの青年が似ているのが可笑しかったのだろうとは思うが、それ以上の理由など、ミケーレには想像できるわけはなかった。
だが、今はそのようなことに構ってはいられなかった。エイナと何度呼びかけても、体を揺すっても、頬を軽く叩いても、全く目覚める様子が無いのだ。
「エイナ……起きなさい……」
「エイナ? エルナではないのか?」
「ああ、ダメですよそんなに揺すっては……」
金髪碧眼の青年が、今度は驚いた声とともにエイナを覗き見、眉目秀麗の青年がミケーレの腕を押さえた。
「薬草で眠らされているだけです、落ち着きなさい」
「薬?」
「この匂いは薬草です」
眉目秀麗の青年は、そう言うが、それを信じていいのか解らずに少し不安を残して、今目の前にある状況を早く認識するために、2人に向き合った。
金髪碧眼の青年の鎧には、王都の騎士団の紋章が入っているし、眉目秀麗の青年の肩口には、王都の文官の印があった。
「何故、王都の騎士団が……」
「ああ、これは失礼をした。私は、王都の第4騎士団副団長のバルタサールだ。バルタサール・ノルドランデル」
「ノルドランデル!」
ミケーレにもやっと合点がいった。何故、王都の人間がここにいるのか、ではなく、自分たちが良く似ている理由の方だ。同じ血族なのだ、それは似ているものがいても可笑しくはない。
「ところで、これに乗っていた者たちは、既に逃げた後のようだが……」
「荷馬車から馬を離して、それに乗って行ってしまった」
「追いたい所だが、護符が切れた俺達では追えまいな……」
ゲレオンたちが去った方を見つめ、バルタサールは溜め息をついた。
「所で、その娘さんは……」
「私の娘で、エイナだ……本当に薬で眠らされているだけなのでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ……何時、どれだけ飲まされたのか解らないですが、念のために私の知り合いの魔術師に看てもらいましょう」
「それは……助かります」
「まてまてまて、マティアス! では、エルナはどこなのだ?」
「……さぁ?」
「エルナ?」
ミケーレの言葉に、マティアスは眉を潜めた。何やら訳有りで、ミケーレが立ち入っていい話しではないのかと思った。王都からわざわざこんな場所に来たというのだ、きっと何かミケーレの知らないことが起きているのだと思い、それ以上の追求は止めることにした。
「奴等も、攫った子がうちの娘であると、知らなかったようです」
「何?」
「……そうでしょうね……」
ミケーレは、男たちとの一連の会話と、これまでのことを簡単に説明をした。聞いている間、バルタサールは一々反応を示すのだが、マティアスは一切の質問をせずに、静かに聞く姿勢を貫いた。
「では、《禁忌の森》で入れ替わったのか?」
「ミケーレ殿は、そこで、エイナ殿と同じくらいの娘を見てはいないのですか?」
「はい……しかし、今思えば、馬車を降りて、《禁忌の森》に入ろうとしていたので……もしかしたら、荷馬車から逃げ出して、《禁忌の森》に隠れたのかと……」
「くそぉ、ではエルナは助からんではないか!」
「だとすると……エルナ嬢は目覚められたと言うことか……では、まだ可能性があるのではないだろうか?」
「可能性?」
マティアスは、とっさにバルタサールの腕を引っぱり、ミケーレの目の届かない所まで行ってしまった。
2人に代わってやって来たのは、フランシスを乗せたスレイプニルだった。
「ミケーレ!」
「おお、フランシス……」
ミケーレは、フランシスの頭を撫でてやった。静かにスレイプニルで待っていてくれたことに、ほっとした。これで、エイナが目覚めてくれて、変な魔法などの影響を受けていないのであれば、もう、すぐに家に帰って息子達に会いたいと思った。
あの長閑に草を食べるヒツジと、寡黙なレギン、イングリットとそっくりなアーベル、妹ができてもまだまだ甘ったれなヨエル、そして、一丁前に兄たちに小言を言うエイナ。もとの静かな暮らしを思い出して、フランシスの頭を再び撫でる。
「さぁ、フランシス……帰ろう……」