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賢者様を待っている世界で  作者: 三條聡
第5章 王都・アンドレアソン 1
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テグネールの少女

 幼女を小脇に抱えて戻って来たバルタサールの後ろを、心配そうな表情で少年がついて来た。兄弟の1人が心配で付き添ってきたのだろうと、マティアスは思った。


「幼女、このパンを作ったのはお前だと言うが本当か?」

「……はい……」

「どのようにして作る」

「酵母菌を使って作りました」

「コウボキン?」

「パンを甘く、軟らかくするものです」

「で、そのコウボキンはどうやって手に入れた?」

「作りました」

「作った? コウボキンもお前が作ったのか」

「はい」


 答えるのは、付き添って来た少年だと思ったが、意外にも幼い少女だったのことにマティアスは驚いた。それも、村長が話した通りのことを、すらすらと答える。


「まぁ、待ちなよバルタサール。そんなに色々問いつめるから、おチビちゃんが怖がっちゃてるよ」

「なっ! 私は問いつめてはおらんぞ」

「はいはい、で、おチビちゃん、実のところこのパンを作ったのは、君で間違いないね」

「はい……」

「その作り方を、ここの町長に金貨1枚と大銀貨50枚で売ったのは間違いないね」

「はい……」

「では、私の料理人にも金貨1枚と大銀貨50枚で」

「まてまて、マティアス。そなた狡いぞ」


 マティアスは溜め息をついた。『狡い』って何だ?


「では、お前の料理人も加わればいいではないか」

「むむむ」


 そう言って思い出した。バルタサールは、食べ物に五月蝿い。バルタサールのこだわりは『美味い』だけではなく、好き嫌いがもの凄いのだ。食べられないわけではなく、『食べたくない』ものが存在するのだ。その味覚は凄まじく、食べたくものは、溶けてなくなろうとも、その存在を感じるのだ。

 そんなバルタサールの所にいる料理人が、辟易しないはずはない。連れ歩いていた料理人は、何故かアードルフ……ヴァレニウス公爵の所に逃げてしまったのだ。


「ああ、そうであったな、そなたの料理人は、そなたより、アードルフ殿について行かれたのだったな」

「うっ」

「あの〜、バルタサール様とマティアス様にパンの作り方をお教えすればよろしのでしょうか?」

「そうだ」


 ふんぞり返ったバルタサールは、急に復活して偉そうになった。

 この時になって、マティアスは違和感を覚えた。こんな小さな少女が、これほどすらすらと言葉を話せるのだろうか? それも、自分たち貴族に対して、失礼のないように話しているるのだろうか。


「では、そのように致します」

「うむ、では早速……」

「ですが、柔らかいパンは、簡単には作れません。酵母菌を作るのに1日、パンを作るのに半日かかります」

「そんなにか」

「はい、ですからテグネール村にパン作りを覚えたい方に来ていただくことになります」

「う〜む……」

「私は構いませんよ」

「マティアス、お前は……」

「誰でもいいですよ、このパンは、パンを作ったことのある人ならそれほど難しくなく作れますよ」

「では、料理人見習いのような者でも良いのか?」

「はい」

「ディックさんはどうしますか?」

「料理人見習いと、パン屋見習いを嬢ちゃんたちの所に行かせる」

「わかりました。で、料理を覚える方は?」


 そう問われたバルタサールは、腕を組んで唸る。唸ったところで、手元に料理人が居ないのは変わらないのだ。

 しかし、バルタサールの顔に笑顔が戻った。


「そうだ、お前が私の料理人となれ!」


 バルタサールは、そう言うと、目の前の幼い少女を指差した。マティアス自身は、『何を馬鹿なことを……』と思ったのだが、少女の反応は全く予想できなかった。勿論、言った本人のバルタサールもそうだった。

 バルタサールに指差された幼い少女は、大きな眼を見開いて驚いていたかと思うと、大粒の涙を流して、大きな声で泣き出したのだ。この歳の少女に、接触の機会がないバルタサールとマティアスは驚いた。泣かせた責任のあるバルタサールは勿論、マティアスさえ罪悪感を覚えさせるように、幼い少女は、隣にいた少年に抱きついて泣き続けた。それはもう、必死に抱きついている。


「そなた……こんな幼子に……」

「悪かった悪かった、全く冗談だと言うのに」


 ギルド長は、慌てて少女のもとに駆け寄ると、しゃがんで頭を撫でながら、「冗談だよ」

と言って頭を撫でている。


「全く、君って人は……まぁ、そう言うことにしときましょう」

「そう言うこととはなんだ!」


 子供が泣くと、どうして良いのかバルタサールとマティアスには解らなかった。が、少女の兄は涙をふいてやり、町長はハーブティやお菓子を奥から持って来ては、それを与えてご機嫌を伺っている。そのどれが効果的だったのかは、2人には解らなかったが、取りあえず少女は泣き止んだ。

 しかし、バルタサールの申し訳なさそうな顔は元には戻ってはいなかった。まさか、冗談のつもりだった一言で、か弱く幼い少女を泣かしてしまったのだ。ノルドランデル家では、弱い者虐めは御法度なのだ。

 そうこうしているうちに、少女の鳴き声は聞こえなくなり、それでも涙が止まらないのか、兄にすがったままだった。


「許せ、幼女。冗談だったのだ」


 バルタサールの言葉に、恐る恐る顔をこちらに向けた。

 その時、バルタサールは、ふと懐かしさを覚えた。


(何だろう……この懐かしい感じは……)


 手渡されたハーブティーをこくこく飲む少女は、まだ、睫毛や目尻に涙が輝いている。が、ご機嫌はなおったようで、コクリと頷いた。

 取りあえず、バルタサールは胸を撫で下ろすことができ、安堵の溜め息をついた。


「で、後日テグネールにパンを習いに行く者を向かわせれば良いのか」

「はい、お願いいたします」


 少女の代わりに、兄がそう答えた。少女の方はもうこちらに何も関心を示していないように、ハーブティーや御菓子を口している。バルタサールの注意も、いまやマルムロース男爵をやり込める話に夢中になっていた。


「ぬるい!」


 町長の案を聞いたバルタサールは、突然そう言った。偉そうなのだが、バルタサールには良い考えなどあるわけもないのは、マティアスには解っていた。あったとしたら、あの悪戯小僧のような得意げな顔になっているはずなのだ。

 が、マティアスはこの企てに参加する気はさらさらないのだ。そんな馬鹿げたことよりも、もっと重要な任務があることを忘れているのではないかと、マティアスは時々バルタサールを疑うのだが、今、このマルムロース男爵を標的にした企みは、バルタサールにとっては息抜き……逃避か? になっているのだ。ここから現実世界に引っ張り揚げるにはなかなか面倒そうだと思ってもいた。


 そして、出した結論は放置だ。

 マティアスの頭の中では、任務のことや謎の男・アレクシスのこと、そして彼が追っているという『大切なもの』とアルヴィース様。それらが、どう繋がるのかをパズルのピースをはめ込むように、いろいろと動かしてみる。

 しかし、どこかちぐはぐで、肝心のピースがいくつか抜けているのか、それとも思い込んでむりやりピースをはめ込んでいるように感じるのだ。


 マルムロース男爵家の料理人が、町長の家の台所を占拠したせいで、バルタサールとマティアスは、駐屯所で食事をすることにした。町長の料理人が、そこで食事を作っていると言うのだ。

 駐屯所の兵士たちや、バルタサールの部下たちも一緒だが、バルタサールがそんなことを気にするはずがない。そもそも騎士団とは、戦地では衣食住をともにするもので、そこに貴族も平民もないのだ。それゆえに、騎士団の騎士たちは、平民の兵士を従えることもできるのだ。


 バルタサールは、町長と計画している楽しい悪戯を、嬉しそうにマティアスに話している。マティアスは、どうでも良いとばかりに投げやりな相づちをうつだけだった。

 2人は、駐屯所の食堂の隣の上官用の部屋に向かった。バルタサールなどは、食堂で他の兵士と一緒でも良いと思っているのだが、反対に、一般の民に貴族が混じっていたら、兵士たちが落ち着かない、などとは思ってもいないのだ。


「ん?」

「何やら……騒がしいですね」


 食堂の前を通ると、2人の耳には異様な騒ぎが耳に入って来た。その声は、楽しげでまるでお祭り騒ぎのようだった。

 そんな楽しげな雰囲気の場所を、バルタサールが黙って通り過ぎる訳が無い。勿論、バルタサールは、食堂内に突進していた。


 周囲を見回すと、どの兵士も入って来たバルタサールに気づくとこなく、お互いに笑いながら語らい、目を輝かせて食事をしていた。


「どうして、こんなに騒いでいるのだ?」

「わかりません……」

「ん? なんだこの匂いは?」

「匂いですか?」

「この匂いは……美味そうだな……」

「はい?」


 どうやら、バルタサールの動物的嗅覚が、美味い匂いを嗅ぎ出したようだ。


「バルタサール様、どうしてこのような所へ?」


 ぱたぱたと走り寄って来たのは、バルタサールの従者のヨンだった。

 この少年、遠い血縁にあたる一族の者だ。マティアスには解らないのだが、バルタサールを崇拝しているのだ。それ故に、ヨンの熱烈な懇願によってバルタサールの従者になったという経歴の持ち主だ。


「この騒ぎは何なのだ?」

「町長殿の所の料理長が、こちらで食事を作られているのですが、凄いのですよ!」

「随分と兵が騒いでいますね」

「それはもう、今まで食べたことのない程美味しい夕餉でした!」

「なに!」

「俺、給仕いたしますので、御待ち下さいね」


 そう言って、ヨンは走り去って行く。まずは、主人を食事の席に案内するのが先なのだが、主がバルタサールでは、そんな躾は受けていないのだろう。マティアスは、ヨンが気の毒で仕方なかった。


「そなた、ヨンにちゃんと教えているのか?」

「何がだ?」

「この場合は、食事を持って来る前に、主を食事の席に案内するのが普通であろう」

「ああ、大丈夫だ。ここで食事をするからな」

「なっ!」


 嫌な方に、ヨンの躾はなされているらしいと理解したマティアスは絶句した。ヨンは貴族になるわけではないほど遠い血縁であるが、それでも、ヨンが貴族の前に出ることになったらどうなるのだと心配になる。

 バルタサールは、ヨンの身を心配して唖然とするマティアスをその場に置き去りにし、自分は食堂の隅の椅子に座ってしまった。

 普段であるなら、こんな所に貴族がいれば、食堂から一般の兵士の姿がなくなってしまうだろう。だが、今日のこの騒ぎでは、誰もそんなことに気づいていないようだ。

 マティアスは溜め息をついて、バルタサールの向かいに席についた。


「しかし、何故このように、兵士たちは浮かれているのだろう?」

「そんなのは解りきっている」

「えっ?」

「メシが美味いからに決まっている」


 鼻息荒く、バルタサールがそう言いきった。マティアスには、バルタサールがそう言い切る理由は解らない。が、マティアスにとっては、理由が解らずに振り回されることは、バルタサールと一緒にいると、日常と化してしまうのだ。だから、今回も言葉を続けることはしなかった。

 マティアスが思うに、バルタサールは動物的勘が鋭く、感覚でものを言う。思ったことを考えもせずに口にするのだが、勘なので、考えも何もないのだ。

 だが、このバルタサールの勘は、かなりの確率で当たるのだ。それも、食べ物に関しての勘で外した記憶がマティアスにはない。


 そのバルタサールが、食べ物が美味いから兵士達は騒いでいるのだと言うなら、そうなのだろうとマティアスも納得できた。ここの料理をしているのは、町長の所で働いていた、元王宮の料理人なのだから、兵士達が普段食べているものとは、かなり違うのだ。

 マルムロース男爵の料理人に台所を奪われ、その男爵に一矢報いようとここで、美味い料理を振る舞うのだと言っていた。だが、その秘密兵器は、あの少女が持ち込んだパンだったはずなのだ。まぁ、それでも一般の民が食しているものより、美味いものを作るのは想像に難くない。


「お待たせ致しました、バルタサール様、マティアス様」


 ヨンは、兵士たちが食べている同じものをワゴンで運んで来た。

 そして、並べられた食事は、肉らしきものと卵、スープだった。普段食べている食事と違って、彩りや見た目は度外視の大盛りで、品数も少なく2品だけだった。

 ヨンが金属のスプーンとフォークを取り出し、テーブルにセットしながら、自分が食べた料理を説明し始めた。


「おお! 良い匂いだな」

「はい、何でもミソとか言う調味料を使っているそうです」

「ミソ? あの南部で作られているという豆から作られているとか言う……」

「さすが、バルタサール様! はい、バルロブ殿がそのように申しておりました。そちらの肉料理にも、ショウユと言う、やはり南部の調味料を使用しているそうです」

「なんと、こんな北の外れにある町で、南部の調味料とは……」


 ヨンの説明に、マティアスはいささか驚いた。がバルタサールは違った。


「なるほど、さすが元王宮の料理人だな」

「ですが、俺はその調味料を使った料理を以前食したことがございましたが、これほど美味なるものとは、その時は思いませんでした。さすれば、それは料理人の腕の違いではないかと……」

「では、ソールとノートに感謝を……」


 バルタサールは、スープに入っている食材とともに、最初の一口を食べた。

 マティアスもそれを見て、スープに匙を入れた。スープの中には、いろいろな野菜が入っていた。料理の匂いは、とても美味しそうで、どの野菜も同じような大きさなのに気がついた。野菜はそれぞれに食べられるようになるには、煮る時間が異なるのだ。が、このスープは、野菜を入れる時間を変えて、それぞれが同じ時間に食べれるようになるという手間がかけてられていることに気がついた。普通は、野菜は一緒に入れてしまう。その為に、大きさを変えて入れるのだ。


「なるほど、流石ですね……」


 マティアスは、返ってくるはずの声が無いことに気がつき、バルタサールを見た。見て驚いた。

 バルタサールはお行儀の悪いことに、がつがつと食べている。マティアスは眉をひそめたが、食事をしているバルタサールをニコニコと笑いながら、ヨンが眺めているのを見て、たしなめるようとする気持ちが無くなった。

 それよりも早く、この料理を食べたくなったのだ。


「ムッ……」


 マティアスは、最初の一口で、この料理が今まで自分が食べていたものと異なることを理解した。「美味しい」と感じる感覚が数段も上だと思った。これほど強烈で、強い美味さを感じたことは無かった。


(なるほど……バルタサールが無言のわけだ……)


 そう、バルタサールは、その料理が美味ければ美味い程、一言も発しなくなるのだ。

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