ご面相
「さて、兄さんが帰って来たら、村長の所に行くから荷造りをしなくちゃ」
「遠いの?」
「いや、すぐそこだよ」
「荷造りって……」
「村長の所に行くついでに、バターやチーズを売るつもりだし、今日はヤケイの卵や牛乳も宿屋に持って行かなくちゃ」
「手伝う!」
アーベルと一緒に、卵の入ったカゴを持って家の外に出た。《禁忌の森》はすぐそこにある。その前を横切る、煉瓦の壁が続いていた。
魔獣とやらを村に入れないようにする為だろうか。目の前の森は、すぐだけど、ずっと左に続いている壁は、どんどん森から遠くなるように見える。そう言えば、どこかで壁が崩れていたっけ……って、目の前じゃないの!
「アーベル、壁……」
振り向くと、もう姿が無い。もう一度、煉瓦の塀へ意識を戻す。ちょっと待ってよ、左にはずーっと続いているようだけど、右はすぐそこで途切れているじゃない。これ、大丈夫なの?
壁の所まで森が迫っているのは、私が立っている位置の右側だけのようだ。レギンの家が一番危ない?
「エルナ〜、何やってるの〜」
暢気なアーベルの声がした。家の裏から小さな荷台を引いて出てきた。
「アーベル、あの壁はそこまでなの?」
「壁?」
私が指差すと、なんて事はないという顔をして言った。
「あぁ、まだ途中だからね」
「うっ……」
そんなんでいいの? 《禁忌の森》ってそんな程度なの??
とりあえず、アーベルを信じるしかない。私の実年齢からすると、色々と知識を持ち合わせているが、バトルになるとてんで役に立たないだろう。中・高は剣道部だったことは、役に立たないだろうなぁ〜。
そんなことを考えている間に、とある小屋に着いた。車2台分くらいの小屋だったが、中に入るとちょっと感覚が狂う。小屋の中には、中央に炉があり、奥は2つの部屋に区切られていた。左右の壁には、大小さまざまな杓文字と鍋、陶器製の謎の物体、いや、謎の物体の方が多いなぁ。
奥からアーベルがチーズを両手に抱えてくる。奥は、チーズの熟成場所かなにかなのだろうと解る。直径15センチくらいのチーズを、荷車に入っているカゴの1つに入れていくのを手伝う。それが終わると、今度は奥の部屋からウィンナーとベーコンの固まりを持ってきて、違うカゴに入れて行く。
そして最後に、インスタントコーヒーほどの大きさの陶器を3つ持ってきた。布で陶器の口が覆われて、紐で縛られている。
「これ、何?」
「バターだよ」
そうか、バターはこうやって売られて、保存されているのか。
色々と知るのは面白い。この世界、と言うかアーベルの家にあるものは、どれも質素で装飾品や色とりどりなんてことはないが、工夫をこらして使い勝手を考えられている。私の世界の中世のヨーロッパよりさらに新しい時代だろう。17世紀か18世紀かなと思う。
実は、この時代のことは私自身はよくわからない。日本の歴史は、仕事で『目で見る日本の歴史シリーズ』と言う24冊セットの本を担当したことがあるので、かなり詳しいつもりなのだが。西洋の歴史となると、『今と昔、道具の歴史シリーズ』で、いろいろな道具を調べたくらいだろう。
「さて、これで全部だ」
私の頭に手を置くと、アーベルがニッと笑った。なんだか嬉しそう。
「嬉しい?」
「ん? そうだなぁ〜、自分で作ったものが売れるのは嬉しいよ」
あぁ、それは解るよ。
「良くできた時には、ちょっと高い値で売れたりしてさ。だから、いろいろと工夫するのも好きだよ。例えば、この前、小さな子はウィンナー1つは食べれないって聞いてさ、普通のとその半分のを作ったんだよ。面倒だったけど、結構売れたってさ」
「それは、良い思いつきだね」
「だろ?」
「大変だった?」
「そりゃそうさ、普通のと時間を同じにすることは出来ないからね」
そう戯けるように言うアーベルだったが、14歳にしてこの創意工夫の情熱はどこからくるのだろう。私の世界では、この年の子が夢中になるのは遊びごとか部活だよね。でも、アーベルのやっていることは仕事だ。仕事は今あるものが、それまで通りに売れれば変える必要はないのだ。でも、アーベルは喜々としていろいろ試しているようだ。この豊富な種類を売っているのだから、お金に困っている様子はない。あの激マズラード湯を捨てられるほどには……。
「すごいね、アーベル」
「そんなことはないよ」
笑顔でそう言い返すアーベル。ちょっと眩しすぎるぜ。
アーベルが荷車を引き、私が荷車を押す。全くと言っていいくらいに、何の力添えになっていないのは理解している、今の私は、非力すぎるのだ。そして、牧場(?)の中の道を進み、柵の外にあるあの煉瓦の壁に沿っている道に出た。
ここでレギンと待ち合わせ? と思いながら当たりを見回す。もう遥かに離れてしまっていた、あの煉瓦が崩れている所から出てくると思って、そちらを見た。
《禁忌の森》は、針葉樹林だけのドイツにある黒い森のようなものだと思っていた。が、所々に赤や黄色の色が見える。おぉ、広葉樹が紅葉しているではないか。今は秋だったんだ。いや、待てよ……この世界の植物が、普段から紅葉のような色をしていないとは言えないのではないか? 紅葉ではなく、普段から赤い葉や黄色い葉があっても可笑しくはない。いや、光合成をするのであれば、緑の葉のはず……いやいや、それも私の世界でのこと。
一見、どこも変な所も無いこの場所は、どこが違うのか検討もつかない。だから、普通に考えてしまうのだ。
そんなことを考えていると、突然と影が差した。慌てて上を仰ぎ見ると、塀の上に何かが乗り出していた。いや、乗っている。
「兄さん!」
アーベルの呼びかけで、レギンだと解った。お陰で、また『うおぉぉぉ』なんて、幼児らしかぬ声を上げる所だった。
レギンは、塀からぱっと身軽に飛び降りた。その巨体でその身軽さは何? と思ったが、今の私の基準では大きさの目測は難しい。私にとっては、どれも巨大に見えるのだ。
甲子園球児を見るかぎり、レギンの16歳はないことはない……と思いたい。やっぱり、年齢詐称ではないかと思えてしまう。
「用意は出来てるか?」
「完璧!」
確認が終わると、レギンはひょいと私を抱き上げて荷台の空いている場所に降ろす。ちょっと、びっくりするじゃない! という表情になっているだろう私を見ると、微笑んで頭に手を置いた。そして、アーベルに代わって荷台を引く。アーベルも心得ているとばかりに、気がつくと荷台の後ろにいた。この光景に、ちょっとほっこりした。
この兄弟は、言葉を多く交わすことはないが……主にレギンの寡黙さのせいだろうが、それでも見事な連携プレーが多い。レギンは力のいる仕事や、大変な仕事をさも当然そうに受け持つ。アーベルは、そんなレギンの邪魔にならないように、何か手伝えることがないかと考える。
いい兄弟だなぁ。
荷車は、道をゆっくりと行く。何の舗装もしてない普通の道なので、ときどきへこんだ部分などがたがたしている。とりわけそんな場所は、ゆっくりになる。荷車に乗る私を気遣ってくれている。
やっと前方に集落が見え始め、橋を渡る。人々の家は、レギンたちが住んでいる家よりは、こじんまりしているように感じる。勿論、大きな家はあるが、所々に見える程度で、平屋が多い。どの家も道に沿って立てられているが、僅かに思い思いの方向を向いているように見える。付随の小屋のようなものは、作業小屋なのか、それともヤケイを飼っているのか解りにくいが、それらも不規則に立っている。道もまっすぐな道はあまり見当たらない。
間近に見えた家は、ちょっと小さめの家だった。家の外観は質素の一言につきるが、家の周囲に草草が生い茂り、花もけっこう咲いている。
その家の隣に畑のようなものが見えた。畑というのは推測だ。ぱっと見は雑草が生えているのに、畝のようなものがある。
その畑に、少年が一人で屈み込んでいた。アーベルよりは小さい感じだが、2人と違って黒髪なのに、ちょっと親近感がわいた。
「ニルス、おはよう!」
アーベルがそう叫ぶと、畑の少年はこちらを振り返って立ち上がる。おはようの小さな声が聞こえた。ニルス少年の体は細かった。黒髪から覗く瞳は鋭く、『おはよう』以外は言葉を発しない。アーベルが手招きで呼び寄せると、素直に従う。が、どこか人を寄せ付けない雰囲気があった。
アーベルは、ベーコンとウィンナーを数本、チーズを1つカゴから取り出すと、近づいて来たニルス少年に持たせた。
「今回の出来はどうか、エッバ婆さんに聞いといて」
「うん」
ほんとに大人しい少年だな。と思っていると、ニルス少年と目があった。何の変化もしていなかったニルス少年の顔に、驚きの表情が浮かんだ。どしてそんなに驚くの? 瞬時に思い出した。今はいないエイナと言う少女が、今の私に似ているということを。
「おはよう、私はエルナ」
「……」
私の挨拶にまるで反応しない。じーっと見られていることが、だんだんと落ち着かなくさせる。私は静かに、そーっと荷台に潜り込んでみる。
「えーっと、ニルス」
「……」
アーベルの呼びかけにも反応はしなかったので、ニルスの肩をトントンと指で叩く。はっと、我にかえって、アーベルを見たニルス少年は、再び無表情に戻った。
「昨日の夜、森から何か聞こえた?」
「アッフが騒いでいた」
「それだけ?」
「少し、森がざわついていた。ここしばらくは、普段より静だったのに……」
「そっか」
うーんと唸るアーベルに代わって、今度はレギンが声をかける。
「知らない人間を見かけたか?」
「ううん、見てない。見てたらすぐに、レギンに言う」
「そうか……今日は、来るのか?」
「真上すぎてから」
「そうか」
簡略すぎる言葉の応酬に、2人には通じ合っているのだろう。
『知らない人を見たら、なんでレギンに言うの?』『真上すぎてからって、何?』あんな短い会話の中で2つも謎を見つける。ここにいることになって、まだ1日も過ぎていない私にとっては、『求む! アーベル的な人』である。
「邪魔したな」
ぶっきらぼうで素っ気ない声をかけると、レギンは荷車を引き出す。そんな言葉に疑問を抱いていないように頷いたニルス少年。
この村、こんな人ばかりじゃないよね? と不安を抱きつつ、私はニルス少年を見ていた。あちらも私を見ているので、目線を外すことができなかったのだ。
10メートルほど遠ざかると、ニルス少年は、いままでのガン見が嘘だったかのよに視線を外した。そして、目の前の道を横断して建物の間へと姿を消した。私から視線を外すと、何の迷いもなく、音も立てずにすーっといなくなった。なんと身軽ですばしっこいのだろう。
「今の子、アーベルの家に来るの?」
「ニルスのこと?」
「真上すぎって……」
「ニルスは、兄さんに剣を学びにくるんだよ」
「すごい!」
「剣を振り回すより、少しは字も覚えてもらいたいんだよね」
「字も教えてるの?」
「字を教えているのは僕だよ」
なんと、識字率がそれほど高くないであろう17世紀頃のヨーロッパ風のこの世界で、14歳にして文字を教えているのですか!
識字率が高くない云々は、固定観念だけど。それでも、14歳の子が自分とそれほど年の離れていない子供に、モノを教えるということは大変だろう。
この兄弟、何かと色々と凄そうだ。
レギンが気を使ってくれるけど、ゴトゴトと振動が激しい。売られる子牛を思い出すのは、私だけだろうか。
村人1号のニルス少年が、私を見て驚いていた。時々、出会う人々も、荷台に私がいるのを見て驚いていた。
最初のニルス少年は、レギンとアーベルと知り合いだから、エイナと似ている私を見て驚いたのかと思った。
でも、だんだんと不安になってきた。今更なのだが、私が単純に子供に戻ったわけではなく、誰かわからない子供の体に入っているということだ。この世界で、鏡なるものを見てはいないので、今の私がどういう姿をしているのか解らないのだ。
いやいや、2人の妹であろうエイナなる少女を侮辱するわけではない。が、そのエイナは他人から見たらどうなんだろうか? いやいや、2人を見ているとかなりイイ線いく少女ではないだろうか。いや、ちょっとそれは願望が入っていないか?
私の思考がグルグルと回る。
村長とやらに会いに行くのが、めちゃくちゃ億劫だ。荷台で揺れているだけなのに……。
《エルナ 心のメモ》
・村と《禁忌の森》の境界線には2メートルほどの壁がある
・何故かレギンの家の前の壁は崩れている
・作業小屋を見ると、チーズ、バター、ウィンナー、ベーコン、肉の燻製等を作っているようだ
・アーベルは加工品を作るのが仕事
・今の季節は秋のようで、森が紅葉している。
・ハーブ畑で作業するニルス少年と出会う 小学高学年の様
・エッバ婆さんは、ニルスのお婆さん
・《禁忌の森》にはアッフという魔獣がいる
・真上すぎてからって、何?
・ニルスにレギンは剣を、アーベルは文字を教えている