<揺り籠>
王都アンドレアソンは、アルヴィース様によって都市計画がなされた街である。王城を中心としてドーナッツ状に作られており、外側を高い城壁に囲まれている。城壁のすぐ内側、北側と南側は食料品の倉庫に使われ、西側と東側は宗教施設になっている。
この国の宗教は多神教であり、二大神を祀る神殿、四大神をそれぞれ祀る神殿の二種類がある。二大神はソール神とノート神で、太陽と月や昼と夜、男と女、空と大地のように二極化しているものを司る神である。それぞれに、二神の左右に控えている神を四大神と言う。
宗教は、当然のことながらこの国に生きる人々にとって、生活に無くてはならないものである。人生の節目にあたる、誕生や成人、結婚、葬儀などに深く関わり、自然災害などの救済としての避難場所であり、孤児の生活の場でもある。
神官になる者は、その職業の選択は自由であるが、建物の規模によってその人数が制限されている。故に、神官を増やすには、神殿を新しく建てなければならず、その費用はすべて教会が出すことになっているので、神殿では人を増やすことができず、年老いた神官を押し出す形で新しい神官が入る。そのことによって、長く神殿に居続けて権力を肥大させることを防いでいる。
宗教に関しては、国は全く関知しない。それは見事なくらいである。通常、人々が心のよりどころのしている宗教には、権力と莫大な金銭が集まる。が、国はその収益から税を取り、個人の寄付には国が目を光らせている。
このシステムを構築したのは、アルヴィース・アクセリアである。彼女は、初期の王国で、国の制度等に関することを整備した。その彼女が、政教分離を徹底的に行ったのだ。
システムとともに、彼女が行ったのは、教典の整備であった。教典は、神々とこの世界がどう関わっていて、どのように人々に教えを強いているのかが書かれていたと言われている。
当時の教典は、何パターンか存在し、原書はすでに失われているとされていた。何パターン化の教典には、お布施をする者が優先して救われると言うものや、エルド神とセー神は相反する神なので、その神殿同士は、より多くの信者を引き込むことを強制したりと、宗教の腐敗・宗教戦争の火種となるような、明らかに後から付け足したり、拡大解釈した部位が生まれつつあった。
それを取り除き、後世の解釈を付け足すことを固く禁じた。
それは、政教分離と宗教の台頭を許さないシステムがあった。国王は教会について何の決定権もないし、その介入を一切許されていない。故に、神殿についての取り決めは、東西にある2つの神殿長と、四大神のそれぞれの神殿長で取り決められる合議制が布かれているのだ。
二大神を祀る神殿を王都の左右に作ったのも、その2つの神殿同士、そして四大神の神殿が牽制し合うようにしたのだ。
国のトップが頭を悩ませるはずだったモノから、この国は守られているのだ。
国王が、年に何度かの寄付を行うことがある。個人の寄付の額や回数など、権力者と神殿側が結託しないように目を光らせていると言うのに、国王はかなりの額を神殿に落としている。
今日は、今年2度目の寄付を持って、イサクソン卿が神殿へと足を向けた。アルヴィース候補の子供たちは、一番神殿の数が少なく、一番神官の少ないヴィンド神殿にある。各神殿には孤児院があるが、そのつど、アルヴィース候補生は、その時に一番力の無い神殿に預けられる。
アルヴィース・アクセリアの宗教改革より、権力や金が集中しないようにするシステムは徹底されている。
王都の東端にある、ヴィンド神殿に到着したイサクソン卿は、馬車から降りると出迎えも待たずに進んだ。神殿に寄付をし、日頃からアルヴィース候補の子供たちの様子を把握することは、この国の宰相の仕事だ。
「これはこれは、イサクソン卿、ただ今神殿長が……」
歳若い神官が、イサクソン卿がやって来るのに気がついて、慌てて走り寄って来る。当然、イサクソン卿が何をしにやってきたのか、この神殿では知らぬものはいない。
「よい、神殿長の部屋へ案内を」
「はい」
案内を頼んだイサクソン卿だが、当然、この神殿には何度も足を運んでいるのだ、神殿長の部屋がどこにあるかなど、当然知っている。自分の気性なら、案内など面倒なので、自分の足でそのまま向かってもいいのだが、案内も連れずに行けば、貴族として品位を疑われてしまうのだ。
「面倒だな……」
「はい?」
「いや……」
うっかり口にしてしまった言葉を、何でも無いと言うと、神官はニッコリ微笑んで、再び前を歩き出した。
神殿内は、余計なものは一切ない。特に装飾などは見当たらない。しかし、石で作られた壁には、細かいレリーフが描かれている。ヴィンド神が司る自然の植物や動物、守るべき人々等。それは、何時見ても飽きることのない緻密さと面白みがあった。時間があれば、自分はどれだけこれらを見ていられるだろう? そんなことを考えている間に、神官は1つの部屋をノックして、イサクソン卿の来訪を伝えた。
「これは、イサクソン卿。よくおいでくださいました」
そう言って、部屋に通されたイサクソン卿に歩み寄ってきた神殿長は、ちょっと動きずらそうなくらい太っていて、そして、その笑顔は慈愛に満ちた神殿長らしい笑顔だった。
「神殿長、本日は国王の命で『命の糧』をお持ちいたしました」
「それは、ありがとうございます。国王の御慈悲により、子供達を健やかに育てることができます。ヴィンド神のご加護が、国王に吹かれますよう」
「ありがとうございます」
イサクソン卿は、膝を少し折り、頭を下げる。
ここは、王が関与しない領域だ。ここには、身分の差など存在せず、貴族でも神殿長には頭を垂れる。それゆえに、気位の高い貴族は、神殿長や神管長の前に姿を表すことを厭う者もいる。
が、イサクソン卿に言わせれば、それくらいのことを厭う程度のプライドを持つ貴族など、碌でもない者だと思っている。そう言う貴族と神殿側とが手を結ぶ危険が無いのは、本当に良くできたシステムだと感心する。
「して、<揺り籠>の様子はいかがですか?」
道案内をして来た神官に、イサクソン卿の従者から、金貨の入った小袋を渡すのを確認し、神殿長に尋ねた。
「はい、滞りなく、みな健やかに生活しております」
「目覚めの予兆は?」
「残念ながらございません」
寄付金を納め、毎度同じの会話を一言一句違わずに発する。不毛たど思ったのは、いつのことだろうかとイサクソン卿は振り返っていた。
アルヴィース様の偉業は、国のあちらこちらで見受けられ、そのお陰で近隣国では最も栄えていると言っていい。
流行病が隣国を襲い、かなりの人がそれで亡くなったとしても、この国ではそれほど酷くその病にやられることはなかった。後で解ったことだが、それは人の排泄物や嘔吐物から人に移ることが解った。が、この国は、アルヴィース様のお陰で、下水という施設が早くから取り入れられている。お陰で、300年の間に、その下水施設は各地に広がっている。その流行病を事前にシャットアウトできるシステムが、すでに備わっていたのだ。
そんな話しは、沢山あった。この国の繁栄は、アルヴィース様を抜きに語ることはできない。が、何せ、アルヴィース様は気まぐれに姿を表す。そして、人、1人の一生で、お目にかかれるか、その姿を見ることなく一生を終えるかの周期なのだから、次のアルヴィース様が目覚められた時には、その偉業の凄さを実感している人間は居ないのだ。
それを確かに伝えられなかった初期の頃は、アルヴィース様の知識を完全には履行できず、無駄にしてしまったことも多い。
神殿長の部屋を後にし、イサクソン卿はいつものごとく、<揺り籠>の様子を一目見ると、神殿を後にした。
<揺り籠>とは、アルヴィース候補の子供達のいる施設だ。
<揺り籠>にいた子供たちは、いつもと全く変わりはなかった。<揺り籠>を一目見て、いつも部屋をすぐに出てしまうのは、イサクソン卿にとって、どう表現して良いのか解らない複数の気持ちが綯い交ぜになるからだ。イサクソン卿は、とても恐ろしくて、それでいて荘厳な感じと言えば近いかもしれないと考えていた。
<揺り籠>の子供達は、健やかそうで、美しく保たれ、生き生きとしている。それがまた、恐ろしさを増幅させるのだ。
なぜなら、どの子よりも健やかそうなのに、どの子も微動だにせずに、柔らかい布団に包まれて眠りつつけているからなのだ。