マティアスの推測 1
ここは畑しかない大きな街道沿いの町で、ヴァレニウス領地である。しかし、あと半日行けば、もうフレドホルム領内に入れる場所だ。
ここまで、ヴァレニウス公爵に気づかれぬように進んできたが、はたして成功しているかは難しいところだとランバルドは考えていた。本来なら、真夜中に進むのだが、緊急事態でその選択肢は無い。何せ、50人の大所帯なのだ。この後、第二陣として27人、先行して進ませている14人が、ここで集合する予定になっている。
休憩の間に、ノルドランデル家からバルタサール宛に連絡の護符が届いた。それによると、ノルドランデル侯爵の領地の騎士団が、バルタサールの手助けに借り出されて来るという知らせを受けた。
「ちょうど良いではないか、この先で二手に別れるのだから」
「そう言っていただけるのは助かります。きっとオヤジのことだから、イサクソン卿にごり押ししたんじゃないかと……」
「卿は、エルナ様を目に入れても痛くないとの噂は聞いている」
「はぁ……そうなんです……俺たちは男ばっかりの兄弟なんで、オヤジにとっては女の子ってーのが嬉しいようですよ」
「そうなのか?」
「もう、通りがかりに顔を見に行っては、ドレスを作ってやる約束をしたとか、うちの領地に咲く花を土産に持って行く約束をしただとか……それって、独り言ですよね」
「あはは、国一番の騎士殿の唯一の微笑ましい話だな」
「笑いごとじゃないですよ、俺、最初に聞いた時にはもうボケたのかと心配しましたよ」
ランバルドには、バルタサールの語る話は、実に不思議な話しに思える。ノルドランデル侯爵の初孫は、エルナという女の子だった。だが、彼女はアルヴィース様候補として生まれてしまった。
いずれ、アルヴィース様として覚醒する時には、その人格は誰になるのだろうか? それはノルドランデル侯爵の愛する孫なのか、それとも……。そう想像すると、なんとも落ち着かない気分になるのだ。
情報を収拾させるために、先行させていた数人が戻って来る。最初の町で伝え聞いたところ、真夜中に宿を立った行商人の一団がいたらしい。その者たちは、ここ数日この周辺の町や村で日用品を売り歩いていた。確認のために、数人の部下をその行商人たちが進んで来た道沿いの情報収拾に送り出した。そして、自分たちはその行商人を追うように道を進んで来たのだ。
「しかし、いくつか同じ様に明け方早く宿を立った者もいたのに、どうしてその行商人を追うのですか?」
「……そうだな……しいて言えば勘だ」
「勘ですか?」
「まぁ、自分の勘を信頼しきっているわけでもないからな、それぞれに数人を裂いて追わせているだろう」
「まぁ……そうなんですが……でも、今追っている行商人って評判よかったですよね」
「そうだな……」
ランバルドに違和感を与えたのは、バルタサールが言うところの「評判の良さ」と、この辺りでは今まで見たことがないという行商人だったという2つの事柄だった。
ヴァレニウス公爵家から至宝と呼ばれるものを盗むのは、それ相応の準備が必要だと誰でも思う。では、犯人らは何時から準備を始めたのかとい問題を推測するに、短い期間ではあり得ないこと、でも数年を要しているわけではないと思うのだった。数年を掛けるほどの資金があるのなら、そもそも売ることが困難な至宝など盗まない。短い期間では、あの堅牢な警備をすり抜ける策を練ることはできない。屋敷の人間から情報を集めるための根回し、信頼を受けるほどの時間が必要だ。
警備の厳しさは、館に出入るする商人、屋敷で働く者たちを完璧に掌握しており、いずれもその身の保証は完璧だった。その徹底ぶりは、王宮に出入るするように厳しい。
が、ただ一点、あの館に手引きをする者がいれば可能なのだが……。
「バルタサール、ノルドランデル侯爵の騎士団は、どこで合流が可能なのだ」
「はい、フレドホルム領の街で落ち合う予定になっております」
「では、お前はそのまま情報を拾いつつ、オリアンまで進んで欲しい」
「オリアンですか?」
「ああ、そこで情報収集をしておいて欲しい。例の行商人たちのことを……」
「はぁ……」
ランバルドは、今夜詳しい作戦を説明するとだけ言うと、バルタサールを置いて、数人の部下を引き連れて森の中へと消えて行った。
バルタサールには、ランバルドの言うこともすることも、完全には理解できていない。でも、それについては別だん不満もない。バルタサールには、昔から細かい策略や悪意ある人間の行動など、理解できなかったし、理解する気もないのだ。すぐ上の兄には、それではダメだと言われているが、バルタサールにとっては、簡単なことではなかった。あまりに気にしすぎたために、今までのように、人に接することができなくなってしまったのだ。
バルタサールがそんなことに思考を彷徨わせていると、急に周囲がざわめき出したのに気がついた。何ごとかと思っていると、部下達をかき分けて、恐ろしい形相の従兄弟殿がやって来るのが見えた。と思ったら、体が勝手に従兄弟に背中を向けてていた。勿論、走って逃げるためだ。
「バルタサール〜!」
バルタサールの条件反射を止めたのは、怒りに満ちた声だった。
「マ、マティアス、どうしてここへ……」
「それは、こちらが聞きたい!」
「そ、それは俺に聞かれても……」
「お主のオヤジ殿と言い、お主といい……何故、いつも面倒ごとを持ち込むのだ」
「えっ〜……と、オヤジがお前をここに?」
「誰が好き好んで、こんな場所に来ると思っている!」
そう怒鳴るのなら、自分の父親に……とは口が裂けても言えないバルタサールは、この優秀な従兄弟に幾度となく助けられているのも確かで、この怒りを甘んじて受けようと思ったのだ。それに、この怒りは、ある程度発散するまで続くのは長年の付き合いでよーく解っているのだ。
従兄弟のマティアスの怒りが収まったのは、ランバルドが森の偵察から帰って来る少し前だった。穏やかな微笑みのマティアスをランバルドに紹介できて良かったと、心の中で胸を撫で下ろすのだ。
「おお、それでは貴方が噂のマティアス殿ですか」
「噂?」
ランバルドがそう言うと、眉を潜めてバルタサールを睨みつける。
「お若いのにとても優秀だと、どの方もそうおっしゃる」
「いえいえ、大変な問題児が近くにおりますので、図らずもそのように見えるのでしょう」
ランバルドは微笑んだ。この憎まれ口を言う青年は、王立の学校の時代から、その優秀さで鳴らしている。そして、マティアスの言うところの問題児・バルタサールもそれは同じだった。
「ノルドランデル侯爵の命によって、このバルタサールを助けろとのことで参りました。で、このバカは何をしでかしましたか?」
「おい、マティアス、俺はまだ」
「まだ、何だ? これからやらかすのを見張れとでも言うのか?」
「まぁまぁ、ここではいろいろ問題があるので、あちらで……」
ランバルドはそう言うと、マティアスとバルタサールを最も開けた場所の中央に誘うと、部下達を遠ざけた。
「今朝、ヴァレニウス公爵の館で、とある物が盗難にあって持ち出された」
「……アードルフの所から?」
「昨夜は、屋敷内の敷地では、使用人達がソール神の宴で敷地のいずれにも人の目があったらしいのだ。屋敷の警備はいつもの通りだったそうだが、その中で盗難事件が発生したそうだ」
「ソール神の宴……ねぇ〜」
「それで、我々がその盗賊たちを追うことになったと言う話しだ」
「その盗まれたものとは、何なのですか?」
「我らにもその正体は知らされていない、唯一の手がかりは『120×50×30センチの箱に入るもの』と言うことだけだ、アルヴァー騎士団長の言うところの『我が国の至宝』だそうだ」
ランバルドの説明の後、暫くマティアスな何ごとかを考えているのか口を継ぐんでいる。それを待っていたのか、バルタサールは、ランバルド尋ねた。
「団長、例の荷馬車は街道を進むんでしょうか?」
「森の方を調べたが、近辺の獣道にそれらしい形跡はなかった」
「先ほど、食料品の行商をしている例の明け方に出た荷馬車には、うちの領内で見つけて、荷物を調べたところ何もなかったそうです。追いついた村もここ20年も回っているのルートでした。話を聞いた者によると、怪しいところは無かったそうです」
「では、その荷馬車は捜査からはずしておくか」
「そのように言って、こちらに向かうように指示しておきました」
「そうか……で、マティアス殿は、この事件をどう見ますか?」
「簡単です、内部の者の犯行ですよ」
「なっ」
ランバルドとバルタサールは息を飲んだ。バルタサールは、ヴァレニウス公爵家の内部の人間を犯人にしたことも驚いたよだったが、ランバルドは、それを『簡単』だと言い切ったことの方に驚いたのだ。
ヴァレニウス公爵家の内部の人間を犯人だと言うとこは、イサクソン卿からの極秘の命令を受けた段階で、それとなく疑ってはいた。が、それは決して口に出して言う者はいない。何せ、ヴァレニウス公爵家は、国王の縁者なのだ。
「厳重な警備に、敷地内の至る所に監視の目、そして、何も形跡を残さない盗賊とやらの手口。鉄壁な警備からの鮮やかな手並みは、内部に犯行を手引きするものがいれば、あっと言う間に解決するではありませんか」
「マティアス、いくら兄上を嫌っているからと言って、それは余りにも……」
「別にあのご仁が犯人だとは言ってはないぞ。それに良く考えろ、内部犯だとしても、この逃走の手際の良さは、我が従兄弟君には実行も計画を練ることもできるわけなかろう」
ここにも、ヴァレニウス公爵に辛辣な評価をするものが居た。
「では、その至宝は屋敷内ではなく、持ち出されていると?」
「見知った者が、箱を運んでいるのを目撃しても、誰が何を不思議がることがありましょうか。時に、ソール神の宴だと言うではないですか。酒を運んでいるとでも言えば、誰も疑うことはないでしょうし、『怪しいことがあったか』と尋ねられて、誰がそのことを思い浮かべると言うのです」
「なるほど……」
「……本当に兄上は関係ないのだろうか……」
バルタサールの思考は、まだそこで留まっていた。マティアスは溜め息をついた。
「内部犯の犯行ではない可能性はある、がその推測はただ1つだけだ」
「それは何だ?」
「魔法を使うことだ」
「それは……無いな……」
「屋敷への侵入、そして姿を見られずに警備の目を搔い潜って、品物を持ち出すという魔法だ」
「無いな」
「無いですね」
3人で『無い』と言い合った。
それだけの魔力を持った人間は、数人しか存在しない。なおかつ、その魔術は高度なので、護符で代用できるものでもない。
魔術師が関わった可能性は、遥かに低い。なおかつそれだけのことを成し遂げる程の魔術師は、王宮にいる3人の魔術師だけだ。が、その3人が無関係なのは、貴族であれば皆知っているのだ。