ノルドランデル侯爵
その知らせが届いたのは、ソール神の宴、2日目の昼だった。
王都の館に滞在していたので、早くその知らせを耳にすることになったのは、不幸中の幸いだった。早速、ノルドランデル侯爵は、宰相であるイサクソン卿からの呼び出しで王城に足を踏み入れることができのた。呼び出しが無ければ、自分で押し掛けただろう。察しが良いイサクソン卿が、ノルドランデル侯爵が大騒ぎをするだろうと見越しての呼び出しだろうと、当の侯爵も解っている。
「おお、ノルドランデル侯爵、良くおいでくださった」
部屋に案内されて入ってみると、イサクソン卿はしれっとした顔で言う。その声を聞いたら、この事件の一報を聞いた時以上の怒りが沸き上がって来た。
「エルナはどうした!」
「今、そなたのご子息が血眼で探しておるよ」
「探す? 探す前に、何故いなくなったのだ」
「落ち着け……」
怒声をまき散らす目の前の男に、うんざりしながら、イサクソン卿は取りあえずノルドランデル侯爵を椅子に、渾身の力で座らせた。びくりともしない、歳不相応な肉体は、まさに騎士の中の騎士と称された男に、引退は早かったのでは? と思わせられる。
イサクソン卿には、信頼できる者は少ない。それでも、目の前の男には無条件で信じられる部分があった。それは、国王への忠義と民へと向ける騎士道精神だ。真っすぐに生きるように純粋培養された集大成のこの男は、80年前に悪辣な王へと意趣返しをした気骨溢れる騎士の子孫なのだ。
だが、欠点はある。この男は、初孫のエルナが可愛くてたまらないらしい。領地を出て王都に来る途中の行き帰りは、必ずヴァレニウス領を通って、孫の顔を見て行くのだと言う。今、王都にいると言うことは、数日前にエルナの顔を見ているはずだと、イサクソン卿は確信している。
「落ち着け? お主はこの儂に落ち着けと言うのか?」
「もういい、儂もそなたの孫が行方不明になっていることは、大事だと思っておる。それは、陛下も同じだ」
「どうなっておるのだ、誰かにかどわかされたのか?」
「それは、考えの1つだ」
「どこの輩だ!」
「それが解れば苦労はせぬな。それとも、そなたに心当たりでもあるのか?」
「エルナは可愛い……万民がエルナの可愛さの虜になるのだ。不埒にもその者は、エルナを自分のものとしようなど……」
エルナという、侯爵が目に入れても痛くない姫君が、どんなに可愛かろうと、館の外に出たことはないのだから、その可愛さとやらを知る者は少ないだろう。などと、至極当然のことをイサクソン卿はわざわざ口にすることはしなかった。言うのも馬鹿らしい。
「騎士たちはどうしておる!」
「エルナ殿は目覚められて、王都にお1人で向かわれたと、そなたの子息が申しておるのでな、王都までの道をくまなく捜査させている」
「目覚めた? エルナは、目覚めたのか!」
大音響の叫び声が、イサクソン卿の耳を襲う。
「さすれば、約束のドレスを作ってやらぬといけないな」
「何の話だ?」
「エルナと約束をしたのだ、目覚めた暁には、エルナに似合うドレスを作ってやるとな」
イサクソン卿は呆れて良いのやら、好々爺に目を細めてよいのやら迷った。
「……それは、独り言と言うのだ……」
「何か言ったか?」
「いや、何も……」
これほど孫にトチ狂った者が、騎士団長を名乗っていなくて良かったと、今、初めて思った。が、子であっても親を陥れることもままある貴族の中で、この愛情深さは異質だった。別段、ノルドランデル家が、それとは無縁の家ではない。良い例が、嫡男であり、渦中のヴァレニウス公爵がそれだ。
昔から、ノルドランデル侯爵とその息子、アードルフとの仲はそれほど良くなかった。父は、剣で国を守る武人として名を馳せている。今でも、騎士団長と言えば、ノルドランデル侯爵を思い浮かべる者は多いだろう。実直で裏表のない誠実な男だ。が、その嫡子が正反対の性質で、口が上手く、身なりに神経質なほど気を使っている。
ノルドランデル侯爵が身内を重視する人間なら、息子は人の上っ面しか気にかけない。父親が凄すぎるので歪んでしまったのか、それとも、そう言う性質に生まれついたのか、イサクソン卿には解らなかった。が、面白いことに、侯爵の三男は、侯爵の性格をそのまま引き継いでいると言う。
「で、儂を呼び出したのは何用だ」
とたんに武人の顔に戻って、ノルドランデル侯爵は問いかける。そんな所は流石だと思う。
「そなたの所の兵力を、少しバルタサール殿の所に貸し出してはもらえないか」
「ふむ……それは構わぬ。エルナを探すためであるなら、全勢力を出してもかまわぬぞ」
(まさか、その中に自分はふくまれていないだろうな……)
一瞬、浮かんだその怖い考えを振りほどいて、これから話すことに意識を集中させた。
「これから話すことは、公の胸だけに収めておいて欲しいのだ。そして、この話しは、公にとってはとても聞き入れられない話しやもしれぬが……」
イサクソン卿は、そう言うと、懐かしい騎士団長の瞳に向き合った。
「旦那様、いかがでしたか? エルナお嬢様は……」
館に戻ると、ノルドランデル家の執事、アールトがそう尋ねてきた。
「いまだに行方が知れぬ……アールト、至急領地の騎士をフレムホルム領地へと向かわせるように早馬を飛ばせ」
「それは……」
「バルタサールの元で任務を遂行するのだ。指示は、バルタサールに仰ぐように」
「かしこまりました」
執事はそう言って、頭を下げるとどこかへと姿を隠す。
エルナが心配で、いてもたってもいられぬ訳が無いノルドランデル侯爵なのだが、さらに、イサクソン卿の話しのお陰で、この王都から離れることができなくなってしまったのだ。
不愉快であったが、同じ位、イサクソン卿の話しは不愉快極まりないと感じていた。しかし、それに反論するモノを持っていなかった。
まるっきり真反対の性格であるアードルフにとっては、侯爵は理解してくれる親であったのかと言うと、そうではないと言い切れた。武人であり、考え方は単純である故に、アードルフの性格は難解で、理解しがたいことが多かったと思い返す。
次男のヴィリアムは、アードルフに近いものの考え方ではあるが、その思考の進み方は理解できた。三男のバルタサールに至っては、自分の若い頃を見るようで、いとも容易く理解できた。ノルドランデル侯爵を含めた家族は、アードルフを理解できるものがいなかったのではないかと思うのだ。
そんな家は、アードルフにとっては居づらい場所であったのか、結局は家を継ぐことはなく、王の妹であるクリスティーナを娶って、ヴァレニウス公爵家を継いだ。
この結婚は、2人ともが望んでいて、息苦しいノルドランデル家を出ることもできるので、アードルフにとっては都合が良かったのではないかと思っていたのだ。
(まさか、自分の息子が、自分の娘の行方不明に一枚噛んでいるとは……)
そうは思いたく無いが、それを否定できない。数日前に尋ねた館は、特に変わったこともなく、変わったことと言えば、数日後に開かれるソーン神の宴に、館の使用人たちに敷地を解放して、3日間の宴の食事や酒を用意させているという。過去に見たことも無いような大規模なものだった。
そして、1人の部下が新しく取り立てられていた。その男はとても優秀そうに見えたし、それだけではなく、その部下は文官だと言うのにノルドランデル侯爵には、その者からは武人の匂いがしたのだ。
変わったことはそれだけだ。だが、それがエルナが行方不明となった夜に大きく関わっている。エルナが1人で王都に向かっていないとすると、不埒者がエルナを攫ったのだと理解できる。理解できるが、何故、何の目的でエルナを攫うのか解らないのは、ノルドランデル侯爵もイサクソン卿も同じであった。アルヴィースとして目覚めたことを知っていなければ……。
ノルドランデル侯爵の長年に渡って染み付いた武人の考え方や直感に従うなら、エルナは攫われたと感じていて、そして、その者たちはただの盗人ではない何者かだと言うこと。
侯爵は再び、執事のアールトを呼びつけると、もう一通の手紙を届けることを命じた。