王立公文書館の管理者
ヴァレニウス国の王都は、近在にある国々の中でもずば抜けた規模である。街の大きさ、経済規模、敷地面積などどれをとってもこれほどに大きな街は存在しない。
遥か昔にこの地に遷都をさせたアルヴィース様は、最初からこの広大な規模を街と認識していたかのように、区画整理を進めた。それから300年、やっとアルヴィース様が計画した遷都が完成したと言ってよいのだろう。王宮を中心に、年輪のように町並みが構成されている。王宮を中心に外へ年輪を刻むように、行政機関の建物と王立の学校、住宅街、商業地、住宅地、工業地帯、住宅地、倉庫と宗教施設、そして最期にぐるりと街を取り囲むように城壁が巡っている。
それぞれの区画の間には馬車3台分の広い道が作られ、また王宮を中心に広い道が東西南北に走っている。これは、アルヴィース様の命令で儲けられたもので、もし火事や疫病が発生した時に、その区画をいち早く隔離できるようにしたものだ。
また、所々に広場もあって、そこは避難所でもあり、周辺の民の憩いの場であり、休みの日はマーケットが立ち並ぶ賑やかな場所に変わる。
今になって、この街の作りで感謝されているのは、万遍なくある井戸と下水道である。街が出来てから、下水道を作るのは時間とお金のかかる事業になったであろうし、どこでも少し歩くだけで水が手に入るのは、民にとってはとても助かるのだ。そして、衛生面で下水道の完備は欠かせない。
街を作ったアルヴィース様は、街と同じような考えで、王宮の建物も設計した。利便性が高く、警備しやすい作りになっているのだ。
中心部の建物が、王が住まう王城であり、謁見などの王に身近な政治的な部屋もそこにある。特筆すべきは、その王宮を中心に四方に通路が作られ、その外に外交、法務、経理などの執務の部屋や、文官の仕事部屋、資料室などのある建物が作られているのだ。
ここで重要なのは、いかに少数で完全な警備ができるかと言うことだ。この放射状の通路は、両脇に部屋などはない。1階から3階にあるそれぞれの階層は廊下だけの建築物になっている。この4つの廊下だけの通路を抑えれば、それだけで王城に押し入ることは不可能になる。理屈上は12人で守れるというのだ。その数を2倍にすれば、警備が2倍に、3倍にすれば……となっているのだ。
また、王城は、中央が吹き抜けとなり、その部分の1階に降りると中央から地下へと降られる。そしてその地下からは、とある場所に出れる通路となっているのだ。
通路を護り、その間に王は更に中心地へ進んで、外へと脱出できる作りになっている。
王城にあるのは、王と王妃、そして3人の子供達の部屋、最上級の客間、宝物庫、そして、残さねばならない書物の数々である。
この王都を作ったアルヴィース様は、その一点は決して譲らなかった。そして、その書物や書類の数々を3部作らせて、1つは王城に王立公文書館を作りそこに、もう1つは王立学校に、そして最期の1部をとある場所に隠してしまったのだ。その最期の場所については、当のアルヴィース様しか知らないと言うものだ。
今、王立公文書館の管理保管をまかされている書庫に、宰相のイサクソン卿がいた。自分の身長の倍はあるだろう本棚が、1mだけの通路を作っていくつもそびえ立つ。
「ビブレーティア!」
この中に入って人間を探すのは嫌だといつも感じる。自分が通るのを待って、本棚たちが倒れこんでくるような気がするのだ。その感覚が拭えないのが、本棚にちょっと手を掛けるだけで嫌な音を出すからだ。
それ故に、先へは進まずにここの責任者の名を呼ぶに留める。名とは言うが通称である。ここの管理者は、300年前にこの場所が作られた時からそう呼ばれている。
「おらんのか、ビブレーティア!」
しばらくすると、遠くから声が聞こえて来た。
「おらんわけなかろうが!」
まぁ、そうだろうと、イサクソン卿はつい苦笑いをする。ビブレーティアこと、アウグストは、イサクソン卿とは長い付き合いだ。イサクソン領主の子として、王立学校に入学した時に知り合った平民の子だ。王立学校は、特に優れた学生が、国中から集められる。貴族には試験がないが、家庭教師などの教育職に就いている者の推薦状があれば入学できる。が、平民となると話しは別だ。勿論、各地方で子供たちを教える者、その町村の長の推薦があって初めて入学試験を受けれるのだ。その後に行われる聞くだけでも恐ろしい難解な試験をクリアーして、初めて入学が許されるのだ。
そんな最優秀のアウグストと学校で出逢って、そして、何故か馬が合った。貴族の子と平民の石製工房の子が馬が合うなどあるのだろうかと、当時から不思議がられたが、実は当人たちが一番戸惑っていたのを思い出したイサクソン卿は、今もまだその驚きからは逃れられないでいた。
それでも学校を卒業してからも、何かと顔を合わせる職についたので、その関係は今も継続中だ。イサクソン卿は王宮で文官の仕事を、アウグストは王立の教師をしながら、ここにあるものを守ってきている。
「今度はなんだ、ハンネス……」
久しく聞かなかった自分のファーストネームを聞くることができるのは、アウグストの口からだけになった。よもや、国王の次に権力を持つイサクソン卿をファーストネームで呼ぼうとは、誰も夢には思わないだろう。気軽に呼んでいた両親はすでに天に召されている。そのファーストネームを呼んでいるのは、平民なのだから周囲は知ったらきっと仰天するだろう。いや、平民がこんな王宮奥深くで、厳重に守られた王城にいることがおかしいのだとも言える。
イサクソン卿はふと笑いをこぼした。
「何か面白いことでもあったか?」
「いや……私の名を気安く呼ぶのはお主だけだと思ってな……」
「そんな役職になんぞ就くからだ」
「そうだな……。ところで、アルヴィース様の文献は記憶しているか?」
「勿論だ」
「その文献に目を通したことはあるか?」
「勿論だ」
「アルヴィース様の目覚めについては?」
イサクソン卿の最期の質問に、アウグスト・ビブレーティアは眉をひそめる。
「遠回しな言い方をせんで、単刀直入で聞け」
「これは、国の最重要事項だ」
「……目覚められたのか?」
「……と言われている……」
「言われている? まだ確認はしておらんのか」
「確認できるものなら、儂はここにはおらんよ」
「……然もありなん」
イサクソン卿は、目覚めた者がどこの誰だかは、敢えて口にはしなかったが、事件の概要を伝えた。黙って聞いていたアウグストも、それを聞いた時と同じ質問をイサクソンにしてきた。『攫われたという選択肢』が何故無いのかと。
「それよ、儂が言いたいのは」
「それについては、当人は何と言っているのだ?」
「館が高い塀で囲われ、敷地の至ところに使用人達がいたそうだ。ソール神の宴の会場に解放していたそうだ」
「警備はあったのか?」
「その子の部屋だけは、通常の警備だったそうだ。その館は、多分……この王宮の次に警備が厳しい場所だ」
「で……過去のアルヴィース様は、王都に1人で来た記録があるかと言うことか?」
「いや、そうではなく……」
イサクソン卿はアウグストの近くまで歩み寄ると、とても小さな声で疑問を口にした。
「あやつは、今、どこにおるのだったかな……」
山と積まれた資料の中で、アウグストは呻いた。イサクソン卿の疑問に答えるべく、アルヴィース様関連の書籍や書簡に目を通していたが、完璧に記録が残されているアルヴィース様は3人。所々欠けている情報のアルヴィース様は2人。記録とは言えないような情報しかないアルヴィース様は3人である。その他に、アルヴィース様と認定できないものを含めると、資料は膨大なものになっている。
そもそも、アルヴィース様が目覚めた時に、王都に向かうようにし始めたのは、ここ数人だった。アルヴィース・アリス様が住み慣れた村を離れるのを嫌がったため、今後はそうならないように、アルヴィース様候補の子供には魔法がかけられていると言われている。
イサクソン卿の語った話は、アウグストですら耳を疑うことが多い。アルヴィース様が目覚めると、まるで別人の大人になると言われている。判断、知識、思考が子供のそれとは明らかに違うのだ。しかしながら、アルヴィース様は神ではない。何でも知っているわけではなく、たとえば、目覚めた当初は今いる場所も解らないし、その場所が王国のどの位置にあり、どんな気象条件で、どんな土地柄なのかを知らないという。家の中で大切に育てられた候補の子供が、一瞬にして大人の知恵と知識を身につけたようだと語られている。
見知らぬ土地で目覚め、王都に向かおうとするには、やはり無理がある。それに、居なくなったのは真夜中だと言うのだ。真っ暗な夜に、見知らぬ土地を出るだろうか?
イサクソン卿の推測が正しければ、やはり1人で王都に向かうとは思えない。では、誰かに連れ去られたのか? 過去のアルヴィース候補の子供の中には、王都で大切に育てられているとは言え、親にとっては子供を取り上げられたのと一緒だ。時には取り返そうとする親も存在するが、今回の子供は両親のもとで、王都で育てられるよりも大事にされていたと言う。
とすると、別の何者かがアルヴィース様の知識を悪用するために連れ去ったと考えるのが普通なのだろうか? それは否である。
現在、王都で候補者として育てられている子供は、そのいなくなった子供を含めて3人だ。その中で誰がアルヴィース様として目覚めるのか、それは神のみぞ知る。一番確実な方法は4人すべてを連れ去ることだが、そのような事実は無い。さらに、その4人がアルヴィース様として目覚めるかも解らないのだ。
アルヴィース様の記録の山をにらみつつ、アルヴィース様のことについて詳しい人間がいるとすれば、数年前に王立学校を卒業し、どこぞで教師をしている元教え子を思い出す。
自分が引退する頃には、ここの仕事を譲り渡すつもりでいる教え子だ。
アウグストは、その教え子に連絡をすべく、奥まった場所にある部屋へ向かった。とりあえず、彼の実家があるオリアンの町に手紙を書くつもりであった。