騎士団の捜査依頼
ノルドランデル子爵・バルタサールの朝は、使用人には大変迷惑なくらいに早い。
彼は、太陽とともに外に飛び出すと、厩にいる相棒のハーゲルの体をブラシで手入れをしてやる。そして、朝の稽古で剣を振り回す。それが終わると体を拭くか、湯を浴びるのだ。そして、朝食をすませ、昼まで馬に乗ったり、自分の従者を相手に剣を交えたり、武器の手いれをする。昼に食事を済ませると、暇を持て余して館の中を徘徊する。これは、夕飯まで続き、時には館の外に足を向けてくれるのは、使用人たちにとって、夢のように幸運な出来事になる。
ここは王都にあるノルドランデル子爵・マティアスの館である。この館の主も、使用人には大変迷惑な存在だ。マティアスは、すこぶる朝が弱いのである。
彼は、仕事が無いときは、太陽が真上にこなければ起きてこない。それから、朝食をとりながら書類やらを片付ける。朝食が終われば、サロンの日差しの中で、書物や書類に目を通す。太陽がいなくなると、夕飯をとり、その後に体を拭くとか、湯を浴びるのだ。そして、またもや書斎に籠って書類や書物に目を通し、その後、使用人達が本来眠りだす時間に、魔術の実験とやらをし始めるのだ。その途中で、やれお茶だ、実験に使う薬草を持ってこいと言い出したり、庭のどこどこの草を持ってこいだの、彼の1日の中でもっとも使用人達が忙しくなるという時間帯が、真夜中を過ぎても続くのだ。
ともに、使用人にとって面倒な2人が同時に同じ館で生活をしている。朝型のバルタサールと、夜型のマティアスの相手をするのは、完璧な2交代制度になってしまう。すると、人手が足りなくて、使用人は心身とも疲れ果ててしまうのだ。
今も朝稽古を終えて、身支度を整えたバルタサールが朝食を終えようとしていた。
マティアスの館の使用人は、この2日で悟っていた。「バルタサール様を大人しくさせるには、食い物を与えておけ」と……。故に、身支度を終えたままのバルタサールを放っておくと、何をし出すか解らないので、すぐに食事が出来るように、完璧に時間を合わせるようにしていた。そして、頃合いを見計らって、お茶だお菓子だと与え続けるのだ。
が、この日の朝に使用人達が歓喜する事件が起きた。
バルタサールが朝食を終えた頃、王宮のアルヴァー騎士団長の命が届けられ、第1騎士団から第5騎士団の団長、副団長に王都への登城の命令が下ったのだ。
この後、何をしようかと暇を持て余していたバルタサールが、喜々として城へ立ったのを見送った使用人達は、涙を出さんばかりに送り出し、その後、安堵の溜め息と、喜びで沸き返ったのは、当のバルタサールは知ることはない。
城に到着したバルタサールは、すぐに直属の上司である第4騎士団長を見つけた。
「ランバルド殿、急な登城の命ですが何が起こっているのですか?」
第4騎士団の団長は、バルタサールの兄と同い年で、騎士団長の中で最も若い。茶色の髪のお陰で、鋭い眼光と、情の薄そうな形の良い口元、冷え冷えとした美男子が少し和らいでる。それでも、第一印象は怖いと思われるのが常だった。武具を着けていなければ武人とは見えないのだが、それでも彼は、最年少の騎士団長なのだ。剣の腕もその頭脳も、他の騎士団長には決して引けを取っていない。
しかし、彼はしがない下級貴族であるがゆえ、第4騎士団という、中ぶらりの地位にいる。
「良くわからぬ」
「我らまでもが呼ばれるとは……ただごとではございませんね」
ランバルドは溜め息をついて、バルタサールの胸を人差し指で突いた。
「その笑いを引っ込めろ」
「そうは言いますけどね、第4騎士団って、草を食べるヒツジとかウシを眺めながら、馬に揺られて欠伸を噛み殺すのが仕事だと思いはじめてきた所ですからね」
「大事が起こったと言うことは、誰かが大変な目にあったか、これから大変な目にあうと言うことなんだぞ」
「だからですよ、もう起こったことは俺にはどうすることもできませんけどね、でもこらからのことを防ぐことは、できるじゃないですか!」
瞳を輝かせて、幼い少年の様に無邪気にそう言うバルタサールは、ランバルドには眩しかった。ランバルドの思考が、およそ本人が望まぬ暗闇に引き寄せられるかのように進んで行くと言うのに、この若い副団長の思考は、光に向かって常に進んで行く。
悪いことが常に目につくランバルドと、良いことに常に向かっているバルタサールは、正反対ではあるが、良いバランスなのだろうと思っていた。バルタサールの優れていることは、無意識で人を引きつける所だ。そんな彼は、簡単に部下の中に入り込めるし、その士気を高めることもいとも簡単にやってのける。
「団長は何だと思います?」
「……一面に広がる風にそよぐ麦畑の中を、馬にのって欠伸を噛み殺す仕事だな」
「ええ〜!!」
真に受けてはいないだろうが、バルタサールはランバルドの冗談にも、全力で向かって来るのを聞き、まだ幼いのだろうと感じる。ちょっとは、ひねった答えを求めたいランバルドだが、まぁ、バルタサールはこのままでいいのだとも思っている。
2人は、そんなことを言い合いながら、騎士団の詰め所である部屋へと向かった。
部屋に集められた騎士達は、巨大な国内の地図を前に陣取る第1騎士副団長のビリエルの元に集められていた。しかし、ランバルドとバルタサールは、第1騎士団長のアルヴァーに呼び止められると、部屋の前を通り過ぎて、隣の部屋へと案内された。
他の騎士団に下された命は、とある貴族の子供が迷子になっており、この王都に向かっているので探すように伝達されていた。が、別室で待たされていたランバルドとバルタサールはそのことを知らないままに、別の命令を受けていた。
それは、ヴァレニウス公爵家から王家より継承された至宝を盗んだ者がいると言うことだった。その犯人たちを追い、その宝を無事に取り戻すように命じられた。驚いたことに、この命令は宰相のイサクソン卿直々の命令であると言う。と、言うことは、ランバルドとバルタサールに、この仕事をさせたいと宰相が考えたと言うことだ。
「盗人を追う……のですか?」
「ああ、そうだ」
「で、その者たちはについての情報は?」
「盗賊の人数は不明だが、ヴァレニウス公爵家の警備を考えると、少人数ではないと思う。最低でも5人辺りだろう」
「して、我々は何を取り返せば良いのでしょうか?」
「すまない、そのモノについての詳細は極秘だ。ただ、その大きさは120×50×30センチの箱に入るモノ……としか答えられない」
ランバルドは表情を変えることはなかった。が、その表情とは反対に、困惑しつつもフルに頭を働かせていた。盗まれたものを取り返し、盗賊を捕まえるとは、普通すぎる任務だ。
しかし、上級貴族でも王家との深いつながりのあるヴァレニウス公爵家での事件。警備を搔い潜り、『至宝』と呼ばれているお宝を鼻先をかすめるように盗んだというのだ。その人数が5人だと言うアルヴァーの言葉を信じるとすれば、それはただ者ではないと言うことだ。
そして、詳細を伏せられたその至宝も、何故伏せられているのか良くわからない。5人と言う人数も、何か根拠のあるよな数字に感じられる。
目の前の騎士団長から聞かされた命令が、その言葉通りではないと確信をした。
「逃走した方角や、その他に情報はありませんか」
「これは、宰相殿の推測なのだが、逃亡した方角はヴァレニウス領地の西か北で、5人以上の盗賊たと推測できるが、至宝を運んでいるのは1人か2人やもしれぬ」
「その大きさのモノを人目につかぬように運ぶには、荷馬車が必要ですね。それとも、小脇に抱えられるほど軽いのですか?」
「いや、それは不可能だ」
「解りました……では、我々も早急に出立いたします」
「言うまでもなく、この任務は極秘だ。他の騎士団は勿論、部下たちにも詳細は伏せてもらいたい」
そう念押しをされたランバルドの瞳が細められた。
「では、ご報告はアルヴァー騎士団長とイサクソン宰相の他に……」
「私に直接報告をしてほしい」
「では、当のヴァレニウス公爵家にも?」
ランバルドの質問に、アルヴァーは何の反応も返答もしなかった。それが意味するところは、被害者である公爵に報告をしなくても良いと言うことだ。いや、それよりも積極的な否定にとれる。それを確認すると、ランバルドの体に緊張が走った。
「では、すぐに捜査に向かいます」
「我が国の至宝だ、是非にも取り返して欲しい」
「はい」
そう言って、立ち上がったランバルドにつられて、バルタサールが慌てて立ち上がる。バルタサールには、この命令や細かい指示の本当の意味を理解できてないのはランバルドには解っている。
ふと、バルタサールを見ると、何を考えているのか黙って後についてくる。
バルタサールは、ノルドランデル侯爵の三男だ。そして、渦中のヴァレニウス公爵は、ノルドランデル侯爵の息子で、バルタサールの兄になる。イサクソン宰相の思惑が透けて見えるようだ。
「バルタサール……」
「何でしょうか」
「お前の兄は、ヴァレニウス公爵だったな……どんなご仁だ?」
「……まぁ……社交的で少なくとも国内一の美男子だという噂です」
「弟のお前が、噂話をしてどうする」
「俺はあまり、兄とは馬が合わなかったので……まぁ、俺とは価値観や見るものが全く交わらない人でしたね」
「そうか……。アルヴァー殿の話しをどう聞いた?」
「……その盗難に兄が関わっているのではないかってことじゃないでしょうか」
ランバルドは驚いた。存外、このバルタサールは暗い思考とやらを持っているのかもしれないと思った。
「俺の兄……もう1人ですがね、その兄に言わせれば自分の望むものと自分の能力が釣り合ってない人らしいです」
「辛辣だな」
「もう1人の兄は、そう言うことには無頓着で、よく兄……アードルフ兄上を怒らせていましたよ。ヴィリアム兄上は、真実がこの世で最も重要なのだと言うのです。だから、アードルフ兄上も自分の身の丈にあった野望を持てば幸せなのにと……」
「真実……ね……。で、お前はその人物評価をどう見ているのだ」
「まぁ、ヴィリアム兄上の言うことが『真実』とやらなのか解らないですが、俺に言わせればアードルフ兄上は無い物ねだりのワガママなガキですよ」
先ほどのヴィリアムのアードルフ評価も辛辣だと思ったが、バルタサールのそれはもっと悲惨だった。さすがのヴァレニウス公爵も弟から見えれば駄々っ子扱いなのだ。
「バルタサール……この任務の意味……解っているか?」
「ええ〜っと……多分、大まかには……。でも、北と西ってどーするんですか?」
「まずは、ヴァレニウス領に行って、最近町を出入りした馬車を洗い出す。そして、それを追って、西には私が、北にはお前が向かうことになる」
「荷馬車……行商人、大道芸人、買い付けの商人……」
「まぁ、そんな所だろうな」
バルタサールは、溜め息をついた。それは、この事件に兄が絡んでることへの面倒くささか、それとも数多く行き来する荷馬車を虱潰しに調べる面倒くささなのか、ランバルドには解らなかった。