王都への使者
大理石の床は、いつも誰かが磨き上げる、自分の座る椅子も同じだ。が、この大理石の椅子とは言えない代物に座り、謁見をするのは地獄の責め苦だと心の中で叫んでいるのは、ヴァレニウス49世である。最初の頃は、ただこの椅子に座るというだけで、気分が滅入ってしまったのだが、今は少しましになったとは思うものの、それでも、少しとも言えない少しだと文句は続く。
溜め息を殺して玉座に腰を降ろすした国王は、それでも、ふかふかの椅子に座るように優雅に腰を降ろす。
「陛下、ヴァレニウス公爵家より、火急の謁見の申し出でございます」
「アードルフのか?」
「はい、公が直々に参っていらっしゃいます」
「ふむ……」
朝食もまだ済んではいないが、火急の知らせであれば、目通りを拒否することもできない。それも妹のクリスティーナの夫であるアードルフが、直々に来たと言うのらばなおさらだった。それに国王には、はなから拒否する気は毛頭なかった。妹の夫のヴァレニウス公爵は、周囲の国との外交を任せてあり、その者が「火急」と言うのだ。
が、その火急の用件とやらに、王には心当たりがない。西方のルンデル王国は、国が安定しているし、もともと同じ血族からなる国だけに、きな臭い話など想像がつかない。東方のパルム王国にしても、貿易が盛んで、我が国は貴重な商売相手と思っている。商人気質のパルム王国に、戦争という選択肢は存在しないと言っていい。
かと言って、国の南の海域にあるキャラルは、いくつかの大きな島の領主たちによる合議制をしいている。そうなると、つばぜり合いが始まり、よその国に何かをするような余力はない。
後は、フュルマン王国のことだが、正直この国は良くわからない。フュルマンとの間にはパルム王国が存在しているし、フュルマンはもともとパルム王国の血族だ。そのフュルマンに何か異変があれば、まずはパルムの国から情報が入ってくるはずだった。
そんなことをつらつら思いつつ、ヴァレニウス公爵が部屋に入ってくるのを見つめていた。顔には出ないが、国王はこの公爵をあまり信用していない。妹との結婚も、本来なら断固拒否したかったのだが、当のクリスティーナの願いでもあったし、見知らぬ土地の見知らぬ他国に嫁ぐのなら、少しだけは安心できると思ったのだ。
ノルドランデル伯爵の嫡男であるアードルフは、本当にノルドランデル伯爵の子なのか疑いたくなる程似ていない。ノルドランデル伯爵は、実直で誠実な男で、そして他者が苦しむのであれば、己が苦しむ方を選ぶ。そんな姿勢も国王は愛し、信頼を寄せている。
片やアードルフは、身なりをいつも美しく着飾り、口から出る言葉も飾り立てられている。しかし、国王はその言葉の中のどこにも誠を感じたことが無いのだ。それを感じることができない程、国王は若輩でもないし、この最高峰に文句を言いつつ座り続けているわけではないのだ。
「陛下には、ご機嫌麗しく」
「ヴァレニウス公爵、このような朝早くから火急の用件とは?」
「はっ、当家でお預かりいたしております、我が娘にして、陛下の忠実なる姪、エルナが姿を消しました」
「なっ、何故そのようなことになった」
「昨夜、突然目覚められたようで、お一人で王都に向かわれたものと思われます」
「昨夜? それで、捜索はしておるのだな」
「はっ、それは直に騎士を向かわせおります」
「アルヴァー、騎士団に公爵領から王都への道を捜査させよ」
「はっ」
右に控える騎士団を統括する男に目を向けると、一声発して部屋を出て行く。
「しかし、腑に落ちませんな……」
「何か問題でもあるのか、イサクソン」
「いなくなったと言うが、何故、攫われたという選択肢を捨てたのでしょうか?」
左に控える男が、静に尋ねる。王よりイサクソンと呼ばれた男は、イサクソン領主にして、国王の補佐である宰相の席にある初老の男である。その瞳は、死神の様に冷ややかで、その言葉は悪魔をも恐れさせ、そして睨まれれば太陽も顔を隠すと、ある意味国王よりも恐れられている男である。当然、イサクソンからみれば若造であるヴァレニウス公爵など、引きつる顔を隠すことすらもできない。
「はっ、当家の警備は万全でございます。昨夜はソール神の宴ではございましたが、アルヴィース様候補の娘の部屋周辺には、厳重に兵を配置しておりますし、賊が侵入した形跡も見つけることは出来ませんでした」
「それでは、確かに何者も侵入はしてはいないと?」
「はい、それに子供とは言えども、娘を抱えて誰にも見つからずに行き来することはできませんでした。昨夜は、宴の為に使用人に敷地を解放しており、いずれにも必ず使用人がおりました」
「ふむ……」
イサクソンがそれ以上聞くことは無くなったのだろう口を閉じた。それを見て、王は続いて問い始める。
「エルナが消えたとなると、我が妹はさぞや心配しておろう」
「はい、それはもう見ているのも辛くなるほど……我妻は、愛情深く、ことのほかエルナを深く愛しておりますゆえ」
「そうか……」
「私も御前を失礼した後、すぐに領地へと引き返し捜索に加わるつもりです」
「しからば、良き知らせを待っておる」
「はっ、しからば御前を失礼いたします」
そう言うと、ヴァレニウス公爵は、優雅に立ち上がって会釈すると、部屋から出て行った。
「エルナが……目覚めたのか……」
この国には、アルヴィースと呼ばれる賢者が登場する。ある者は魔法の体系化して使用しやすく、護符を作って人々の生活を手助けした。また、ある者は、国の制度を作り、法制度を整えた。家畜の病気を直す知識と、家畜を増やす有効的な手段を教え導いた者もいた。この国の骨格から民の生活の改善にいたるまで、アルヴィース様の知識を見つけることは容易い。
アルヴィース様は、この国のみに存在し、他国でこのような存在が生まれたということは記録にはない。
あの酷く国を荒らし、国民が諸手を上げて喜び合ったヴァレニウス47世の死までの恐ろしい時代には、アルヴィース様は現れはしなかった。前王の48世が、国を元に戻すのに命を削るように働き、そのお陰で今ではやっと戦乱の傷が癒えようとしている。そのような時に現れたアルヴィース様が、この世界に何を起こそうとしているのか、誰にも確かなことは言い当てることはできない。それゆえに、完全なる賢者・アルヴィース様と呼ばれるのだ。
ヴァレニウス49世が、椅子の上で地獄の責め苦を受けながら、そんなことを考えている横で、宰相のイサクソン侯爵は、まさに死神の様な冷えた視線を前方に据えたまま、何ごとか考え込んでいた。