突然の訪問者
「あんたたちは、何でそんなに深刻な顔をして、こんなに楽しい晩餐を台無しにしているんだい。私には全然理解できないんだけどね」
「エッバさん、私だって『そんなこと気にするな』って言いたいけどね、仮にも村長という立場で考えると、そう簡単ではないんだよ」
村長の言葉に、エッバお婆さんが溜め息をついた。
「エルナがアルヴィース様だと困るって言うけどね、それはどうしてなんだい?」
「そりゃぁ、アルヴィース様なら国の為に仕事をなさる方がいいと思うし、何より、国王がエルナを欲しがるだろう?」
「まぁ、そうだろうね」
「それに、エルナがアルヴィース様だとしたら、国王のもとにいた方が安全なんだと思うよ」
「叔父さん、安全ってどう言うこと?」
村長さんの言葉に反応したのは、アーベルだけではない。
「アルヴィース様の知識は、お金になるんだよ。だから、アルヴィース様を狙う悪いヤツが出てもおかしくないんだよ」
おお、それは思いもしなかったよ。ちょっと考えればわかることなのに、この村の人たちが良い人ばかりだったし、オリアンで言葉を交わした人たちも、いい人ばかりだった。うっかり、この世界には悪い人がいないのかと……思っていたわけではなけど、考えもしなかった。
「そうだねぇ、悪いヤツらをエルナに近づけないのは王都に任せてもいいね」
「?」
「お前達は知らないのかい? なぜ、アルヴィース様候補の子供たちが王都で育てられているのか」
「……えーっと、アルヴィース様候補だから?」
「アーベル……それは大前提だと思うけど……」
「だって、それしか思い浮かばないよ」
「本当に知らないんだね驚いたよ」
エッバお婆さんは、再び溜め息をついた。
「昔、ノルドランデルの外れの町に、アリスという子が生まれたんだよ。その子は8歳でアルヴィース様として目覚めるんだけど、そのアリスという子は、自分の生まれた町や家族や、町の人が大好きでね、王様がどんなに頼んでも、お金を積んでも王都には行かなかったんだよ」
それは、すべてのアルヴィース様が王都へ行くわけではないってこと?
「アルヴィース様は知識があるからね、下手に怒らせても大変だろうってことになって、結局アルヴィース・アリスはその一生をその町で過ごしたんだよ」
ああ……成る程。アルヴィース様の候補になる子が目覚めた後、そこの土地に愛着を持ってしまうので、目覚める前に囲ってしまおうと言うことか? だから、今ではその候補になる子供を王都で囲っているのだ。
「候補になる子供が王都に集められているのは、アルヴィース様が、他に愛着なんかを持たないように?」
「過去の事例だけでなく、王都にとってもアルヴィース様に機嫌を損ねられたら厄介だからね」
「じゃぁ、エルナはアルヴィース様だとしても、この村を離れなくていいんですか?」
「そうだね……」
部屋の中に満ちていた思い空気が、一瞬にして和らいだ。
そっか、私がアルヴィース様であろうとなかろうと、この村にいていいのか。そう思考を完結させ、レギンを見るとこれまでに見たことないような、キラキラの笑顔を見せてくれた。そして、アーベルもニッコリと微笑む。
よかったよ、レギンたちが国から罰せられるようなことにならなくって。
なるほど、目覚めるとそこで生活して愛着が湧いて離れたくないって思うのは、私も同じだから理解できる。アルヴィース様の機嫌を損ねるとヤバイよね〜って思うこともなんとなく解る。が、それであっさり引いてしまう国王は、どうなんだろう。権力者というのは、とかく自分の思い通りにならないのを厭う。それでも、アルヴィース様を怒らせる危険を侵すことはできなかったのだろうか。
それって、アルヴィース様は王様の上に位置していないか?
「それにしても、エッバさん、その話しは皆知っているものなのですか?」
「知ってるも何も私たちの子供の頃は、アルヴィース様の話しは、よく爺さんや婆さん、母親から聞かされるものだったんだけどね」
「私も、良く話しには聞いていたしたよ、アルヴィース・アリス様は、紙を作った方で、ワインの作り方をお教えくださったって話しだったけど……」
「ダーヴィッド、お前さんにも話してやっただろう」
「えっ?」
「お前さんとクラースで、悪戯しては怒られて、私の手伝いをさせられるとそんな話しばかりせがんだと言うのに、忘れるのはあっさりだね」
「ええ〜!」
悪戯する村長って……イーダさんなら解るけど、村長が……。そう思ったが、イーダさんとダーヴィッド村長、そしてレギンのお父さんのミケーレさんの3兄弟の子供の頃。猛烈に見てみたかったぞ。
「そう言えば、エルナちゃんは、アルヴィース様だと言う自覚がないんだね?」
「まったく、これっぽちも無いです」
「アルヴィース様は、みんな自分がアルヴィース様だと自覚しているって言うんだけどね」
「そうですね、グレーゲル先生に聞きました」
「なんだい、エルナちゃんはもう先生と知り合いなのかい?」
村長さんが身を乗り出した。
「はい、たまたまオリアンの駐屯所で会いました」
「駐屯所?」
「えーっと、話せば長〜くなってしまうんですけど……」
私は村長さんに、グレーゲル先生との出会いを語った。特に何か、特出すべきことはないと思われたのだが、請われたので話しただけだ。私たちとグレーゲル先生との会話で重要なのは、アルヴィース様について、いろいろと教えてもらえたことだ。
しかし、村長さんが食いついたのはそこではない。
「え〜っと、昨日の段階では、彼は来月って言っていたの?」
「うん……どうして?」
「彼……オリアンに戻る時に帰る時に、今月の中頃にって言っていたんだ。やっぱり、忘れているんだね……」
がっかりするように肩を落とす。話を聞けば、グレーゲル先生は日にちや時間を間違えたり、勘違いしたりすることが多いらしい。他のことは忘れないのに、日にちや時間に関しては全く信用ならないらしい。
かなり急がせて、家を建てたり家具を揃えたりしたらしいのだが、当の本人が待てど暮らせどやってこないので、可笑しいとは思っていたらしい。
今は、食後の穏やかな時間を少数の人数に別れて、料理のこと、自分の子供達のこと、今日起こったおかしなことなどを話し、笑い合っている。ときどきそのメンバーが入れ替わったりする。
私は、レギンと村長さんとエッバお婆さんクヌートさんの近くにいて、時々アーベル、ブリッドがやってきた。
私たちの話題は、アルヴィース様のことだった。勿論、私がアルヴィース様と言うことではなく、この世界のアルヴィース様の逸話や伝説などだ。ところが、実際にアルヴィース様の話しとなると、村長さんの世代やエッバお婆さんの世代で伝わっていることが違ったり、業績がどちらのアルヴィース様のものなのか、違っていたりと、色々なことが食い違って伝わっていた。
グレーゲル先生は、ちゃんと記録があるのは5人くらいだと言っていた。この世界で、アルヴィース様のことをちゃんと記憶している人とか、本とかあるのだろうか?
その後に続いた話題は、あの《禁忌の森》で見つかった謎の男の人のことだ。話題を変えたのは村長だ。
「ところで、エッバさん。あの人は気がついたのかい?」
「家に連れて来られた時は、ちゃんと意識があって水と食べ物を急いで搔き込んだけど、その後、死んだように眠っているよ」
「名前とか、どうして《禁忌の森》に入ったのか言っていたかい?」
「いや、それどころじゃなくてね。古い切り傷が、化膿しはじめていてね、《禁忌の森》で怪我をすると傷が腐るって言うからさ、護符を使おうとしたんだけど、効力が弱くて驚いたよ」
「そろそろ、護符を取り替えたり、補充をしたりしないといけないなぁ」
「それなら、ヴィルマルに頼んでおいたから、祭りの時にでも補充をしておくよ」
「おーい、クヌートとハッセ、アーベル、こっちき来てくれないか」
急に、村長はクヌートさんとハッセ、アーベルを手招きで呼んだ。何が始まるのかと思ったら、あの謎の男について、村長は3人に警告したのだ。
「今日、《禁忌の森》でレギンたちが男を見つけたのは知っていると思うが、彼は今、どこの誰ともわからない状態だ。だから、暫くは家の戸締まりなどに注意してほしい」
「そんな危険な感じなの?」
緊張した面持ちでハッセが問う。何も緊張しているのは、ハッセだけでなく、村長に呼ばれた来た者は、一様に緊張を隠そうとはしていない。
「危険な感じは全くしない。でも、エルナとあの人は、もしかしたら何か関係があるんじゃないかって思う」
「えっ? エルナちゃん、記憶が戻ったの?」
「ううん、そうじゃないけど……村長さんが言いたいのは、こんな短期間で《禁忌の森》で人が見つかるのは可笑しいんじゃないかなってこと」
「ああ、そう言うことか……」
「どう言うこと?」
私の言葉で納得できてないのは、ハッセだけだった。ブロルが家で、私のことをアルヴィース様だと言ったかもしれないが、ハッセにとっては今日、急に話し合われたことで、まだ良く理解できてないのかもしれない。
「エルナちゃんは子供だ。その子供が、《禁忌の森》で発見されること自体可笑しいんだよ。偶然に、迷子になったというのであれば、エルナちゃんは子供一人で歩ける距離に住んでいることになる。でも、この近在には村や町は無いだろ」
「……そうか、誰かに連れられていたってことか……それがあの人?」
「まだ解らない、前にもレギンとアーベルとで話し合ったことがあるんだが、エルナちゃんは人買いに連れられていたのかもしれない」
「人買い?」
「それなら、商売の話しで問題は無いが、もしかしたら、どこかの豪商などの家から身代金を取るためとかで、誘拐されてきたのかもしれない」
「成る程ね……それが、あの男だとしたら……エルナをまた連れ去るかもしれないってことか……」
「だから、皆、それとなく注意をしていてくれないかな。勿論、エルナちゃんを1人にはしないように」
「解っています」
レギンは静かにそう答えた。
私は、あの男に誘拐されたのかと問われても、そんな記憶は無い。何度も言うが、この体に私が入るまでの記憶は無いのだ。だが、村長さんの心配も解るし、その可能性がまったく無いと言えない。
申し訳ない程、私事で騒ぎになってしまいそうな雲行きだ。だが、私だって、まだ良く解らないこの世界で、誘拐などされたくない。いやいや、よく解ってても誘拐なんてされたくない。
村長の話しが終わると、今年の《禁忌の森》での魔獣討伐の話しに移って行った。支度月に、毎年恒例で、魔獣討伐を行って数を減らすのだそうだ。それを今年はどの場所で、どの規模でするのかが話題の中心だ。
私としては、《禁忌の森》の謎が気になるのだが、この村の人にとっては、生まれた時からある森なので、それほど奇異には思わないのか、私が気にするようなことを口にしているのを聞いたことは無い。
たとえば、どのような生態系なのか。アーベルが言うのは、魔獣の子供などは見たことがないと言う。そのうえ、普通の森で見られるような齧られた草、糞や食べ物の残骸などを見ることは無いと言う。
そんな質問をしようとしている時、ノックされて戸が開いた。ノックの意味が無いんじゃないの? とは思うが許してください。これがこの村のやり方なのです。これでも丁寧な方なんですよ。普段は、ノックもせずに戸を開けて、住人の名前を呼びながら入って来るのだ。
顔を出したのは、私の知らない男の人だったが、村長さんは知っているようで、戸に近づいて行く。村長が近づくと、男の人が戸を振り返って手招きをする。誰かを呼んでいるようで、少し間があり、ぞろぞろと人が入ってくるのだ。
「レギン、お客さんだよ……俺、どうなっちまっているのか……良くわかんなくってよ〜」
戸惑う男の人は、レギンにお客だと言う。そのお客さんたちは、疲れきった顔をした男の人が、4人もの子供を連れているのだ。こんな夜に、何かただならぬことが起きているのを、ここにいた全員が感じた。
「あの〜……私はアランといいます。ステンホルム領の村に住んでいました。レギンさんはどちら様ですか?」
「俺ですが……」
レギンの反応からすると、全く見覚えのない人達のようだ。それでも、この村のレギンを尋ねたのなら、今、まさに目の前にいるその人以外はいない。
アランと名乗った人がレギンに一枚の紙を差し出す。その様子を4人の子供たちが見守っている。一番上は女の子のようで、一番幼い妹……だと思うけど、その子を抱いている。抱いている子は、ヨエルたちと同じ年頃で、抱かれている子はデニスくらいの子。そして手をつないでいる男の子2人は、先ほどの女の子たちの間に位置している年齢に見える。
「さぁ、あんたたち座りなさい、そんな疲れた顔して……」
イーダさんが黙ってられないとばかりに、前に進み出て、子供たちを椅子に座らせる。あまり、人見知りはしないのだろうか、言われたままに椅子に座る子供達は、テーブルの上に残っている料理を見つめていた。
ああ、こりゃぁ、料理の残りだが、食べさせた方がいいかなと思ったので、イーダさんに子供達に食事をさせるようにお願いをした。
その時だった、レギンの聞いたことも無い声を耳にすることになった。
「叔父さん!」
レギンはそう叫ぶと、村長の腕を掴んで震えているではないか。何があったのか、瞬時に私は不安に襲われた。
「レギン、大丈夫?」
私が下から見上げてそう言うと、レギンは男から手渡された紙を村長に押しつけ、凄い勢いで私を抱きしめたのだ。勿論、レギンが何をしているのかは解るが、何故そのように人が変わったようになってしまっているのかが解らない。困惑してレギンに抱きしめられている。
「兄さん、どうしたの? 何があったの?」
「兄ちゃん……」
レギンの不安定さが連鎖しているのか、不安そうなアーベルとヨエルが駆け寄って来る。
「……生きていた……」
「えっ?」
「オヤジとエイナは生きていた!」