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賢者様を待っている世界で  作者: 三條聡
第1章 テグネール村 1
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うまっ!

 次にしなければらならいのは、あのラード湯だ。捨てるのは、この世界では勿体ないのかな? でも、再び見たくもないし、匂いもかぎたくないのだ。それに、今の私にはこのラード湯から、美味しい料理に昇華させる自信がない。


「これ……捨てる?」


 恐る恐る尋ねてみたが、『えっ〜、勿体ない』と言われた。

 どうしてこんな有害廃棄物を食したがるのか聞いてみる。


「勿体ない?」

「だって、昨日みたいにチーズを入れれば美味しいのに!」


 んん? 単に勿体ないのかな。聞いていると、昨日のチーズを入れたスープが美味しいからと、渋っているように聞こえる。が、どんなに美味しい料理でも、チーズが入ったからってアレは廃棄物だよね。

 私は眉を寄せて、腕をくむ。そんな私の頭に大きな手が乗る。仰ぎ見ると、レギンがいた。


「どうしたんだ」

「あぁ、兄さん。エルナがこの鍋捨てるって言うんだ」

「捨てる?」


 あっ、レギンの顔には勿体ないと思っている表情だ。


「勿体ない?」

「そうだな……勿体ないな」


 私は、アーベルの顔を見て再び尋ねる。


「チーズが入っているあの鍋は、美味しいから勿体ない?」

「そうだよ、美味しいのに勿体ないよ!」


 がっくり肩を落とした。あれは、美味しいとは言わないんだけどなぁ。


「あれ……食べてると、悲しくなるよ?」

「悲しくなる?」

「チーズ入れても、あれは美味しくないもん」

「美味しいよ!」

「あんなの美味しいと言わないよ。あのスープは毒みたい…」

「ど、毒って……」


 一瞬飽きれた顔したアーベルだが、唐突に笑い出した。


「そう言えば、あのスープを一口飲んで、顔じゅうの力が抜けていたもんな。だーっって」


 私の口からだらだらとスープが流れ出たのを、手振りで再現してくれました。

 やめてー! はずかしぃ〜!!


「もっと美味しいの作るから! だからこれを捨てさせて!!」


 私の訴えは、レギンが吹き出したことによって了承された。

 レギンたちの気が変わらないうちに、鍋とともに昨夜の器などを外の井戸へと運んだ。私は、木製の匙を持たされ、レギンとアーベルは鍋やら器やらを運んでくれた。

 家の東側に水場となっている幅40センチくらいの川がある。30センチ程の溝に流れていて、水面と同じ高さまで降りれるように、2段の階段がついていた。そして、3段目は少し広くなっており、石が敷き詰められている。ここで洗い物をする場所なのだと理解する。


 レギンは鍋を持つと、普通に歩くように小川をまたいで、5メートル程先の場所に鍋の中を空ける。地面に鍋をぶちまけたら、泥濘ぬかるむぞ! と思ったのだが、よくよく観察すると、穴が掘られていた。

 アーベルは、藁束を紐で結んだものに、石けんと思われるものを擦り付ける。ちょっと泡が見える。それは、スポンジと食器用洗剤ですか?

 手持ち無沙汰でアーベルを見ていると、レギンが鍋を置いたので、その鍋をのぞき後んでみたが、石けんの泡立ち加減を見ると心もとない。このギトギトの鍋を、その泡の少ない石けんもどきで立ち向かうのですか? 心もとないにも程がある。

 食器用洗剤を所望す!

 そんなことを心の中で叫んでいる間に、レギンは遥か彼方へと歩いて行ってしまった。


 アーベルから洗い上げられる器と匙を受け取り、私は棒立ちで眺めているだけだ。

 辺り一面は緑の牧場で、ヒツジが日がな一日草をんでいるのだろう。確かに、美味しそうな緑色だ。

 ヒツジの世話は、この草を見つけてやることが仕事で、草の少ない地域、例えばヨーロッパなんかでは、ヒツジを草のある場所まで、牧羊犬と一緒にいざなうのだ。あっ、するとレギンたちは、お昼はお弁当みたいなものが必要なのではないか?


「アーベル、お昼はお弁当?」

「オベントウってなに?」

「えーっと、家から遠い所でご飯を食べるために、持って行けるようにしたもの」

「えっ、何で?」


 いやいや、何でってこっちが聞きたいよ。

 ひょっとしたらここの敷地は、私が思っているより広いのかもしれない。それに、私が思うほどにヒツジの数がいないのか。でも、生計を立てているって言ってたし……。

 遠くで、ボーかグンの吠えている声が聞こえる。


 デカいポメラニアンの牧羊犬。短足の小さなダチョウ。私の知っている世界ではないと確信させる生物。辺りを見回せば、見知った眩しい太陽、青い空に浮かぶ白い雲、青々とした牧草に、遥か向こうに見える雪を冠った岩肌の山々。どれも、見知った景色なのに……。レギンもアーベルも、普通に会ったら『外国の子』だと思うだけで、変わった様子はない。

 そして、何よりも不思議なのは、自身がさほど驚いたり、困ったり、途方に暮れていたりしていないことだ。この世界について、自分の世界との差異を感じたり、考えたりはするが、それに対して悲観的な感情が一切湧いてこない。


「エルナ、行くよ」


 洗い終わった鍋を持ったアーベルに声を掛けられ、はたっと現実に戻る。慌てて後を追いかけたが、(あぁ、本当に私は子供の体なのだな)と痛感する。走ると、足は今にももつれそうだし、上体のバランスが非常に悪い。歩幅が狭いので思うように進まないし、速度を上げると、きっと転ぶ。今までに出来ていたことが、出来ないのがこんなに不便、というより不愉快だと思わなかった。


 アーベルはもとの暖炉に鍋をかけると、私を見つめてまたもや懐かしそうで寂しそうな表情を見せた。14歳といえば、中学生だ。そんな少年に、そのような顔をさせる出来事があったというのは、本当にやりきれない。生活水準をかんがみるに、医療などは期待できないだろう。エイナがどんな目に会ったのかは解らないが、きっと納得できるものではないのだろう。

 私の世界でも、ここよりは医療がすすみ、救命方法はその状況によって手段が色々とある。それは、多くの人々が、『もっと○○であったら』と、悔しく血を吐くような叫び声を上げた結果なのだ。そんな人々の声と思いが、人の世界を豊にするのだと感じる。


「で、水はどれくらい入れる?」

「お鍋は他にはないの?」

「えっ、どう言う意味かな」

「フライパンとか鉄板とか網とか……」

「えーっと、何を言っているのか解らないよ」

「違うお鍋はないの?」


 アーベルは、暖炉の横にある観音開きの棚から、1つの鍋を取り出した。それは、底の浅い鍋だった。煮魚とかパエリアを作れるような鍋だ。なおかつ蓋がついているではないか!


「それがいい」


 アーベルは、鍋をかけるフックを棚から出し、何やら暖炉の上へと手を入れると、あっと言う間に2つの鍋が掛けられた。それも底の浅い鍋をかけるものは、すごく長いフックなので、火に近い位置に設置できた。

 どんな仕掛けなのかと暖炉を覗き込むと、煉瓦造りの壁に1つの棒が渡してあり、そこにフックが引っかかっている。それもS字フックではないか。

 なるほど、薪を置く場所が平たくて、思いのほか広いのは、ここにいくつもの鍋が掛けられるように配慮しているためなのかと納得。


「じゃあ、僕は火をつけているから、エルナは料理を任せた」

「ん!」


 私は椅子によじ上り、テーブルを見渡した。ベーコンの欠片、タマネギ3つ、ポテト2つ、ヤケイの卵3つ、ソーセージ6本、バター、チーズ。そして、塩、胡椒、ワイン、油。

 あれ? まな板と包丁は?


「アーベル、まな板……カッティングボードは?」

「また変なことを……それは、どんなもの?」

「これくらいの厚さのこれくらいの固い木」

「そんなのあったかなぁ」


 頭を掻きながら、なんと外に出て行ってしまった。と言うことは、まな板のようなものはないのだ。きっと、鍋の上で手に持った野菜や肉を適当に切って放り込むのだ。底の浅い蓋つきの鍋があるのに、何故?

 それは、板きれを持って戻って来たアーベルが教えてくれた。なんでも、この鍋は、魚料理が好きだったアルヴィース様が考えたものらしい。アルヴィース様とは何者なのか知らないが、相当に食にどん欲な方だったのか、家畜の肥料としか使われていなかった豆から、いろいろな加工品を作り出したとのこと。だから、この国……この世界には水田があり、小麦や大麦ほどではないが、米が生産されているという。お陰でミソや醤油ばかりか、米酢よねず、清酒などの加工品があるらしい。

 米の加工品があって、何故にパンがこんなにも固いのか疑問に思う。ミソや醤油、清酒などはご存知の通り、発酵食品である。発酵を知っているなら、イーストの代わりになるものを考えつくはずなのに。それとも、ここではイーストは高価なのか?


 厳重抗議のため、アーベルはまな板を川に洗いに行かせるという時間的ロスが発生したが、その間に、私は蓋のついた底の浅い鍋が入っていた棚を物色させていただいた。

 棚の中には、調味料があって、他には何も入っていない木製の器や匙、なんと陶器のお皿や器や金属のフォークやスプーンなどもあった。これを使ってないということは、これらのモノは、お客が来た時のものかもしれない。

 そして、真ん中の左隅に包丁のようなものを見つけた。多分包丁だと思うのだが、形はナイフに近いような気がする。少し反りがあるし。でも、ここの棚にあったのだから、料理に使うものではないかと思い、使わせてもらった。アーベルが戻って来るまで、まな板の代役は鍋の蓋にしてもらった。私はタマネギのスライスにとりかかり、ベーコンも大きいのと細かくカットしたものに切り分けた。ジャガイモもスティック状に切った。

 まな板を洗って戻って来たアーベルは、目を輝かせてあれこれ質問し、私の力不足を補うに余る働きをしてくれた。

 空のまま火に掛けた底の深い鍋に、オリーブオイルと呼ばれる油とバターを入れて、スライスをした大量のタマネギを入れる。そしてそれをヘラのような不格好な棒でかき混ぜる。タマネギがしんなりしたら、細かく切ったベーコンを投入して、ベーコンから油が出るまで炒める。そして、柄杓で水を投入した。


「すごく良い匂いだな」

「こうやって、炒めてから煮ると美味しくなるの」

「へー」


 アーベルはしばらく質問をすると、美味しい朝飯を期待するとか何とかいいながら、自分はヤケイの卵を集めをしてくると出て行ってしまった。


 私はすることがなくなってので、周囲を探検することにした。

 室内は、私の唯一の情報源であるハ○ジの家より大きい。バスケットコートくらいだろうか? 出入り口から入ると、すぐにテーブルと椅子があり、暖炉もある。暖炉の前はボーとグンの指定席のようだ。ちょっとした3畳分くらいのカーペットが敷かれている。ここの暖炉は、地面から10センチくらいの高さで薪を燃やすようになっている。暖を取るものだと思われる。

 中央の暖炉側に1メートルの立方体の煉瓦造りの壇があり、その上で薪がたかれ、煙突の入り口にある金属の棒からフックによって鍋が吊るされている。ここが料理用の暖炉だ。

 その奥は四角く囲われた1つの部屋になっており、食料庫になっている。食料庫の前は、戸が2つあるので部屋があるのだろう。流石に勝手に入るわけにはいかず、私は昨晩寝るために上がった階段を確認する。とても大きな家といえる。豪農の家と言う感じだろうか……。


 家の1階を探検しているうちに、グツグツと煮立つ鍋の音が大きくなった。

 踏み台に立って、塩と胡椒を入れる。味見してみると、私が知っている味だった。よかった、タマネギとベーコンの味は私の知っている世界のものと変わらないのだと一安心。

 煮立つ鍋を少し火から遠ざけ……実はこれはかなりの重労働だった。フックごと、掛かっている位置をずらすのだが、かなりの重量なのか、私が非力すぎるのかわからないが、鍋はぴくりとも動かなかった。そのため、鍋の移動をあきらめて、下にある薪の量を減らすことにした。 薪を移動できるように、火掻き棒があって鍋の下の薪を増やしたり、減らしたりできた。

 ああ、子供の体とは、かなり不便なのだ。


 隣の底の浅い鍋に、オリーブオイルと呼ばれる油を少しひいてベーコンを焼く。良い匂いが部屋中に広がって行く。あらかじめ厚く切られたベーコンなので、片面に焼き色がついたら、ひっくり返して、卵を割入れる。いつもの調子で片手で割るつもりだったが、私は小さくなり、卵が巨大になっている。


「うっ!」


 手に持った卵をじっと見る。

 そして新たな問題に気がついた。この浅い底の鍋に、卵3つは入らないのだ。

私はベーコンを取り出すと、鍋のそばに、ナイフとスープに使った器、砂糖と塩、そして卵を置く。

 大きく息を吸うと、ナイフで卵に穴をあけ、中を振るように入れる。そして、砂糖を少量入れて匙で混ぜる。本当はボールみたいなのがあればいいんだけど、とは思ったけど……。

 ふっくらさせるのも諦めたわけだが、それでも結果的にはよかったかもしれない。うっかりと、衛生面を考えてはいなかったからだ。生卵を食することに何の躊躇とまどいもなかったが、よく考えたら卵そのものがどうなのか、アルコールで洗わないといけないとか、そんな手間を忘れていた。怖いサルモネラ菌がこの世界にもいるかどうか知らないが、可能性があるかぎり避けて通ったほうがいいよね。目玉焼きも両面焼けば問題にならないのかな?

 最後に、バターを少し入れると、ぱぁーっとバターの風味が立ちのぼった。タイミング良く、ヤケイの卵を入れた籠を持ったアーベルが駆け寄って来た。


「エルナ、外まで良い匂いがするよ。何作っているんだ〜」

「え〜っと、名前…なんだっけ?」


 首をかしげて、誤摩化す。スクランブル・エッグなんて余計な単語を聞かせて良いものか解らない。とにかく、固有名詞は気をつけよう。


「うわぁ〜、なんだか美味しそう」

「美味しいよ」

「もう、兄さんを呼んできていい?」


 私が頷くと、もの凄い早さで駆け去った。戸なんか開けっ放しではないか。この食いしん坊さんめ!

 最後の仕上げで、スープの中に昨日の固いパンを切って投入する。ベーコンとスクランブル・エッグをそれぞれの皿に盛りつけ、パンがスープを十分に吸っているのか確認し、味見をした。


「うまっ!」

《エルナ 心のメモ》

・洗い場は外にあった。敷地内に流れる小川を利用している

・近くに廃棄物処理の穴が存在

・藁束みたいなものと石けんで食器を洗った

・お弁当の存在を知らない

・まな板、フライパン、鉄板などは存在しない

・包丁もまっすぐな刃のものはなく、少し反った形状のナイフで野菜や肉を切る

・アーベルは食いしん坊さん

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