バルロブの決断
「エルナはどんな料理を作ったの?」
「えーっと、豚肉をすごーく軟らかく煮たものと、野菜がいっぱい入ったスープ。ショウユとミソという調味料を使ってみた!」
「凄くいい匂いだな」
「きっと、レギンたちも気に入るよ」
運ばれた料理は、平皿に大きな角煮が3つと煮卵の半分が添えられ、スープ皿には、野菜がたっぷりと入っている。角煮などは、見た目も物珍しいだろうが、それよりもこの2つの料理から薫る匂いが堪らなかった。
ああ、何と食欲を誘う匂いなのだろうか。
これは、私が日本人だからなのかと思ったが、ヨエルもアーベルもクンクンと匂いを嗅いでは、目をキラキラとさせている。今日は、その気持ちが凄くわかるよ。
「凄いねエルナ」
「これって、豚の肉なの?」
「そうだよ、今日、ショウユを買ったから、試しに作ってみたの」
「ショウユ? この匂いはショウユのものなんだな……」
「こ、これをエルナちゃんが?」
未知の料理に、相変わらず「凄いね」と驚きの声を上げるアーベル、今まで見たこともない形状の料理に、ヨエルが肉の種類を聞いてくのは面白い。レギンは、珍しくも醤油について興味を示していた。
グレーゲル先生の興味は、料理というより、それを作った私にあるようだ。やばい、何か怪しまれるような質問を次々とされたら厄介だ。
「もう、凄いでしょ! エルナは料理がとっても上手いんだよ」
「僕は、エルナの作ったトーマートのソースが大好き!」
「僕は、牛肉にかけたオニオンのソースが好きだなぁ〜」
「すごく軟らかかったよ!」
「そーそー、そのソースをエルナが焼いたパンに浸けて……」
私の危惧も先生の興味も、どこふく風のごとく。アーベルとヨエルは、私の料理がどんなに凄いか、そして美味しいかを力説しはじめた。お陰で、先生の関心も私から引き離され、アーベルとヨエルに巻き込まれてしまった。
しかし……今、それに勝とも劣らぬ料理が目の前にあるのに……。
周囲にも料理が配膳されていくと、端からどよめきはじめていた。ふふふ、食欲をそそる香りだろ〜。
「おいおい、何だこれは!」
「すげー上手そうじゃないか」
「ちょっと待て、今日はお代わりあるのか?!」
「早く喰わせろ〜!」
実に素晴らしい発言の数々で、お腹に響く声が食堂に響き渡る。賑やかを通り越して、うるさい! でもまぁ、この匂いを美味しいと感じるということは、ショウユやミソは貴重な調味料だが、万民に受け入れられるのだろう。ちょっと安心したよ。
「それでは、ソールとノートに感謝を」
「ソールとノートに感謝を!」
大音響で響く声、「いただきます」は厳かに! 喧嘩を売るような言い方で、叫ばない! との感想を抱いたのだが、まぁ、兵士なんだから「元気でよろしい!」と言うところなのだろう。
目の前では、ヨエルとアーベルがほぼ同時に匙で角煮を切り分けた瞬間、思わぬほどの抵抗のなさに暫く動きが止まる。私も匙で肉を寸断してみるが、完璧な軟らかさだった。最初に表面を焼いたり、脂身から出た余分なラードを取り除いたりしたお陰で、油っぽくなくなっていた。かといって、お肉の油は無くなっては旨味が半減する。でも、これはかなり良い出来だと思った。
「これ、肉の軟らかさじゃないよね。スープで煮込んだお肉と全然違うよ!」
「この卵って、なんでこんなに味がついているの?」
「それは、煮卵でお肉と同じくらい煮込むと、味がしみるんだよ」
「茹でた卵を煮たってこと?」
「え?」
周囲のどよめきが徐々に大きくなって、目の前のアーベルの声も良く聞き取れなくなっていた。本当に五月蝿いが、食事をしている兵士達の顔が、子供みたいなのを見ると、咎めることも気が引けてしまう。
この世界の人は、食事の味に無頓着だ。でも、やっぱり美味しいものにはちゃんと反応する。でも味覚は一朝一夕には育たないものなのに、これはとても不思議なことなのだ。
「何か、すごく大騒ぎになっているね!」
「そうだね!」
大声でないと会話が出来ないが、まぁ、食べるのに夢中になれるから、それはそれでいいんだけどさ。しかし、軟らかいパンが無いのが痛恨の極みだ。やはり、この固いパンは私にとっては、もはや食べ物ではなく鈍器なのだよ。
「よお、バルロブさん! 今日の料理はサイコー!」
「俺、こんな上手いメシ、初めてだよ〜」
「なーなー、この変わった味ってショウユとか言うヤツだよな、俺、遠征で中央に行った時に食べたんだ。でも、その時の料理なんてメじゃないぜ」
「そーそー、ありゃぁ、しょっぱかったよな」
波のような絶賛の声が押し寄せ来ると思ったら、バルロブさんがこちらに近づいてくる途中だった。私とディック町長とで、今回の料理はバルロブさんが作ったことにするという取り決めをしていた。貴族にかなり解りづらい喧嘩を売るようなことをする覚悟なのだが、そのせいで私たちに火の粉が降り掛ることになると申し訳ないと言う。まぁ、私のスタンスとしては、「美味しいものが食べられる」だけでいいのだから、異論などはない。
バルロブさんは、こちらに来る途中で足を止め、ちらりと私を見ると、兵士達に向かって声をあげた。厨房では想像のできない声量だった。
「皆様、お褒め預かり大変恐縮なのですが、今日の料理と同じレベルのものを作ることは、今の私には能わぬことなのです」
バルブロさんの言葉に、あれほど騒がしかった食堂が、徐々に波が引くように静まって行く。
「この献立は、私の師匠とも言うべき方が、私に授けてくださったものなのです。残念ながら、今の私では到底このような献立を考えることができません」
兵士たちは困惑したように押し黙るが、その中で、1人の大きな男性が立ち上がった。短い髪は乱れもなく、鋭い眼は怖いというよりも冷ややかに感じるが、その人物からは冷淡さなどは感じられず、ただその他の兵士には感じられない威厳のようなものを感じた。
「バルロブ殿、今日、このような食事を与えてくださり、感謝いたします。しかし、貴殿の料理は今までも我々にとっても、贅沢な程のものであった。そのことについても、我々は大変感謝をしております。たとえ、今日の料理が一度だけのものであろうと、我々はそれについて不満に思うなどありません。いつも美味しいものを作ってくださり、感謝いたします」
周囲の兵士達も、立ち上がって姿勢を正し、左手の平を胸の中心に、指先を揃えて、真っすぐに斜め下に伸ばす者、そして、右手を右目の上に持って、私の世界でいう所の「敬礼」をしている者もいた。
「我々」と言う言葉を使うこの男性は、多分、この駐屯地の責任者なのだろう。おっしゃることは、最も当然のことだった。確かに、バルロブさんは元王宮の料理人なのだから、この世界ではかなり美味しいものを作る人だと思うのだ。だから、王侯貴族でもない一兵卒が、本来なら食べれるレベルの料理ではない。
が、その感謝の言葉を告げる必要がないかと言うと、そんなことはない。別段、料理人が料理を作るのが当たり前で、それでお金を受け取っているのだから作っても当たり前だ。そうなると、食べる兵士だって、町を見回ったり、訓練をするためにお金をもらっている。お互いがお金をもらっていることは、経済的な成果としては至極当然なのだ。
でも、どうなんだろうか? 「ごちそうさま、美味しかったよ」とか「いつも美味しいもの、ありがとう」と言われれば、作るほうは嬉しいものだ。嬉しいと「美味しいものを作る」という目的……というか意識が生まれる。この意識はとても重要だと思う。なぜなら、この瞬間に食事を作る人と食べる人に「美味しい料理」という共通の意識が生まれる。それって、人間関係の基礎だけど、美味しい料理を作る答えでもあると思う。
やっぱり、お金を貰って料理を作っている人に、「美味しかった」と言うのは、ちゃんと意味があるのだと思う。
「カスパル隊長、御厚情痛み入ります。しかしながら、私は私に満足しておりません。ですので、私はこれから6日の間、まずは、師のもとで料理を学び直してまいります」
静かだった食堂がどよめいた。いや、私もその1人だよ。確かに、パンを教える約束をしたが、まさかの展開ですよ。が、衝撃からなかなか立ち直れない私を置き去りに、兵士たちは大歓声で激励を贈るのだった。
「エルナ、そうなの?」
「ううん、知らないよ」
「でも、パンは習いに来るんだよね」
「うん……」
しかし、私に料理を習う? なんと、プライドの高い人なのだろう。本物のプライドと言うのは、目の前にいる自分より上手い人間をただの障壁と見なす。障壁はそれを越えればいいだけだ。そういう見方ができる人は、本当に羨ましいと思う。
バルロブさんは、そのうえ、年齢や身分などでものを判断しない。年齢や身分という、解りやすいもので人を判断しないわけではないのだろうが、それでも小娘……幼女に教えを請うのは、私の料理を認めているのだ。そういう真摯な態度は実に好もしい。
「エルナ、いろいろと教えてあげればいいよ」
「もう、アーベルは簡単に言うんだから」
「だって、教えながら作ってもらえば、エルナはもっといろんな事が出来るよ」
「あっ、そうだね!」
「そーそー」
アーベルは、皿に残った最期の角煮を口に運んだ。
「そうだな、それにとても熱心で真面目だ」
レギンはそう言うと、豚汁をすする。
「エルナは僕たちの催し物を考えてくれたんでしょ?」
ヨエルは煮卵を口に押し込める。
そうですか、皆さんは賛成なんですね。まぁ、私も反対ではないですよ、パンを教える約束もあるしね。アッフたちの催し物の話しなんか、すっかり忘れていたしね。
町長さんのマットレスもあるし、温泉が湧いているという場所にも行ってみたい、そのうえ、アッフたちの催し物で使う小道具なども調達しないといけない。それで3食おいしいご飯が食べれる保証があるのは、正直助かります。
「ふぅ〜」
それでも溜め息が出てしまったのは、ご愛嬌だ。