食料事情
朝は、とても早かった。
鳥のやかましいほどの鳴き声で起こされたが、子供は朝が早い。日曜日となると明け方に起きだし、二度寝など無理だったと思い出す。
でも、誰も使っていないベッドと称するモルモットの巣箱で寝たおかげで、体が痛い。シーツの下は驚くなかれ、藁である。ハ○ジの世界では、あんなに羨ましく思ったのに、実際はごわごわで、ちょっとでも寝返りをうつと、何か刺さった。熱くも寒くもなかったが、上に掛けられているものが、シーツみたいで心もとなかった。
ベッドと言う名のモルモットの巣を抜けだすと、昨日の洋服を着る。別にパジャマを着ていたわけではないです。下着で寝ただけです。洋服で寝れたら、藁からの衝撃を和らげたかもしれないと思うのだが、レギンに連れてこられ、無条件で服を毟り取られました。
いや、30前の女が16歳の青年一歩前に、服を毟り取られたら大変なことになるが、今の私は幼女。昨晩の推測からすると、妹と同じ扱いだ。私も抵抗はしなかった。
何故? 良く解らないのだが、あまりにも自然だったのだ。レギンが自然だったのではなく、私がそうされていることが、さも当然だと思っていたようなのだ。この体の持ち主の記憶なのか、それとも昨夜から時々頭をもたげる幼児性のなせる技なのか。
2階の寝室を抜け出るとすぐに階段があり、そこを降りる。
昨夜、暖炉の前にいたボーとグンはもう姿が無かった。ラード湯の入った鍋の前に立ちすくむアーベルに声をかける。
「おはよ」
「ふぁ〜、おはようエルナ」
「それ、どうするの?」
「火をつけて、暖めるよ………ぷっ、なんだいその顔」
しょっぱい顔です。それをまた食べると思うとこんな顔になります。
「スープとパンがいつもなの?」
「うん、だいたいそうだね」
「卵ある?」
「卵って、ヤケイの卵?」
おぉ、ヤケイが沢山いることは昨夜聞いたが、ヤケイは鳥のことですか?
「私、作るよ。卵とバターとパンをちょうだい」
「それじゃぁ、卵をとりに行こうか」
差し出された手を握ると、アーベルは私を外に連れ出した。
眼に入ったのは緩やかに傾斜する緑豊かな地面。昨夜見た煉瓦の壁に沿ってある道に向かって、なだらかな坂になっていた。そう言えば、昨夜はここをアーベルが私を担いで登ってた。今見ると、大雑把な柵があって、途中にやはり大雑把な門があった。
それらに背を向けて、家の裏に行くと長い建物があった。
鶏舎だろうかと思っていると、アーベルは私の手を引いたまま、その建物の戸を開ける。戸が空いたことで、ヤケイが驚いたのだろう。ばさばさと慌てるヤケイの羽音が聞こえて来た。
(驚かしてごめんね)と心で思ったがその必要がなかった。
家にいて、卵を取りに行くという行動から考えて、なんとなく鶏ではないかと思った。が、それは七面鳥くらいの大きさの鳥だった。上から目線で、(驚かしてごめんね)などと言える程、ヤケイは小さくなかった。
さらに驚いたことに、七面鳥は大きさの比較であって、その姿は短足の小さいダチョウだった。あぁ、話しがややこしい。七面鳥くらいの大きさのダチョウね。それで足が短い。
「ヤケイは初めてみる?」
アーベルはくすくすと笑った。はい、小さいダチョウは初めてです。アーベルは、壁に添うように置かれたいくつもの箱の中を覗く。
「いくついるんだい、エルナ」
「3つ!」
そう言って手に持った卵を見せる。やっぱり大きな卵でした。Mサイズの5倍くらい?
私は1人では1個も食べれません。ちょっと不安になりだしたら止まらない。これって、割ったら白身と黄身だけだよね? 黄身は赤とか緑じゃないよね? 私の想像力が及ばないような、斜め上行くものが飛び出してこないよね?
「バターは家にあるから、他には?」
「えーっと、ハム、ソーセージ、ベーコン。とにかくお肉」
「ハムとベーコンはあるけど、ソーセージって何?」
ハムとベーコンがあるのに、ソーセージはないの? ヒツジを飼っているのに? もしかしたら、名前が違うかもしれないと思い当たる。
「腸詰め、フランクフルト、サラミ、ボロミア、ウインナー、オスベーン」
「ウインナーはある!」
「ウインナーがいい」
「チョウヅメとか、フランクフルトとかって食べ物?」
「えーっと、フランクフルトはブタのお肉で、ボロミアはウシのお肉」
「へぇ〜、肉の種類によって名前が変わるんだ」
いいえ、嘘です。他は色々な地域のソーセージを言っただけです。
問題はスープだ。出汁の取る時間がいらなくて、簡単に出来るスープは無いだろうかと、頭の中で考える。
「ベーコンもちょっと欲しい」
「はいはい」
「野菜はどこ?」
「野菜も家だよ」
この世界の朝食ってどうなんだろう。ハ○ジの世界では、パンの上にチーズとハムをのせて、牛乳とかヤギ乳だったような…。私の知識はハ○ジから獲た知識だけだ。
豪華すぎるのか、少ないかもわからない。ラード湯とパンと言うんだから、朝食もそんなものかとも思う。
ラード湯の鍋がある暖炉の近くに戸があり、アーベルは躊躇わずにそこへ入って行く。私も覗いてみたのだが、真っ暗でよく見えない。麻袋のようなものがいくつかあるのは見える。今しがた太陽を拝んでいたのだ、急に暗い室内では、目がついていかない。
アーベルが部屋にあったロウソクに火をつけたので、突然明るくなった。
食材の宝庫でした。
「こっちが、小麦粉、ライ麦、大麦。あれがポテト、ウォルテゥル、オニオン、トーマート、コーン、パプリカ、ナス」
「ウォル……?」
「ウォルテゥル、そこの赤い長いやつだよ」
「あぁ、人参」
「えっ、ニンジン?」
「ううん、ウォルテゥルね」
アーベルがすらすらと説明する中、ちょいちょい、聞き慣れない言葉と、英語とかドイツ語とかが混ざる。漠然とだが、私の知っている世界ではないかもしれない、という推測がだんだんと確信に近くなる。でも、まったく無関係ではないのだろうか、呼び名が違えど、どの野菜も見たことのあるものばかりだ。パプリカは、黄色とか赤いではなく、単なるピーマンだけど、ドイツ語はピーマンをパプリカと言う。麦類は日本人でも理解できるけど、ジャガイモやタマネギは何故か英語だ。先ほどのヤケイは、私の世界では存在しないので、この世界のオリジナルの固有名詞なのかもしれない。
この世界は、どこかで私の世界とつながっているのか?
「お嬢様、他にご質問は?」
惚けていた私を面白がってアーベルが言う。私もにこりと笑って言う。
「ありがとうございます。では、調味料はどんなものがございますか?」
私がそう言うと、驚いた顔で『どこでそんな話し方を?』と言いつつ、部屋にある棚を見せてくれた。そこには、思った以上にいろいろなものがあった。では、昨日のラード湯は、逆奇跡の一品か?
まぁ、とにかく、私の『美味しい』とこちら……アーベルの『美味しい』がどう違うか試してみたかった。
テーブルの前に広げられた食材たちを前に、最後に聞いておかなければいけないことがあった。
「この中で一番高いのは何?」
「えっ?」
「貴重なもの」
「ああ、そう言う意味か。そうだなぁー」
私の予想では、麦やジャガイモや豆は安いはずだ。ジャガイモは、言わずと知れた優良作物だ。貧しい土地でも実り、1つの芽から多く生産できる。また麦は、連作は不可能だがパンを主食としているようなので、それなりに出回っていると思う。豆については麦の連作が不可能なので、次の年には豆類が撒かれる。食料としてだけでなく、豆類の根には窒素固定を行う根粒菌が、土から失われた窒素分を補充するので、豆類が撒かれる。窒素を補充できるという点では、春先に田んぼにレンゲが咲いているのは、同じ理由からだ。田植えの前に、レンゲを畑に漉き込んでしまうのだ。
調味料は皆目検討がつかないが、塩は生きて行くために必要で、食品の保存にも必要だ。安くはないのかもしれないが、それなりに流通はしていると思う。そう言えばここって、私の世界よりも過去の時代なのだと思っている。だって、ライフラインが…。
「胡椒は、かなり貴重かな。砂糖もかなり高いかな。後はみんなウチのモノだし」
なんですと! 肉がメインだと思っていたが、胡椒が貴重なのであれば、そうでもないのかもしれない。
「野菜は買うの?」
「野菜は、チーズやバターと雑貨屋で交換したりもするよ」
「じゃあ、高い野菜は?」
「そうだなぁ〜、パプリカかな」
「パプリカ1個を買うお金は、じゃ…ポテトだといくつ買えるの?」
「え〜っと、パプリカ1つで、ポテトが3つだよ」
色々とご教授を願い、どれが普段使いに適しているのか知ってみると、それほど私の価格表と違わなかった。でも、卵は本当に安い。何でも、卵なんかはたいがいの家でヤケイを3羽くらい飼っているので、卵を買うのは宿屋か酒場だけらしい。
それと、ハーブ類は共同地である雑木林の近くに畑があるから、使う分は勝手に取っていいんだって。大量に使う時は村長さんのお許しを得なければならないけど。
しかし、胡椒は本当に高くてびっくりした。持った感じは1キロくらい胡椒1袋が、大体ヒツジ1頭と同じなんだって。そのくせ、やっぱりメインは肉で、魚はそんなに食べないらしい。
《エルナ 心のメモ》
・箱の中に藁をしきつめたモルモットの巣みたいなものをベッドと言う
・ヤケイは、七面鳥くらいの大きさの足の短いダチョウだった
・卵は、Mサイズの鶏卵の5倍の大きさ
・ハム、ベーコン、ウィンナーが存在するが、ソーセージは通じなかった
・食料庫がある
・小麦粉、ライ麦、大麦、じゃがいも、ニンジン、タマネギ、トマト、とうもろこし、ピーマン、ナスの存在を確認できた
・胡椒、砂糖、塩などの調味料も確認できたが、胡椒と砂糖は貴重らしい。