学校の先生
料理を終えて、レギンたちを探しに行こうかと思ったが、なんといつの間にやらディック町長も居なくなっているではないか。
私に料理などを作らせておいて、何をしているのだろうか。まぁ、ヨエルは騎士様見て、目をキラキラさせていたから、アーベルを引き連れて兵士の訓練をまだ見ているはずだ。レギンは、騎士になりたかったが、父親と妹の死によってその道を断念したのだ。騎士とか兵士の訓練なんか見て、心穏やかでいられるとは思えない。
ちょと好奇心を押さえられず、厨房から出てみた。長い廊下があって、左右にドアがあるのは、なんだか学校とか病院の造りを思い浮かべる。もっとも単純な構造とでも言うのだろう。故に、味気なく冷たい感じがする。それにしても人っ子一人いないではないか。
それ依然に、駐屯所には兵士がいるのは理解できるが、戦争が起きているわけでもないのに、兵士が常にいるのだろうか? 彼らの給金はどこで賄われているんだろうか? 王都には騎士がいると言うが、彼らとここにいる兵士はどう違うのだろう。
疑問はつきないが、これは誰に聞いても疑問にも思われずに聞き出せそうだ。
「ええ〜っと、厨房の扉は……」
「おや、どうしたのかな、可愛いおチビちゃん」
「えっ?」
「1人かい?」
「ううん、お兄ちゃんたちと一緒よ」
「お兄ちゃんはここの兵士かい?」
膝を折り、私と目線を合わせながら、ゆっくりと穏やかに尋ねて来るその人は、まだ若い青年で、ここの兵士とは思えぬ雰囲気だった。どちらかと言うと、机に座って仕事をするようなタイプと言えば良いのか? この青年を見ていると、村の人を思い出させる。
容姿はいたって普通で、ぼさぼさした茶色の髪を見ると、身だしなみには無頓着のようだ。最初に出てくる一言は、『前髪、鬱陶しくないですか?』に決定だ。
特に身長が高いわけでも、痩せすぎているわけでも、反対に太っているわけでもない。特出すべく特徴がない人に見えるのだが、たった1つだけ言わずにはおけないものを持っていた。
彼の瞳は、深い海を思わせるエメラルドの瞳だった。私の知っている人で、緑色の瞳をしているのはブリッドだ。ブリッドの瞳は、明るい場所では緑色なのだが、暗い場所では茶色の色合いが強くなる。
でも、目の前の人は、この薄暗い兵舎の廊下でも奇麗なエメラルドの瞳だった。
「お名前は何て言うんだい?」
「エルナです」
「お兄ちゃんの名前を教えてくれないかな、探して来てあげるよ」
「お兄ちゃんの名前は……」
ちょっと待てよ。幾ら人の良さそうな人だって、簡単に個人情報を明かして大丈夫なのか? この町でけっこうやらかしている自覚はある。そう言えば、レギンがこの町へ来る途中で、『話しかけてくる怪しいヤツには気をつけろ』とか何とか言っていた気がする……。別に怪しそうでもないけど……。
私が言いよどむと、暫くは微笑んでいたけど、はっとした表情になる。もし、ただ親切でしてくれようとしたなら、気を悪くしても仕方ないのだが、青年は更に微笑んだ。
「そうだね、知らない人にいろいろ聞かれても答えちゃだめだよね。君はお父さんやお母さんの言うことを良く聞いているんだね、偉いね」
「お兄さんは誰?」
「私はグレーゲルと申します。テグネール村で学校の先生をしているんだ」
「え?」
なんと、この方が一度話しに出ていた先生なのか。ああ、先生だよ、どこからどう見ても。
「家はこの町にあるから、学校が休みの日にはこの町にいるんだよ」
「……先生の教えている子供の中で、一番凄い子は誰?」
「えっ?」
「一番ダメな子は誰?」
「そうだな、ダメな子がいないのは確かかな、一番熱心なのは……そうだなぁ……アーベルくんって言う子かな」
「グレーゲル先生、ダメな子はダニエルじゃないの? アーベルは凄いと思うけど……」
「えっ? ダニエルとアーベルを知っているのかい?」
「私はテグネールの子です。レギンとアーベルのところにいます」
「えっ、エイナ……じゃなくって……」
「エルナです」
えっ? を繰り返す。先生の反応を見ると、エイナを知っているのかな? 私はエイナに似ていると皆が言うのに、最初にそれに気がつかないあたりは、エイナを知っているとも思えない。
「親戚の子かい? 親戚って、ダニエルの所とブロルの所だったよね……」
「私、迷子なんです」
「えっ、アーベルたちとはぐれたのかい?」
「あぅ」
ここでもレギンたちを探しているけど、元々は迷子とされているのだ。でも、ここでぺらぺら喋っていいものかと悩む。今日は悩んでばかりだ。
「お嬢様?」
気がつくと、厨房の戸からバルロブさんが顔を出している。私がほかの人と話しているのを怪しんでくれたのか、ちょっと眉間に皺がよっていたが、そばにいるのが誰なのか解ったのか、笑顔になった。
「これは、グレーゲル様」
「バルロブじゃないか、どうしてそんな所にいるんだい?」
「それは……話せば長い話しで……」
うん、そうだよね。その話しをするのは、バルロブさんにとっても屈辱だろうし。この青年が、バルブロさんの知り合いだと言うことは、ある程度は信用していいのだろう。
「それより、バルブロはこの子を知っているのかい?」
「はい、旦那様のお客様です」
「叔父さんの?」
おお、テグネールの先生はディック町長の甥っ子とは。ならば、ますます信用できそうだ。
「先生、アーベルを探すのを手伝ってください」
「ああ、お嬢様、ご兄弟は訓練場にいるとのことです。申し訳ございません、すっかり料理に夢中になってしまい……」
言付けを忘れたと言うことですね。はいはい、先生に探してもらいますので。
「豚肉に、汁をかけるのを忘れないでね。先生、訓練場に連れて行って〜」
「はいはい、じゃぁ一緒に行こうか」
「は〜い」
幼児ぶっているのはご愛嬌だ。私の一件は、アーベルに説明してもらおう。
「先生、ここの兵士さんはどこからお金をもらっているの?」
「領主様だよ」
「へぇ〜、じゃあ騎士様は?」
「王様だよ」
「王様の兵士さんが騎士様なの?」
「領主様のところにも、騎士様はいるよ?」
なんですと! と言うことは王様も領主も騎士と兵士という2種類の戦う人がいるということか?
「騎士様と兵士さんは違うの?」
「うーん、王都にいる騎士様は、王様やその家族を守ったり、城を警備したりするのが騎士様で、王都で警備をしたり、町の人を守るのが兵士だよ」
なるほど、どこも騎士様以外は、王様や領主様のそばで仕事が出来ないと言うことか。とすると、騎士様=近衛兵と言うことだな。
「兵士さんは町を守るの?」
「そうだね、泥棒を捕まえてもくれるし、町を見回ってくれたりもする」
「すごいんだね!」
と、言っておく。
と言うと、兵士も騎士もプロの方達なのだと理解した。兵士は、どちらかと言うと、警察みたいなものかもしれない。
「うちの村には、兵士さんたちはいないね」
「そうだね、それにはエルナちゃんには説明できない複雑なお話なんだよねぇ」
う〜んと唸って、そう言うに止めた先生は、子供に説明するのは難しい込み入った事情があると言う。テグネールが特殊な村であるという話しなのか、それともそれを語るのは80年前の村の創立期を説明しなければならないからなのか。この先生に聞けることは、ここまでのようだ。
私たちは、長い廊下を歩いて外に出た。そこには塀に囲まれたグラウンドかと思ったのだが、コロシアムみたいに観客席があった。門のような大きな入り口をくくると、そこにレギンと、アーベルとヨエルがいた。兵士たちの訓練を見ているようだ。
訓練場では、あちらこちらで剣で打ち合いをしたり、埋め込まれた丸太に刀を打ち付けたり、はやし立てる人々に囲まれて模擬戦でもしているようだった。
そんなの見ていて何が楽しいのか、男の子はまったく。
「レギン、アーベル元気そうだね。ヨエルは文字を覚えたかい?」
「グレーゲル先生!……に、エルナ?」
「終わったよ〜」
私は、レギンとアーベルに走り寄った。
「どうしてグレーゲル先生と一緒なの」
「レギンたちを探していたら、先生と会ったの。テグネールの先生だって言うから、アーベルを探してもらったの」
「料理長に伝言を残したんだが……」
「うん、ちょっとして思い出してくれたよ」
「1人になるなんて危ないじゃないか」
「そうだよね、ごめんなさい」
レギンに怒られてしまった。まぁ、私は非力な幼児と言うことをつい忘れてしまうのだ。これは、間違いなく反省だよね。
「いやいや、レギン。あんまり怒らないであげて、エルナちゃんは私が尋ねても警戒して名前を言ったっきり何も話してくれなかったんだよ。ちゃんと、知らない人を警戒していたんだから」
「はい」
「それにしても、エルナちゃんと君たちはどう言う関係なんだい?」
「それは……」
アーベルに丸投げした私の身の上話を聞くともなく耳に入れながら、私は私でレギンと料理のことを話した。
「すごーく美味しくできたよ」
「そうか」
「レギンたちは何をしていたの?」
「いや、特に何もしていない」
「あのね、バルブロさんが夕飯を食べてから帰ってほしいから、厨房に寄ってくださいって」
「そうか」
先生にあれこれ詮索されたくなかったので、離れてレギンとヨエルに訓練の様子を聞いた。ヨエルは騎士にあこがれているようで、訓練の様子や兵士の中にまぎれていた騎士を見つけたこと、その人物が兵士たちよりずーっと強かったと、輝く瞳で力説してくれた。なるほど、この世界の男の子たちの憧れは騎士様なのね。
「グレーゲル先生は、テグネールに住んでいないの?」
「今年からテグネールで教えってくれるようになったから、間に合わなかったって言っていた。夏の前には宿屋に滞在をしていたが、夏の間に村人たちと家を作ったから、来月からはそこの住む予定だ」
「おお〜」
別に先生が村に住むから発した声ではない。レギン長いセリフについ出たしまったのだ。
「エルナ、先生にブレスレットを見せてくれないか」
先生にいろいろと説明していたはずのアーベルが、そう言って近づいて来た。
私は素直に手を差し出した。
「本当だ、エルナとあるね」
先生は表を見て名前を確認して、ひっくり返してアーベルにも何だかわからないものを『う〜ん』と唸りながら見つめている。
ちょっと、何だかわかんないけどドキドキするじゃない。
「先生は、これ、見覚えありますか?」
「う〜ん……」
アーベルがそう尋ねても、やっぱり『う〜ん』を繰り返す。
いつまで『う〜ん』を繰り返すの? 最期の落ちが『解んない』じゃないよね、そんなこと言ったら新喜劇ばりのコケをお見舞いしてやる。
なんて考えて、身構えていると、先生は急にじっと私を見た。そして、間……。
「1つは、魔術の補助の護符と同じものが描かれていると思うのだけど……」
「魔術の補助?」
アーベルと私は同時に声をあげた。全くもって思っても見なかった、魔術補助といえば、魔術が使えるから着けるものだ。月に代わってお仕置きをしたり、ハッピー!ラッキー!と、何だかわかんないものを皆に届けなければならないの?
「私もちゃんと覚えているわけじゃないから、後でちゃんと照合をしないといけないけど、この部分は見覚えがある」
「魔法って、エルナは魔法が使えるの?」
ヨエルは目を輝かせて私を見つめる。レギンは心配そうな顔で、アーベルは最初に驚いた表情のままだ。
「どうして、これがエルナちゃんのブレスレットに刻まれているのか、もう1つの護符な何を意味しているのか……とにかく、これが唯一の手がかりならば、このもう1つの護符とか、これをブレスレットに刻み込める人物とか……」
「それは、どうすれば解るの?」
「私が持っている資料に載っていればわかるけど……引っ越しの荷物のどこに入れたのか……」
私に『魔法』と言うわけの解らないステータスが付いているのかなんて、私には解らない。その上、この世界の魔法って何なのかも解らないのだ。何せ私が見た護符は陰陽師の世界。式神を使役するくらいしか知らない。それも漫画とかドラマの知識なのだ。
「エルナちゃんは、魔法を使えるか、自分で自覚できるかい?」
ふるふると首を振る。だいだい、魔法を発動するのに、何か呪文みたいなのがいるとか、魔法陣みたいなシンボルが必要だとか、イメージを練るとかの条件があるのだろうか、それすらも解らない。
「……エルナが料理が美味しいのは魔法なのかな?」
「えっ、でも宿屋の女将さんは、作り方を教えただけで、美味しいスープを作ったよ」
「ああ、そうか……」
アーベルの質問は、すぐに否定できる。が、この場にいる誰もが、魔法のことをどれだけ解っているのか怪しい。先生は、魔法に関連するものだと言うのだから、魔法とはどんなものなのか知っている可能性は高い。
私のブレスレットに記された魔法の補助の魔法陣。私は魔法が使えるのか、使えないのかは別として、自分でこの体のもとの持ち主が、何者なのか知りたいのか解らなくなって来た。そもそも、そんなことより考えなければならないのは、私はもとの世界へどうしたら帰れるのかと言うことだ。
でもなぁ、転んだ瞬間に異世界転移は鉄板だとしても、何故体が赤の他人なのかということが私には解らない。魔法がある世界ならば、そう言う魔法があるのかなとも思うが、そんな凄まじい魔法があるなら、私の周囲でも魔法を目にすることがあっても良さそうなのに……。
「先生は、魔法に詳しいの?」
「いや、詳しいと言うこともないけど……ちょっと興味があって、調べたことがあるよ」
「何を調べたの?」
「アルヴィース様のことだよ」
ん? なんだか聞いたことのある名前だ。確か、アーベルに『アルヴィース様みたい』なんて言うようなことを言っていたことを思い出す。
「アルヴィース様って誰?」
<エルナ 心のメモ>
・ヨエル、アーベルの学校の先生は、ディック町長の甥っ子
・私のブレスレッドには、魔法の補助の魔法陣が彫られているらしい