バルブロさんの料理
雑貨屋に現れたディック町長は、不穏な雰囲気で不穏なセリフを言うもんだから、すっかり身構えてしまったが、何てことはない、私たちをお昼にお招きしてくれたのだ。
「レグネット亭に行ってきた」
「えっ?」
「レグネット亭で出すオニオンスープとかを食べてみろと言っただろう」
「ええ〜、本当に行って食べたんですか?」
アーベルが、レグネット亭のオニオンスープを食べて見ろ、みたいなことを言ったが、まさかすぐに実践するとは思わなかったので、そんなことは忘れていた。
「俺はな、商売の匂いのすることは、すぐに調べないと気が済まないんだ」
「商売の匂い?」
「お前たちは、今日だけでいくつもの新しい商品を持ち込んでいる。だから、お前たちがすること全てに商いになる種があるかもしれないんだ」
持論ですか? でも、バルブロさんの料理が食べられるのは、非常にラッキーなことです。アーベルの作ったラード湯、宿屋で出されたラード湯パート2以外は食べたことがない。女将さんは商売にしているのだから、料理の腕はアーベルより上なのは当然だ。が、このラード湯は所詮、ラード湯なのだ。2人には悪いが、残飯は残飯ってところか。
しかし、バルブロさんは、王宮の宮廷料理人だったと言うではないか。国の頂点に位置する料理人だ。
「レギンお兄ちゃんはどこ?」
「駐屯地で待っている」
「でも、私たちすぐに帰らないと、ヒツジが……」
「解っている、食べたら帰るのだろう?」
「そうです、それに生地を買ったお店に、生地を取りにいかなければならないし」
「それは、後で使いのものに言って、お前たちの馬車に積んでおいてもらう」
「宿屋にも、商品があるんです!」
「それも取りに行かせる」
ディックさんにひょいと抱き上げられ、店から連れ出されてしまった。
「待って、石盤を買わなきゃ」
「それを買うのか?」
アーベルが抱える石盤とチョークを一瞥すると、ディックさんは奥に向かって声をかけた。
「おーい! ユーマ」
「は〜い」
ディックさんの呼びかけに聞こえて来た返答は、柔らかな女性の声。
「この石盤とチョークを包んで、駐屯所に持って来てくれ」
「はい、わかりました」
「あっ、お金」
「いい、それは俺が購入してやる」
「でも……」
「アーベルと言ったな」
「はい」
「贈り物だと思ってくれ」
それだけ言うと、ディックさんは店から出て行こうとする。アーベルも結局は、大人しく付いて行くことにしたようだ。
「お昼食べたらすぐにお家に帰らないと、町長さんのマットレスが作れません」
「それも大丈夫だ」
何が大丈夫なの? マットレスは遅れてもいいってこと?
「特別に護符を使わせてやる」
「?」
どんな護符なのか聞こうと、アーベルを見下ろす。でも、アーベルにも解らないみたいで、ふるふると首を振っている。
あっ、まさかの瞬間移動ですか? しかし、護符って難産を和らげるとか、お腹を直すとかのRPGの世界から見たら、実にショボいものだ。急に瞬間移動の魔法なんて、登場するのか? 大丈夫だと言うのだから、大丈夫なのだろう。私は、疑うほどこの世界のことを知らないのだ。
「で、町長さんはオニオンスープを食べましたか?」
「食べた」
「どうでしたか?」
「驚いた。……貴族に招かれて食事を一緒にしたこともあったが、あんな上手いものを食べたことはない」
貴族が食べているものを食べたことはあるけど、それより美味しかったと言うのか?
「どうやって作ったかと聞いたが、詳しくは教えてくれなかった。が、使った材料は良くあるものばかりだった」
「そうですね……」
「他にメニューはあるのか?」
「……ありますけど……」
「あるなら、その料理の作り方を買うぞ」
「ええ〜……メンドクサイ……」
小声で言ったにもかかわらず、ディックさんには筒抜けだった。だって、良く考えたら私は抱き上げられていて、ディックさんの耳に近いのだ。
「バカ者! 面倒臭がるな。お前のその料理は、金になるんだぞ。家も大きくできるし、ヒツジも沢山買える、それどころか、人を雇ってその仕事をさせることもできる。大金を稼げるんだぞ!」
「……町長さん……そんなこと、どうでもいいですよ」
「なっ!」
「過ぎたるは猶及ばざるが如しです」
「はぁ?」
「例えば、山のようなウシのお肉を貰ったとします、嬉しくて毎日ウシのお肉を食べていましたが、もう5日目には他のお肉を食べたくなるのです」
「そ、そりゃぁそうだな」
「そのうえ、日にちがたてば腐ってきて、気がつくとウシのお肉の山が、腐ったお肉の山になります。捨てようにも、大きな穴を掘ってうめなければなりません。そうこうしているうちに、油が腐って溶け出して……」
「うっ、気持ち悪いことを言うな」
「沢山のものは、手に余るのですよ!」
町長さんの目の前で人差し指を立てる。
「お嬢ちゃん……」
「はい?」
「ばーさんみたいだな」
ばーさんって、お婆さんのことですか? 私、外見は幼女で、中身はまだ29歳なんですよ!
私とアーベルが連れてこられたのは、駐屯地と言われる兵隊の詰め所だった。詰め所と言うと小さい感じがするのだが、そこは訓練場と言う壁に囲まれた広いグラウンドと、兵たちが寝泊まりする建物があった。
その兵たちが寝泊まりする建物の一角に連れてこられた私とアーベルは、建物の一室でやっとレギンとヨエルに合流することができたのだ。
「なかなか戻ってこなくて心配したよ〜」
「エルナだって、なかなか来なくて心配したんだぞ! 何してたんだよ〜」
ヨエルが偉そうに言う。何をしていたって、ディックさんに出会ってすぐに来ましたが?
「お前たちがうろちょろしてくれたお陰で、随分と手間だったんだぞ。宿にいるって言うから行ったら、出たと言うし、店に行ったらもう帰ったと言うし、それじゃぁと、宿に行くとまた出て行ったと言う」
「あっ……」
レギンたちが帰ってくる前に、買い出しをできるだけしちゃおうって……。なんと、それが行き違いを生んでいたのか。
「でも、村人たちに頼まれたものは全部買い終わったから、すぐに帰れるよ」
「そうか、無事でよかった」
レギンは、何故が『無事』なんて物騒な言葉を選んだ。それはレギンが心配性だからなのか、それとも何か思い当たることがあるのか?
「ほら、さっさと席につけ。お〜い、料理を持って来てくれ!」
ディックさんにせかされて、私たちは椅子についた。料理をワゴンのようなもので持って来てくれたのは、バルブロさんだった。
机に並べられた料理は、パンとスープと肉を焼いたものだった。この国のトップに近い人の出すものだから、ちょっと期待してみたが、飾り付けなどの目で見せるものはない。まぁ、多分これは兵たちに出している食事なのだろうから、飾りよりも量を要求されているのかもしれない。
「こちらは、牛肉と野菜のスープです。そして、こちらがヤケイに肉のアオユ炒めです」
おお、この匂いはガーリック炒めか!
「ソールとノートに感謝を」
レギンの言葉を繰り返し、私はまず、パンを手に取った。あの軽石みたいなパンを切ったものでなく、私の手には少し大きいくらいのパンとして焼かれていた。なので、物珍しく手にとってみたのだが驚いた。パンがちょっと軟らかいのだ。ちょっと頑張って、引っ張れば千切れないこともない。
「このパンは軟らかいですね」
「嬢ちゃんのパンほどじゃないがな」
「これは普通のパンと同じ焼き方をしたんですか?」
「はい、焼き方は同じですが、パンを練ってから少し時間を起きます」
パンを口に入れると、固いには固いが、咀嚼できないほどではない。そして、変わった味わいがした。う〜ん……なんだっけこの味……。
「う〜ん……果物かな……」
「なんか、ベリー?」
私のつぶやきに、アーベルが参加した。そう、ベリーのような酸っぱさが僅かに残っている。
「こちらは、ブドウのビネガーが入ってございます」
ブドウで作ったお酢を入れてあると言う。天然酵母を使っているので、パンが軟らかくなる……パンの中に空気の入った層が増えて軟らかくなったのだろう。でも、まだまだ発酵が不十分なのは、お酢を作る過程の酵母菌なので、酵母菌をちゃんと成長させていない。あるいは、パンに混ぜた時に、捏ねた後に十分休ませて膨らませていないかのどちらかだ。
「なんで、ビネガーが入っているんですか?」
「パンに風味をつけるためでございます」
「ワインでもいいのでは?」
「ワインですと、思いのほか重く固いパンになってしまうのです」
う〜ん、ワインにも酵母が含まれているのに、その差はなんなのだろう。
まぁ、今、考えても仕方ないので、家で研究するためにビネガーとやらを買っていこう。
続いて、スープに口をつけてみる。まぁ、この世界のラード湯と違うのは、余分な油などが浮いていなくて、スープが透明なことだ。そして、味はと言うと、塩と胡椒が上手い配分で、胡椒の味しかしなかったラード湯とは天地の差があった。絶妙な配分。
もしかしたら、野菜と肉を煮込んでドロドロにして、漉して食べるための野菜と肉を入れているのかもしれない。お陰で旨味が感じられた。
そして、最期の品は数種類の野菜とお肉をニンニクで炒めたものだ。これを最初に口にしたのは、ヨエルで、『美味しい』と言っていた。でも、ハンバーグやシャリアピンステーキを食べた時ほどテンションが上がっていない。だから、口に入れて納得した。ニンニクが弱すぎるし、野菜の風味が全く感じない。勿体ないです。
「いかがですか?」
う〜ん、王宮で料理をしていた人に、小娘通り越して幼女にアドバイスとかされて大丈夫なの?
「アーベルが作るより美味しいけど、エルナよりは美味しくない」
私がせっかく悩んでいるのに、ヨエルはなーんも考えないで、爆弾を投下してくれた。レギンの表情は読めないが、手が止まっている。アーベルなんか、息を飲んだのが聞こえた。そして、やっぱりアーベルの手も止まっている。
私は、どうホローしようかとバルブロさんを盗み見た。が、声が上がったのはディックさんからだ。
「ちょっと待て、うちのバルブロは王宮の料理人をしていたんだぞ!」
「お待ち下さい旦那様」
ディックさんの声には、怒りは感じられなかったが、驚きとか疑いの声音だった。それを制したのは当人のバルブロさんだった。
「私は、自分の料理がこれで完成していると思えないのです。いつもどこかで、他に何かできるのではないかと思っておりました」
「だが、お前の料理は国王にも」
「そうだとしても、私はまだ出来ることがあると思っているのです」
おお、ディックさんのセリフに自分のセリフ重ねちゃったよ。それが、料理人の本当のプライドですか?
「お嬢様、どうか何か気づかれたことがございましたら、お願いいたします」
「ええ〜っと……遠慮なくていいですか?」
「勿論でございます」
「コホン、では」
この人は、本気で自分の料理に何か足りないものがあると思っているのだ。まさに、職人ですね。
「このお肉と野菜をガーリックで焼いたものですが、どんな順番ですか?」
「ヤケイの肉に塩と胡椒をして置いておきます。野菜を切って、ウォルテゥルを茹でます。鍋にオリーブオイルを入れて、肉を焼きます。そして、野菜を入れて、味付けでアオユを入れます」
う〜ん、いろいろ惜しい!
「アオユの風味と味が弱い気がしました」
「アオユはとても強いので、量の調整が大変でした。あまり多すぎると……」
「アオユの味しかしないんですよね」
「はい」
「アオユの使い方は大切です。まず、焼くときに、鍋を火にかけずにオリーブオイルを鍋に入れて、そこにアオユを入れてください。それから火で温めると、油にアオユの香りや味がつくので効果的です」
「なんと、油にもアオユの香りと風味を……」
「そして、お肉ですが……焼くときは、皮を下にしてじっくり焼いてください。そうすると、皮はパリパリになります。皮からヤケイの油が出て、オリーブオイルと交わり、風味が出て来ます。ある程度焼けたら、蓋をして置いておくと、ヤケイのお肉はしっとりとなります」
「なるほど」
「野菜の切りかたも工夫してください」
「切り方ですか?」
「はい、ウォルテゥルを輪切りにして、タマネギは薄切り、ポテトは乱切りです。大きさがまちまちですと、火が通りにくいですし、見た目がバラバラだと思います」
「なるほど……ですがオニオンなどバラバラになってしまいますよね」
切り方を見せるために、私はカッティングボードと、ナイフみないな包丁とそれぞれの食材を用意してもらった。
「まずは、大きさの目安にするのがオニオンです。オニオンの根っこの部分は、ちょっと切るだけにします」
そうして、私は1個のタマネギのくし型切りにして、12個作った。同じくポテトも、ウォルテゥルもくし型切りにして見せた。
「凄いです……」
「野菜は、何でも大きさを揃えるのがいいです。煮るときも、最終的に同じ大きさになることを考えて野菜を切ることが大切です。あと、この3つの野菜で、ポテトもウォルテゥルも火が通るのが遅いので、あらかじめ茹でておくのは良い案ですね」
「なるほど……見栄えを考えて同じ大きさに、火の通る順番を考えて、切る大きさを揃えるということですね」
「そうです」
スープに関しては、旨味などの出し方や、肉や魚などから出る旨味と、野菜から出る旨味を必ず合わせることなどを説明した。
「それと、野菜を1つとっても、火の通し方によって味が変わるということです」
「火の通し方……」
「オニオンを生で食べると、とても辛いですね。でも、火を通すとその辛みはなくなります。また、オニオンを少し長めに炒めると甘みが出ます」
「そうなのですか?」
「トーマートも長く煮ると甘くなりますよ」
一段落した後、気がつくと、レギンを残してアーベルとヨエルが居なくなっていた。
「あれ、2人は?」
「兵士たちの訓練を見に行っているよ」
「もう、出発しないと時間ない?」
「いや、町長が護符を分けてくれたんで、夕方までは大丈夫だ」
レギンの説明に首をかしげる。やっぱり瞬間移動ではなかったか……でも、何らかの手段で帰路を短縮するもののようだ。
「しかし、こんなに小さいのに、どうしてそんなことを知っているんだ?」
「日々の精進です」
私のセリフに目を白黒させるディック町長。いろいろ考えたり、持って来た紙になにやらメモをするバルブロさん。バルブロさんは、年齢的には40代だと思うのだが、そうなると、この世界では二十数年のプロだ。それなのに、こんなに熱心に小娘の言うことを聞いてメモまでしている。
「凄いね、バルブロさんは」
「何がだ?」
「料理をすることが大好きで、いつでも美味しいものを作ることを考えているんだね」
「まぁ、そこを気に入って、俺では勿体ないくらいの料理人を雇うはめになったんだがな」
「見る目があるんだね」
「俺がか? まぁ、そうじゃなきゃぁ店も、ギルド長も、町長だって出来てないだろうさ」
「じゃぁ、町長さんも凄いんですね」
「あたりまえだろ〜」
ディックさんは、私の頭をぐりぐりとした。
「でな、ものは相談なんだが……」
「嫌です!」
「まだ何もいってないぞ」
「嫌です、どうせ面倒臭いことを言うつもりでしょう、町長さん……」
「少しは協力しろ! パンを買ってやっただろう? マットレスも買ってやった。そのうえ、帰り道に便宜をはかってやろうと言うんだ、少しは協力しろ!」
「帰りの便宜をはかるのは当然です!」
「護符の金取るぞ」
「それは……いかほど?」
「大銀貨5枚だ」
「それも嫌です!」
何と高い護符だ。大銀貨5枚って、金貨の半分ではないか!
「で、何をすればいいんですか?」
「おお、話しが早いな」
「面倒なことは、素早く済ませてしまうのがいいんで」
「そりゃぁ、理解が早くて結構」
ディックさんとの会話は、そばにいたレギンも聞いていた。でも、レギンに反論が無いのなら、私が協力しても問題はないと思った。
「でな、今日の夜の兵士たちのメシを作ってくれないか?」
「はぁ?」
「材料の追加はできるものと、できないものがあるし、1日の食材費は決まっているんで難しいが、できるだけ嬢ちゃんの意に沿うようにするつもりだ」
「いやいや、その前に、子供には大人数を賄う鍋なんかは扱えません!」
「それも大丈夫だ、嬢ちゃんは指揮してくれるだけでいいんだ」
「メンドクサイ……」
「嬢ちゃんは、そればっかりだなぁ。あははは」
スルーですね、豪快に笑ってスルーをされた。最初に会った時には、草臥れて、目の下に隈なんか作っていたが、今では生き生きしている。そんなに、マルムロース男爵の鼻を明かすのが嬉しいのか?
<エルナ 心のメモ>
・パンにビネガーを入れて、少し軟らかくするという工夫があった
・ビネガーを買って行こう
・護符は高い
・帰路の時間を短縮する護符があるようだ