アーベルの涙
古着屋で買った服を宿屋に運び込むころ、太陽は真上に差し掛かろうとしていた。レギンたちは、そろそろ戻ってきても良いころなのに、予定より随分とかかっているようだった。
私とアーベルは、服の生地を売っているお店に行こうか、それともレギンたちを待つか迷っていた。レギンたちが帰って来て、洋服の生地を見て、雑貨屋で頼まれたものを購入したらすぐに村に帰るつもりだ。帰りは超特急で帰らなければ、御前様の時間になってしまう。帰路10時間の道である。
来る時は、私の為にゆっくりだったそうだ。
「時間がもったいないから、生地を買って、雑貨屋にも行って用件を全部すませちゃおうよ」
「う〜ん、そうだね」
少し考えたアーベルだったが、私の案を受け入れた。部屋を出て、宿屋の戸の前で女将さんに捕まった。
「エルナちゃん!」
「女将さん、どうしたんですか?」
「エルナちゃんにお礼を言いたくってさ」
「お礼ですか?」
「もう、朝に出したオニオンスープが大盛況でね、お昼を前にして、この騒ぎさ」
女将さんが指差したのは、テーブルがいくつも並ぶ場所だった。そこは、食事をする場所で、泊まり客だけでなく、昼や夜のご飯を食べに来る人もいるらしい。そこは、今や満席だった。
「それでね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
「なんですか?」
「この料理を作った……というか、考えたのはエルナちゃんだって言っていいのかい?」
「う〜ん……言わないでください」
「でも、いいのかい? こんな料理の腕があるのなら、将来は勤め先も苦労しないだろうに」
「いいんです、私のやりたいことは料理人じゃないんです」
「そうかい? 勿体ない話だねぇ」
「私は、村を豊にするためにいろいろしたいことがあるんです!」
私がそう言うと、女将さんは笑いながら私の頭を撫でた。最近解ったことだが、家族以外の者が、かわいい子やいい子を見て嬉しくなると、髪をぐちゃぐちゃにするほど頭を撫でる。これは、他人に対しての……特に幼い子供への愛情表現なのではないかと思う。
何故なら、私の頭を撫でる人の表情がそんな感じなのだ。
「それじゃぁ、エルナちゃんの名前は伏せておくよ」
「ありがとう、女将さん!」
私はすっかりと忘れていたのだが、アーベルが直ぐさま私の言葉を訂正してくれた。
「すいません、ディック町長さんには本当のことを言っておいてください」
そうだよ、この宿に食べに来いと宣伝しておいたのだった。さすがアーベル、卒がないね。
アーベルと私は、宿を出るとちらりと荷馬車の置き場を見たが、やはりそのスペースには、何もなかった。
「じゃぁ、どこから行く?」
「ここから一番近いのは生地かな」
「生地って、結構多いよね」
「そろそろ冬支度をしなきゃいけないだろ、冬支度はセーターとか靴下だとか、温かいものを作るんだけど、冬の間に家に籠っていると、暇だから、春になったら着るものを作るんだよ」
「おお、賢い!」
「賢いって……だって、閉じ込められたら、本当にすることが無くて暇なんだよ」
「だったらさ、冬の間にお金になる手仕事があれば、皆も喜ぶかな?」
「そうだね、暇でやることを探しているのに、それがお金になるなら、みんな喜ぶと思うよ」
「そうか……」
まずは、みんなの生活を楽にできることを発案していけば、私のしたいことに賛同してくれる人がいるはずだ。私も生地を購入しよう。
町で生地を扱っているのは、洋服屋だった。オーダーメイドの専門店なのだ。この世界でオーダーメイドの服を着ているのは、貴族と一部の権力者。貴族はどんな服でもオーダーメイドだが、たとえば、町長やギルドの偉い人は貴族の前に立つ時の為だけに、オーダーメイドで注文をするらしい。でも、一般人は全く無縁の店なのだ。
そして、理解したのは、商売相手が貴族などの店は、サービス業のなんたるかを知らないことなのだ。店に入った時から、店主は胡散臭い者を見るような目で見られた。子供と幼児が胡散臭かったら、世も末だ! と、店主の態度に仕舞いにはむかっ腹が立った。こともあろうに、会計の時に、アーベルに『金はあるのか?』とバカにしたように言ったのだ!
アーベルの方が大人でした。
店を出て文句を言ったら、アーベルは『まぁまぁ』となだめられてしまった。アーベル曰く、身分差があって権力もお金も差があって、自分の命も平等ではないけど、命の価値が低くても、お金も権力が無くっても、人を見る眼はある。みたいなことを言った。
まぁ、平民でもバカな貴族をバカにすることは出来るということかな。ディックさんが、ムカつく貴族に文句を言っていたアレだ。さらに言うと、人に好意を持ってもらえれば、仕事でもなんでも上手くいくのにって話しだ。
こんな店、二度と来るか! と思ったのだが、意外に早くこの店に来ることになった。注文した布が多種多様で、それぞれの家ごとに切り分けてもらわなければならなかったので、後で取りに行くことになってしまった。
まぁ、身分差があるってだけで、威張り散らす人間が増えるのは理解できる。私たちが出来ることは、貴族と関わらないと言うことだ。例え、その人が良い人でも、バカな貴族が漏れなく特典としてついてくるのは、世の理だ。
気分を切り替えて、雑貨屋へと向かった。
「オロフさんの所で見るようなものが売っているのかな」
「まぁ、オロフさんは雑貨屋なんて言うけど、アレはなんでも屋だよね」
「調味料も売っているし、生地も古着も売っているもんね」
顔を見合わせて笑った。
「ヨエルとレギンの誕生月までに、また町にこれるかな?」
「冬の支度で買い出しがあるから来ると思うよ」
「2人にする贈り物に、アーベルは考えている?」
「兄さんには、ヨエルと一緒に剣を入れる革製の鞘を買おうと思っているんだ」
「それはいいね」
「兄さんは本当なら今頃、王都の騎士見習いになっていたはずなんだ」
「王都の?」
「そう、領主様の騎士じゃなくって、王都の騎士様になるはずだったんだ。でも、父さんがあんなことになっただろう? だから、僕とヨエルのためにテグネールに残ったんだ」
「レギンが強いって聞いていたけど、本当に強いんだね」
「そうだよ、ここ数年は兄さんに叶うヤツなんていなかったからね。でも、父さんが死んで、兄さんは剣術大会に出なくなっちゃった」
「ああ……それは……」
そうか、レギンは騎士を目指していたんだ。でも、年長者としての責任から、その夢を諦めてしまっていたのだ。レギンらしいと言えば、レギンらしい。
「その話しはどうなっているの?」
「どうなっているって?」
「もし、今レギンが入りたいと望めば、入れるの?」
「う〜ん……多分、大丈夫だと思うんだ。でも、兄さんは絶対に俺達を置いて、村を離れないよ」
「うん、レギンならそうだろうと思う」
「そうなんだよなぁ〜」
溜め息をつくアーベル。
「あぁ、通り過ぎたよ〜!」
アーベルが踵を返した。深刻な話しをしていたために、雑貨屋の前を通り過ぎてしまった。
雑貨屋は大きな店構えだったので、げんなりした。またさっきの店の対応を思い出したからだ。大きな店構えと言うことは、儲かっていると言うことで、儲かっているのはお金持ちを相手にしているからだ。
「う〜ん……」
「どうしたのさ、何を唸っているの?」
「こんな大きな店だから、さっきの嫌な店を思い出したよ」
「あははは、ここは大丈夫だよ。マーユさんって言う優しい人がいるんだよ」
「そうなんだ!」
よかったよ、またあんな嫌な思いはしたくない。
店に入ると、オロフさんの所と違って、それほど棚は無かった。だからか、とても明るい感じがした。アーベルについて行くと、アーベルが使っているメモ帳を見つけた。その棚の前で立ち止まる。
「何か欲しいものがあるの?」
「アッフたちに石盤とチョークを買って行こうと思って」
「石盤?」
石盤はやはり石盤だった。なんとチョークもあるではないか!
「あいつらも、来年は10歳だろう? もう、本気で文字の読み書きを覚えてくれないと困るよ」
「あははは、じゃぁ、縄も買っていかないと」
「?」
「まずは、椅子に縛り付けないと」
「ぷっ……」
アーベルは笑いながら人数分の石盤とチョークを多めに持った。
「アーベルのメモ帳は、もう次のを買っておかないといけないんじゃないの?」
「ああ、それはこの前、オロフさんに取り寄せてもらったよ」
「そうなの?」
「ほら、エルナが最初にオロフさんに会った時だよ」
思い返すと、確かに『お金は後でいい』とか何とか……。
「紙を買っていく?」
「えっ?」
「ほら、紙を買ったほうがメモ帳を買うより安いって言ってたでしょ?」
「あはは、僕はもうメモ帳を買ったから、お金ないよ」
「なっ、何言ってるの? マットレスとパンを売って、お金はあるよ」
「ダメだよ、それはエルナのお金だよ」
「違うよ、みんなのお金だよ。だって……家族でしょ?」
アーベルは大きく目を見開き、私を見つめる。まぁ、そんな臭いセリフよりも、私の稼いだお金は、アーベルやレギン、ヨエルたちアッフのお陰でもある。こりゃぁ、正当に評価して、お金を分配する必要があると思った。お人好しばかりの村人では、そうしなければ、対価を受け取ろうとしないのではないか。
アーベルの働き分の対価を計算すると、銀貨50枚あげてもいいくらいだ。ギルドでの値段交渉は、それくらいの評価に値する。なぜなら、私なら材料費だけで終わっていた。
「アーベル……、アーベルは銀貨……って、どうしたの?」
奇麗なアメジストの瞳は涙でキラキラ輝いているではないか。私に見られたからなのか、今、初めて自分が泣いているのを知ったからなのか、アーベルは慌てて袖で涙を拭った。
「お、お腹でもイタイ? 気分でも悪くなった?」
「ううん……大丈夫」
『大丈夫』と言って、アーベルはニッコリわらった。
「……家族が増えるのって、嬉しいことなんだね」
そう言って、アーベルはしゃがむと、持っている石盤ごと私を抱きしめた。
6人いた家族が、1人減り、2人減っていくのは、なかなかに辛いことだ。誰しも、1人でも家族を欠くことには、簡単に乗り越えられない喪失感を味わう。しっかりしているけど、アーベルはまだ中学生だ。
「アーベル、石盤が痛いよ〜」
「うわぁ、ごめんごめん!」
「へへへ」
2人でテレ笑いをして、笑い合う。いやぁ〜、照れくさいですね。
「さぁ、早く買い物をしちゃおう!」
「うん!」
妙なテンションで買い物をしはじめようとしていた私は、急に黒い影が自分を覆っていることに気がついた。はっと振り返ると、そこにはディックさんが立っていたのだった。
「町長さん?」
「見つけた……」
不吉なセリフに、後ろに後ずさった。
「ど、どうしたんですか?」
私は、そう言うのが精一杯で、獲物を狙う猛禽類のような光っている眼に気がつくと、私はさらに数歩下がった。が、アーベルにぶつかってそれ以上後ろに退けない状態になった。
「いや、何……お嬢ちゃんが言ったんだろう? バルブロの作る料理を食べてみたいって」
「で、でも私……レギンお兄ちゃんを待たないと」
「ああ、あいつならならもう捕まえている」
「えっ?」
捕まえるって何? 私たち何も悪いことしてないのに?
<エルナ 心のメモ>
・やっぱり、客商売の何たるかを知らない店主が存在した。これから生地を買うのを考えなければならない
・レギンは、王都で騎士見習いになる予定だった
・剣術大会と言うものがあって、レギンは優勝し続けていたが、今は出ることも止めてしまった
・雑貨店にはユーマさんと言う優しい人がいるらしい
・パンやフェルトを作ってくれた人々に、吟味して、正当な対価を支払わないと、村人は受け取りそうにもない