古着屋
大きいダニエルの言葉に、私はどうしたかと言うと、……大泣きしました。いや、勿論レギンやアーベルたちと離れるのは論外だが、29歳の知識と経験を持つ私が、口で負けるとは思えなかった。だから、どう言って諦めさせるのか2、3案が浮かんでいたのだ。
でも気がつくと、ポロリと涙が出てきてわんわんと泣き出したのだ。この時は、羞恥心よりもこれを利用しようと思い、アーベルにしがみついて泣いた。
バルタサール様は、これにとても驚いて慌てた。マティアス様は、バルタサール様を嗜めた。ディックさんは慌てて私のもとに駆け寄ると、『大丈夫だ』と何の根拠も無い言葉で頭を撫でてくれた。ちょっとした、パニックになったのだった。
「悪かった悪かった、全く冗談だと言うのに」
嘘だ。だって、『いいこと思いついた』て時のダニエルの笑い方にそっくりだった。そんなに深く考えてないのは大前提だが、結構、いい案だと思っていたのは間違いない。
「全く、君って人は……まぁ、そう言うことにしときましょう」
「そう言うこととはなんだ!」
アーベルに涙をふいてもらいながら、私はみんなにチヤホヤされて、ハーブティやお高いお菓子を献上してもらった。泣いた子と地頭には勝てぬとは良く言ったものだ。
結局のところ、お貴族様たちは、数日後にテグネールにパンを習いに人を派遣するとのこと。私のご機嫌を取りつつ、そんな話しで纏まり、話題は当初の目的、マルムロース男爵の鼻っ柱を折る……ではなく、鼻を明かすという計画に進む。
ディックさんの最初の案では、バルブロさんが美味しい料理と軟らかいパンを提供するものだった。でも、それではバルタサール様の言葉によって、難易度が上がった。
「ぬるい!」
そう言った。
じゃぁ、どうするのさ、と言えば、バルタサール様にいい案などなくて、『とにかく、ぬるい!』とさらに言う。マティアス様は慣れているのだろ、ガン無視ではあるが、それが出来るのは、ここではマティアス様だけなのだ。
「ディックさん、そのご飯を私も食べていいですか?」
「?」
お腹が空いているのか? みたいな顔をされた。あ〜、疲れきった顔をしているディックさんに、少しでも掩護射撃をしたいのだが、こんな幼女が料理のことについて、ぺらぺら話せば怪しまれるだろう。ここはテグネール村ではないのだから。
「あの〜エルナにその料理を味見させてやってください。エルナはこれでも料理が得意で、凄く美味しいんです」
おお、アーベルが言ってくれたよ。私の中ではアーベルはもうエスパーだよ。
が、それでもアーベルだって子供だ。
「レグネット亭で、オニオンスープを注文してください。それは、エルナが作り方を女将さんに教えて作られたものです」
「エッラの宿か……」
私たちはそれを伝えて、やっとのことで商人ギルドの建物を出ることになった。勿論、商人ギルドに名を連ねることは許可された。
ディックさんが購入する予定になっているマットレスの代金半分と、持って来たパンを全て売ってしまった。ディックさんに、パンの値段をまだ決めていないことを言うと、1個銅貨5枚で計算をしてくれた。今までのパンより小さいので、そのパンと同じ金額だと高いのでは? の質問には、
「バカを言うな、これは新商品で、誰でも食べたいものだ。そんな商品に安値をつけるなんて、商売をバカにしているな」
「でも、私はお金をいっぱい稼ぐより、皆にこのおいしいパンを食べて、喜んでもらいたいの」
そんな私の言葉に、ディックさんは溜め息をついてがっくりと肩を落とした。別れ際に、どうしても納得できなかったのか、アーベルに『ちゃんと教えとけ』と念を押していた。
私とアーベルは、まずはパン屋を覗いてみることにした。ここでは、イェルドさんから『出産頑張ったね』宴で贈られる奥さんの好きなレーズン入りのパンを3つ購入した。
パン屋では、メニューも何もなくて、実物もあまり置いてなかった。商品が無いのかと思ったら、この世界では温かいパンを渡すために、釜の近くに置かれていて、それをお客に渡すのだそうだ。レギンの家で最初に見たあの固いパンも売っており、ここでもやはり銅貨5枚だそうだ。その他にはアーモンドやナッツ類が入ったパンや、ちょっと色の変わったものがあった。多分、ライ麦などで作られているのだろう。
しかし、パンの基本は形も固さも銅貨5枚のあのパンなのです。悲しい……。
次に向かったのは、食料品屋だった。この店は、オロフさんの雑貨の調味料、保存容器部門に特化したお店で、胡椒や砂糖、塩、お酢などの調味料を中心に置いてあり、苺のジャムや野菜の酢漬けのような保存食も売っていた。
「すみません、醤油とかミソを扱っていますか?」
「えっ?」
叔母さんの目には、何故こんな小さな子がそんなことを聞くの? と言っているようだった。
「ええっと……ショウユは1本あるけど、ミソはないよ」
「それ、おいくらですか?」
「……1本銀貨5枚だよ」
面白がって子供が聞いてるのかと考え直したのか、随分と投げやりな返答だった。そうだよな、子供が銀貨5枚もの大金を払って、醤油なんか使い方の解らない調味料を購入するなんて、考えつかないのも解るよ。でも、商売人として、その態度はどーよ。
「アーベル……」
「えっ? 本当に買うの?」
「何のために値段聞いたの?」
驚いたのはアーベルばかりではなく、お店の叔母さんも驚いた顔をした。
アーベルは、別の財布(?)から銀貨5枚を出して、醤油250mlくらいの陶器製の壷を購入してくれた。お陰で、大量に購入した村人の頼まれごとの商品を入れられる籠を無料でくれた。
アーベルと私で、調味料の入った籠を持って、一旦、宿屋へ帰ることになった。
やりましたみなさん! 醤油をGetです。もう、これがあれば怖いものなしです。豚の生姜焼きも作れるし、お魚も焼けます。あまりの嬉しさに無意識に鼻歌をうたってしまった。
「ご機嫌だね、エルナ」
「だって、お醤油が手に入ったんだよ?」
「う〜ん、僕はそのショウユってどんな味か知らないんだよね」
「高いよね〜」
「高いよ! それにこれっぽっちしか入ってないし」
「これは、そんなに多く使わないんだよ」
「そうなの?」
そんな他愛のないことを話しながら、私の頭ではどんな料理を作ろうかと、いろいろなメニューが次から次へと出てきていた。そんな様子を見て、アーベルは、
「また美味しいご飯の種類が増えるんなら、嬉しいよ!」
と言いました。食いしん坊さん!
「この町は、どれくらい大きな町なの?」
「町では小さいほうだよ。この領地で一番大きな町は、ここの何十倍もあるよ」
「そっか……迷子になっちゃうね」
「エルナは頭がいいから、迷子なんかにはならないよ。あっ、でも……珍しいものを見つけたりしたら、ふらふらしちゃいそうだよね」
「そんなことないもん!」
宿に戻ると、レギンとヨエルはまだ帰ってきていなかったので、厩にいたモスンに伝言を頼んで部屋に戻った。
「随分重かったね」
「ごめんよ、手伝わせちゃって」
「ううん、アーベルのお手伝いをするのは当たり前だよ」
「重かったかい?」
アーベルは、私の手をとると撫でてくれた。いやいや、そーゆーお嬢様扱いはやめて! こっちがこそばゆいよ。
「お昼には、まだ時間があるし、ここでレギンを待つの?」
「そうだなぁ〜、馬番のモスンだっけ? あの子にまた伝言を頼んで他を見てまわる?」
「うん!」
他にも村人に頼まれた買い物があったが、それはさすがに荷馬車がないと運べないのだ。宿を出て、アーベルが連れて行ってくれたのは古着屋だった。
当然、この世界には既製品なんか無いと言っていい。貴族はオートクチュールで、平民は自宅でお母さんが作るものだ。結婚しても、実家のお母さんやお婆さんが作ってくれることもあるそうだ。衣類はほとんどが自家製なのだ。そこから流れて来た古着を、扱っているのがこの世界の服屋である。私の世界で言うところの古着屋だ。違いがあるとすれば、それはサイズ直しも兼ねているということだ。
「エルナのセーターと羽織れるもの、靴下は、ブリッドとエメリが作ってくれるから、エルナは下のワンピースを買えばいいね」
「ええ〜、ブリッドにそんなことお願いしたの?」
「いやいや、パン作りを教えたり、フェルトの作り方を教えたり、エメリにマットレスを作ってあげるって約束しただろう?」
「でも、そんなことしたら、ブリッドは自分や家族の分を作る時間がなくなっちゃうよ」
「そんなことないよ、エルナはダニエルのセーターくらいなら、5日で作っちゃうんだよ」
「!」
それは凄いです。5連休なら作ることはできるが、ブリッドは具合の悪い母親やスサンのために家事もしているのだ。
「ブリッドは、編み物をやっている時は、何日でも座って編んでるんだって、叔父さんが言っていたよ」
「あの堅い椅子にずーっと?」
「そう、ずーっと」
ブリッドに、座布団を進呈しなければ。ブリッドのお尻が危ない!
「で、エルナのものだけど……」
アーベルはそう呟くと、どんどん中へ入って行く。私は追いかけていくが、店の中は乱雑で、コートハンガーがそびえてていたりと、視界がきかない。うっかりすると、アーベルを見失うのは間違いない。
「すみません、子供の服ってありますか?」
アーベルが誰かに声をかけているお陰で、私はやっと追いつくことができた。店の奥の方にお店の人がいるのが見えた。村ではちょっと見られない、目を引くワンピースを着ていた。ワンピースの裾に赤い文様のようなものが、細かく沢山入っているのだ。
私は遠慮なく、店員さんの服の裾を見に近づく。なんと、赤い糸で細かく刺繍がされていたのだ。どんだけ時間がかかるんだろう? 手芸屋さんに座布団を置かしてもらわねばならない。女性達のお尻を守らなければならない!
「この子のワンピースを探しているんだ。冬物を揃えようと思って」
「あら、お嬢ちゃん、いらっしゃいませ。好きな色とかある?」
わざわざ私の目線まで腰を折ってくれた。思ったよりずーっと幼かった。歳はアーベルより少し上みたいだけど。と言うとレギンと同じ歳位なのだろうが、レギンは誰かと年齢を比べられる対象じゃない。
赤い髪のそばかすがある愛嬌のある笑顔だった。あれ?
「ええーっと、お姉さんはレグネット亭の人?」
「えっ?」
「レグネット亭の女将さんと同じ笑い方をするよ」
「……」
お姉さんは、渋い顔をした。ああ、年頃の娘さんにお母さんに似てるなんて言ってはダメだった。ごめんなさい、私は子供なので、何もわかりません。
「ごめんなさい……」
「……いいのよ、みんなに『母さん似』って言われるのよ。本当はもっと美人だったら良かったにって思うけど、こればかりはね」
このセリフは、数多の乙女たちのどれほどが呟いたのだろう。各言う私は、父親似で、このセリフは後半のみ覚えがある。でも、この人は悪い顔ではなく、どちらかと言うと可愛い、愛嬌のあるお顔だ。
「でも、女将さんもモスンも素敵な笑顔だよ」
「ふふふ、ありがとうね。お嬢ちゃんは美人さんよ」
私はお世辞を言った覚えはないのだが、うまく話しを反らされたのか?
「で、お嬢ちゃんはどんな服がいいの?」
「何でも良い」
「ええっ? 女の子がダメよ、せっかく可愛いのに!」
「白がいい。他の服と合わせるの楽だし」
「まぁ、そうね。じゃぁ、上着は何色がいい?」
「黒とかの濃い色がいい」
「黒? 赤とかピンクとかの方が可愛いでしょ?」
「可愛いのは好きじゃない。それよりも、動きやすくて、ちょっと大きいのがいい」
「まぁまぁ、そんなことを言う女の子がいるなんて……お母さんは残念がっているんじゃなくて?」
まぁ、この世界ではない私の世界の母は嘆いていた。女の子なのに可愛い服を欲しがらず、ズボンばかりで、色は青とかばかり。リボンとかは邪魔の何者でもなく、遊びに出てリボンがあった試しは無い。その上、可愛いウサギのぬいぐるみとか、着せ替え人形は、母が喜々としてコレクションをしていた。私が欲しがったのは、顔と手足の先がゴムで出来た、リアルチンパンジーの人形なのだ。
まぁ、母は妹に標的を変更してくれたので、着飾るような苦行は無くなった。
「うち、母は居なくて、男兄弟ばっかりだから、あまり良くわからないんだ」
「まぁ、ごめんなさい。悪いことを言ってしまったわ」
「エルナには母の記憶は無いから、こんな感じでキョトンとしてるんだよ。でも、女の子が喜ぶものなんて、僕たちには解らないし……」
ああ、母親が居ないことを話して、お姉さんに丸投げするつもりだ。
「じゃあ、私に任せてくれる?」
「悪いけど、お願いします」
「予算はどれくらい?」
「特にないけど、冬を超せるくらいの支度をしたいんだ。ちょっと前のが小さくなって、セーター2枚と上掛けなんかは手にいれたんだけど、その他はまったく……」
「じゃぁ、ワンピースを3枚と、スカートはどうする?」
「いらない、ワンピースがいい」
「じゃぁ、ワンピース3枚と上着を2枚に……そうだ、私が編んで売っている子供用の靴下はどう?」
「あっ、それ下さい!」
お姉さんは、次々と衣類を持って来ては見せてくれた。私はただひたすら首を振ったり、頷いたりしているだけだった。アーベルなんか、店の中で買い忘れが無いか確認していた。
「そのスカートに刺繍したのは、お姉さんなの?」
「えっ、ああ、これは私が刺繍したの。凄く大変だったんだから!」
「凄く細かくて奇麗だね」
「仕事を終えて、寝るまでの時間しかなかったから、一ヶ月もかかちゃったの」
「一ヶ月? すごーい、お尻が痛くなりそう」
「最初はね、椅子に座って刺繍するんだけど、お尻が痛くなっちゃうから、ベッドに腰掛けたりしたのよ」
お姉さんは笑ってそう言った。ベッドと言っても、モルモットの巣だ。あんな所に腰をかけても軟らかくないし、ベッドの箱の部分の木が膝裏に当たって痛いだろうに。想像して身を震わせてしまった。
「お姉さんは、服が好き?」
「ええ、大好きよ!」
「このお店で働いているの?」
「ここは父さんのお店なの。でも、将来は私が継ぐ予定だから、そうしてら私は古着に、沢山の刺繍をして売るの」
おお、女将さんの旦那さんは古着屋さんで、娘さんはそれを継ぐのか! そう言えば、商人ギルドに息子さんがいるって言うし、宿屋はモスンが継ぐのかな?
しかし、今も昔も……もとい、ここの世界も私の世界もお嬢さんが夢中になることは、そんなに変わらないのだなぁ〜。私は本当に例外中の例外だ。
「でも、刺繍は時間がかかるから、大変だね」
「そうなのよ、だから何かいい方法はないかと思っていろいろと考えてみたんだけど……」
「スタンプで模様をプリントできればいいのにね」
「えっ、すたんぷ?」
「え〜っと、この模様がずーっと並んで刺繍してあるけど、この1つの模様の型を作って、色を塗って、ぽんぽんって押していけば、同じ模様になるよね」
「……色って…………」
「えーっと、白の布を染めるのに使うものがいいんだけど……」
「そんなんで、染まるの?」
「いろいろ工夫が必要かもしれないかど、出来たら楽だよね」
「そうね……」
考え込むお姉さんは、私の選んだ服をたたむのを途中で止めてしまった。もう、頭の中でどうやって部分的に染めるのか頭がいっぱいになっている。この世界は、麻や木綿の素材のままの色の服が多い。でも、晴れ着やお貴族様は赤や緑や青の布で作られている服を着ているのだ。と言うことは、染めるという技術は存在している。ブリットも毛糸を染めると言っていたし。
でもプリント柄なんてこの世界では見たことはない。このお姉さんにちょっとヒントを言っておけば、私の知らない所で奇麗な布が誕生するかもしれない。ちょっと楽しみだ。
「お姉さん、いくらですか?」
スカートの裾を引っぱり、注意を向ける。
「ああ、え〜っと、銀貨5枚と大銅貨9枚ね」
「アーベル〜!」
「えっ、決まったの?」
「そっ、アーベルがメモに夢中になっている間にね」
「だって、買い忘れがあったら大変だろ? で、どれくらい買ったの?」
「ワンピース5枚に上着を1枚。それと靴下を5足買った」
「うーん、セーターももう一枚買ったら?」
「セーターは好きじゃないから、もっと楽に動けるものを編むよ」
「エルナが?」
「ブリッドに教えてもらうの」
「じゃあ、できたら僕にも編んでよ」
「アーベルの?」
「だって、動きやすいんでしょ?」
「そうだけど……」
「わっ私にも教えて!」
私は、シーツで貫頭衣の説明をした。編み物をしている人は、それで解ってくれると思ったからだ。案の定、お姉さんは作れると嬉しそうに笑って、今度来るときまで、それを作ってみると言ってくれた。
「私はエルナ、お姉さんは?」
「私はヨンナよ、これからも何か面白いことを見つけたら教えてね」
「うん!」
<エルナ 心のメモ>
・この世界のパンは、どこでも堅い!
・調味料・保存食の専門店があった
・古着屋は、サイズ直しをしたり、刺繍をしたりして売っている
・古着屋のヨンナさんは、レグネット亭の女将さんの娘さんだけど、お父さんの古着屋を継ぐ予定
・ヨンナさんに、貫頭衣を教えて、部分染めのヒントを教えたので、次に来るときが楽しみです