騎士様は……
ディック町長、その家人で料理長のバルブロ、パン屋のヘヌリさんは、突然登場した後光で眩しくて、御尊顔を拝することができない人物の正体が解っているようだ。素早く姿勢を正すと、頭を下げる。レギンとアーベルもいつの間にか立っていて、やはり頭を下げていた。
あっ、アーベルと目があった。アーベルは椅子から立ち上がって、頭を下げろとジェスチャーをする。ちょっと理解するまで時間がかかったよ。慌てて、私はヨエルを伴い、他の大人たちの様に頭を下げた。
「構うな、それより面白い話をしていたではないか。あの爺の鼻を明かすとか……」
頭を下げる私たちに、顔を起こせと手をひらひらと振る。奇麗な銀色に光る甲冑は、肩のラインや手の関節などに金が使われている。貴族なのは疑うまでもないが、この甲冑を見ると、相当のお金持ちではないかと思われる。
それから、かなり若い。レギンのちょっと上くらいなんじゃないかな。金色の髪と青い瞳は、レギンと同じだ。
金髪碧眼の若い騎士様は、実に堂々と歩いている。これはもう、生まれながら人を使い、下肢ずかせて来た人間の姿だ。余りのも堂々としていて、王様だと言われても納得してしまう。だからか、その騎士様の後ろを歩く人物に気がつくのが遅れた。
瞳の色は良くわからないのだが、長い髪を後ろで束ねた整った顔だちの青年だった。その落ち着いた優雅な姿は、これぞお姫様……じゃなくって、王子様って感じだ。
何故間違ったかって? ものっ凄い美人さんなのだ。
「で、その面白い話を聞かせろ」
そう言うと、ディックさんが座っていた椅子に、当然のように座る。で、私たちは、このまま立ちん坊ですか? そりゃぁ、騎士様は整った顔をしているよ、後ろについて歩いているのは美人さんだよ、だけど貴族と関わるなんて面倒だから立ち去りたいのですが。
もう、パンを作る権利の話しは終わっているのだし、出て行っていいよね。でも、アーベルもレギンも、この状況に対応しきれていない。ヨエルなんて、キラキラ光る眼で騎士様を見つめている。
「では、私たちはこれで……御前を失礼いたします」
私はそう言うと、二歩ほど後ずさり、隣にいるヨエルとアーベルの服を掴んで引っ張った。
「失礼いたします」
アーベルが慌ててそう言い、4人でそそくさとドアから出た。戸を閉めた瞬間、4人で大きな溜め息をついた。
「これ以上、面倒なことになる前に、出てこれてよかった」
「本当だよ、パンの作り方は後で教えに来るって受付のお姉さんに言付けて行こう」
「ついでに泊まっている宿屋も教えておいたほうがいいぞ」
アーベルの提案に、レギンが付け足す。アーベルはカウンターに近づいて行く。
「すみません、ギルド長に伝言お願いいたします」
「はい」
「契約のお話しは済みましたら、後はこちらにもう一度戻って、詳しい作り方の説明をしに戻って来ますと伝えてください」
「はい、伝えておきますね。でも、君はとても丁寧な喋り方ができるのね」
「はい、父が覚えておけば、いらない苦労をしなくて済むって……」
「ふぅ〜ん、面白いお父様ね」
「そうですね」
アーベルは、お姉さんに負けぬ笑顔を返す。
そうか、アーベルが時々目上の人に、すらすらと丁寧な言葉を話すのは、前村長の教育の賜物らしい。アーベルのお父さんは、教育熱心だったのかもしれない。
「それじゃ、よろしくお願いいます」
アーベルが、そう言ったのを合図に、ギルドの建物か私たちは外に出た。ああ、よかった。余計なことに巻き込まれなくって!
さあ、気分を変えて市場調査だ。
「じゃぁ、宿に戻って、羊毛を卸しに行こう」
「ねぇ、レギン、羊毛の値段はあれで高いの? それとも安いの?」
「今回は、まぁ、良い値で売れたな」
「どれくらい差があるものなの?」
「銀貨5枚を切ることはないな」
「そうなんだ、じゃぁ……」
私が次に聞こうと思っていたのは、何故、この町で羊毛を売るのかだ。値段は何処でも変わらないのなら、近くで売る方が運搬費を安くできる。でも、需要の大きな場所で売ると値段が変わる。なんてことがあるのなら、何故そうしないのか、または、この相場の金額は王国中で統一されているとでも言うのか? 隣町へ行くのにも半日かかる交通網で?
と言う疑問を解決するために、私は口を開いた。が、それは叶わぬ夢と化した。
「ちょっと待て、幼女」
私を幼女あつかいする声は、振り向かなくてもわかる。さっきの金髪碧眼の騎士様だ。
「はぁ〜……」
私は振り向きもせず、大きな溜め息をついた。しまった、パンをあの机の上に置いて来てしまった。
「ちょっと来い」
騎士様はそう言うと、私を小脇に抱えて歩き出した。ちょっと、私は荷物じゃないのよ! もがいてみたが、ぴくりともせず、そのうえ動くと、鎧が当たって痛い。
これは逃れられないのを早々に理解し、諦めて体中の力を抜いた。出て来たのは、またしても溜め息だった。
今、私とアーベルは、先ほどの椅子に座っている。目の前にはディックさんではなく、あの金髪碧眼の騎士と、美人さん。
「幼女、このパンを作ったのはお前だと言うが本当か?」
「……はい……」
「どのようにして作る」
「酵母菌を使って作りました」
「コウボキン?」
「パンを甘く、軟らかくするものです」
「で、そのコウボキンはどうやって手に入れた?」
「作りました」
「作った? コウボキンもお前が作ったのか」
「はい」
しばし考え込む。何を企んでいるのかわからないが、パンの作り方を教えろとか、パンを売れとかなら、もう何でもいいんで、帰してください!
でも、そんなワガママが通用しないのが、身分制度なんだよなぁ。
「まぁ、待ちなよバルタサール。そんなに色々問いつめるから、おチビちゃんが怖がっちゃてるよ」
「なっ! 私は問いつめてはおらんぞ」
「はいはい、で、おチビちゃん、実のところこのパンを作ったのは、君で間違いないね」
「はい……」
「その作り方を、ここの町長に金貨1枚と大銀貨50枚で売ったのは間違いないね」
「はい……」
「では、私の料理人にも金貨1枚と大銀貨50枚で」
「まてまて、マティアス。そなた狡いぞ」
狡いって……。子供か!
「では、お前の料理人も加わればいいではないか」
「むむむ」
何唸っているの?
「ああ、そうであったな、そなたの料理人は、そなたより、アードルフ殿について行かれたのだったな」
「うっ」
なんだろう、この2人は。お貴族サマなのだろうが、漫才師? 美人さんはマティアスと呼ばれているが、ちょっと性格に難がありそうだ。
今、解っていることは、この2人にもパンの作り方を教えろということだろう。よかった、レギンとヨエルで羊毛を売りに行ってもらって。
「あの〜、バルタサール様とマティアス様にパンの作り方をお教えすればよろしのでしょうか?」
「そうだ」
ふんぞり返ったバルタサール様は、急に復活して偉そうになった。
「では、そのように致します」
「うむ、では早速……」
「ですが、柔らかいパンは、簡単には作れません。酵母菌を作るのに1日、パンを作るのに半日かかります」
「そんなにか」
「はい、ですからテグネール村にパン作りを覚えたい方に来ていただくことになります」
「う〜む……」
「私は構いませんよ」
「マティアス、お前は……」
「誰でもいいですよ、このパンは、パンを作ったことのある人ならそれほど難しくなく作れますよ」
「では、料理人見習いのような者でも良いのか?」
「はい」
「ディックさんはどうしますか?」
全く言葉を発していないディックさんは、机の隅に座っている。マットレスの存在を知って、ちょっと元気になったかと思ったのだが、またもや疲れた顔をしている。まぁ、面倒臭そうなお貴族様みたいだから、その気持ちは良くわかるよ。まるで子供みたいなことを言っているし……。
「料理人見習いと、パン屋見習いを嬢ちゃんたちが帰るのと一緒に連れて行ってくれ」
「わかりました。で、料理を覚える方は?」
バルタサール様は固まった。今、自分の料理人はアードルフ殿とか言う人と一緒だと指摘されたばかりではないか。
う〜ん、と腕を組んで唸るバルタサール様は、実に考えなしにものを言う人だと解った。後先考えないと言うか、思いつきだけで行動すると言うか……。あれ? 誰かに似ている。
でもどうしよう、酵母菌の作り方を教えるところから始めないといけないのではないか? そうなると二日がかりだ。村で採用している酵母菌を売るという手段はつかえない。でも、早く帰りたいな。と思っている自分にびっくりする。
この世界にやってきて、一週間になる。私にとって、レギンの家はことのほか楽しくて居やすい場所だったのだと実感した。自分でレギンの家を帰る場所だと思っているからだ。
そんなことを思っていると、バルタサール様が腕を組んだまま、立ち上がると、口の口角を上げると、ニっと笑った。
「そうだ、お前が私の料理人となれ!」
あっ、誰かわかった、大きいダニエルだ!
<エルナ 心のメモ>
・バルタサール様とマティアス様という貴族が登場!
・パンが思わぬほどに広まりそうだ。バルタサール様とマティアス様の料理人にパンを教えることになりそう
・バルタサール様は大きいダニエル