逃亡者 1
夜は深い闇に包まれる。
目の前のあるたき火の明かりだけが唯一の明かりだった。これが消えてしまったら、目を開けているのか、閉じているのか解らなくなるだろう。それほどの闇だった。
ヴァリ様の命に従い、現国王ヴァレニウスの姪を攫ってきた。事は驚くほど上手くいったのは、あの方の協力があったからだろう。追っ手がかかるのも遅くなるように細工をしていた。本来なら、国王が自分の姪の誘拐に気がつく頃には、俺たちは国境近くまで迫っていたはずだった。
しかし、追っ手を混乱させるためにとった道程は、思わぬ時間的ロスを引き起こしてしまった。あの、すーっと真っすぐで射抜くような瞳を持つ村人に会わなければ、このような面倒なことになっていなかった。そして、ギードを失うこともなかったのだ。
「ゲレオン様、そろそろお眠りになられた方が……今晩は、私が見張りに立ちますから」
部下にそう声をかけられても、自分に眠りが訪れないことは解っていた。が、そう声をかける部下は、心配そうで気を使いすぎている。
「アレはどうしている?」
「馬車で眠りについております。ご心配なく、彼の方の御前に赴くまでは、静かに眠っているでしょう」
「そうか……」
幌のある荷台は、静かに暗闇の中にあった。馬も外されて、古くさい木製の幌で覆われているが、中は御者台の方には部屋に区切られているし、木製の外装の内側には金属の板で覆われている。無意識で、首から下がる鍵を握る。
「火の番を任せる、今日は荷台で寝ることにする」
「はっ、お任せください」
ゆっくりと荷馬車に近づき、後ろの扉を開けて中に入る。その動作は音もさせずに、静かに動く。この体に身にしみた動作だ。
中にある扉に、鍵を差し込んで開けると、1人の少女が眠っていた。一見すると、安らかに眠っているように見える。が、それはこの少女が横たわっている寝具に魔術がかけられているからだ。この少女は、その魔術を解除をしなければ、瞼を開けることはない。が、目覚めなくとも良く解るのは、その顔に貴族の特徴が見られることだ。後10年もたてば、聡明で美しい女性になるのは想像に難くない。そう言えば、屋敷でちらりと見た母親であり、ヴァレニウス王の妹に良く似ている。まぁ、彼女の髪は金色であったが……。
ふと、胸の奥がざわついた。その理由は自分でも良く解ってるのだ。この少女を見るたびに思い出すのは、幼い少女が追われ、決して足を踏み入れてはいけない場所に駆け出していく後ろ姿を。彼女を護る者は、部下たちを一手に引き受けていた。残念だが、とても追えるものではなかった。その少女を思うと胸が痛み、その後に初めて対面したこの小さな姫君を目にした時、ふいに2人の姿が重なってしまったのだ。
それ以来、眠っている少女を見るたびに、胸がざわつくのだ。
「すまない……」
自分の口から言葉が漏れ、そのことに驚きつつも、この計画は、誰も傷つかないはずだったのにと、不運にも出くわしてしまったあの2人の姿を、今夜もきっと見ることになるのだろうと覚悟をする。
これは、犯した罪への罰なのだ。それは甘んじて受ける覚悟があった。朝になれば、嫌な汗をかいて起きる自分は、救われることがあるのだろうか? いや、それを求めるのは自分の弱さだと切り捨て、少女が寝ている部屋の扉を静かに閉めた。