MADE IN JAPAN?!
私はレギンに手を引かれて、ニルスの家に向かっていた。お約束のマットレスが乾いていたこと、そして、今日はとても良く働いてくれたし、大きなマットレスを作ることを提案してくれたことにも感謝している。
そのお礼を、ダニエルとブロルには内緒で作ったので、今頃になって届けることになった。夕食が終わると、私一人で持って行くつもりだったのだが、レギンは自分が着いて行くと言った。外は思ったより夜に近づいていて、遠慮なくニルスの家に連れて行ってもらうことにした。
文句が出たのはヨエルからだった。せっかく作ったプリンは、私とレギンが帰ってくるまでにお預けなのだから。
ニルスの家に着いた時、ニルスとエッバお婆さんは食事を終えた所だった。やはり、ハンバーグは大好評だったようで、エッバお婆さんは家に招き入れてくれた。
ニルスの家は、至る所に食器棚のようなものがあって、陶器製の中には小さな壷がたくさん置かれていた。ハーブなんかを調合していると聞いていたので、それらにハーブが入っているのだろう。
「エルナ、レギン! 今日は美味しい食事を2回もありがとうね」
「今度、作り方を教えるね」
「本当かい、とても柔らかくて美味しかったよ」
「歯が抜け変わる次期の子供とか、歯が弱くなった人にも教えてあげたいの」
「そうかい、そりゃぁみんな喜ぶね」
「遅くにすみません、エルナがニルスにお礼がしたいと言うので連れてきました」
「俺?」
ニルスは驚き、椅子から立ち上がる。そんなことより、ニルスの一人称が『俺』の方が、お姉さんには衝撃です。
「まずは、マットレスね」
「これ、今日作った……」
「そう、乾いたから持って来たの」
「マットレスってなんだい?」
エッバお婆さんが、ニルスの持っているマットレスを覗き込み、その質感を確かめるように指先で触れる。
「なんだい、これ。ヒツジの毛のようだけど……」
「これは、マットレスと言ってベッドの上に敷くものです」
「ベッドに?」
「これを敷くと、藁がチクチクしないし、暖かいです」
「……暖かいのは間違いないようだね」
「これを3枚重ねて、板の上に敷いて寝れば、腰とか背中とか痛くならないですよ」
ヒツジの毛で作られたフェルトを3枚も重ねれば、それはもう布団である。私の言うマットレスは、厚さ2センチくらいあるのだ、3枚重ねれば6センチ。立派な布団です。
「面白そうだね……。時々腰が痛くて起きちゃうこともあるから、今度は私の分も作ってもらおうかね」
本気なのか解らないが、エッバお婆さんは、孫を褒めるような顔で微笑んだ。
「お婆さん、これはお婆さんのものだよ」
ニルスが突然そう言うと、マットレスをお婆さんに突き出した。驚いた。勿論、お婆さんも驚いていた。
まさか、マットレスを欲しがったのはお婆さんのためだったとは、思いもしなかった。
「いいんだよ、ニルス。それはお前が作ったんだろ? だったら、お前がお使い」
「でもお婆さんのが欲しくて作ったんだ」
お婆さんは嬉しそうに、そして、少し困ったような表情だ。ニルスのなんて健気なことだろう。ちょっと涙腺が緩くなりそうだ。鼻をすすりながら、提案をしてみる。
「お婆さん、それを今晩は使ってください。明日、お婆さん用のマットレスを持って来ます」
「そんなことをしたら、足りなくなるんじゃないかぃ」
「今日は、ニルスたちがたっぷり作ってくれたから、お婆さんの分くらいは残っているよ」
「でも、悪いよ……」
「じゃぁ、お婆さん、私にハーブを教えてください」
「ハーブを教えるくらいはいいけどねぇ、そんなことでいいのかい?」
「はい!」
この場は丸く収まり、引き続き、ニルスにご褒美のプリンを手渡す。勿論、お婆さんの分もある。
「これは、今日のお礼。ブリッドにいろいろ言ってくれてありがとう!」
プリンの入ったカゴを手渡すと、ニルスはうつむいて嬉しそうに受け取ってくれた。声には出さなかったが、お婆さん思いのニルスにほろりとさせられたが、いや、この世界にいい子がいて良かったと思う。あぁ、もちろんレギンもアーベルも、全く知らない変なことばかりを言う幼女を親身に世話をしてくれている。そんな2人にも後でプリンを贈呈の予定だ。
エッバお婆さんは、私とレギンにハーブティーを出してくれたので、遠慮しつつも、レギンと私はテーブルにつく。無口なレギンとニルスと食卓については、手持ち無沙汰も甚だしいので、エッバお婆さんに話題をもちかける。
「エッバお婆さんは護符を使って病気や怪我を治すの?」
「興味あるのかい?」
「うん!」
エッバお婆さんは戸棚の引き出しから紙を一枚取り出した。そして、それを私に見せてくれた。
こんな見たことも無い世界に飛ばされ、ちっちゃいダチョウや、オレンジになるレモンや、魔獣に遭遇したりと驚きに溢れる経験をしていたが、この瞬間以上に驚いたことはなかった。頭の中で、この世界を自分のいた世界と比較し、17世紀後半から18世紀初頭のヨーロッパに似ていると思っていた。
でも、その想定が根底からひっくり返ったのは、お婆さんが持って来た護符を見たからだ。
「こ、これは……」
「これは、お産が難産になったり、なりそうな人のために使うものだよ」
「……」
「今朝産まれたコーレのお産も、母親が初めてのお産だったから使うかもしれないと思ってね、用意しておいたんだよ。でも、全然軽くて使うことも考えなかったのさ」
エッバお婆さんは、今朝のお産で使うかもしれないと言った護符をそう説明した。要は難産を安産にするのか、それとも難産にならないようにする護符なのだ。でも、私の耳にはちっとも届かずに、右から左へと流れでてしまうのを感じていた。
なんと言う違和感だろう。相撲の中継で、プロレスラーが1人混じっているとか、茶室にポットがあるとか、和食会席にコーヒーが出て来るとか……それ以上の衝撃だった。
私が手渡された護符には、『尸開喼急如律令』と書いてあった。
ああ、エジプトの遺跡の壁画に漢字が書かれているのを見たら、きっとこんな気持ちになるのだろう。
「大丈夫かい、エルナ」
「エルナ、疲れたのか?」
私の混乱ぶりは、エッバお婆さんとレギンを心配させるほどだ。ここは、初期の大航海時代のヨーロッパ。なんて勝手に理解していたのに、唐突に最も身近な漢字を見せられる。がーんと殴られたような衝撃だ。
この護符は、まさに陰陽師が使っていた護符だ。最初の文字の『尸』は、「かたしろ」と読み、この紙は人間の代わりになるということだ。悪いものをかたしろに移して川に流すと治るとか、そんな時の代用品だのだ。
「だっ、大丈夫」
「顔色が悪いじゃないか」
レギンが心配そうに、私の額に手をやって熱を測る。熱があるわけではない、衝撃が大きかっただけだ。あぁ、知恵熱が出るかもしれないけど……。
帰りを急がすレギンを無視して、もう一枚何か見せて欲しいとエッバお婆さんにねだった。こんな完璧な漢字なのに、何かの間違いだと思いたいようだ。
エッバお婆さんが、もう一枚見せてくれたのは、さらに私を混乱させた。それは、腹痛のときに水に浸してその水を飲ませるのだと言う。その護符には、梵字が1つ、グルグルと丸を書き、真ん中に鬼の字の最初の点がない字、そして『喼々』の字だ。今度は、密教の護符だ。不動明王の梵字、鬼の点のない字は、仏教に帰依した良い鬼の意味だ。
この混乱をどうしてくれよう。
どうして? なんで護符だけMADE IN JAPANなの〜?
<エルナ 心のメモ>
・ここは、初期の大航海時代のヨーロッパではなく、やっぱり異世界だった。それも、日本に関わるものが存在する世界。