レギンという人
お昼は、パン作り教室の片隅で焼いた食パンを、スライスしてサンドウィッチを作った。茹でた卵のマヨネーズを和え、サラダ菜なんだけど、レタスとよばれている葉とハム、茹でたポテトと塩で水分を抜いたカハ(キュウリね)とウォルテゥル(ニンジンね)をマヨネーズで和えたものをパンに挟んだ。
フェルト作りが一段落したブリッドも、物珍しそうに手伝ってくれた。
「そう言えば、どこかで赤ちゃんが生まれるようなことをエッバお婆さんが言っていたけど……」
「ああ、イェルドさんの所、アイノさんが今朝、男の子を生んだの」
「2人とも元気?」
「ええ。とっても元気な男の子って言ってたわ」
「そう言えば、赤ちゃんが生まれてお祝いをしないの?」
「お祝いは、子供が1歳になってからよ」
「そうなの?」
「でも、新しいお母さんに『ご苦労様』のお祝いをするの」
エッバお婆さんは、今ごろぐったりとしているだろ。パンを大量に作ったので、ニルスにお婆さんの所に持って行ってもらおうと思いついた。ついでに、アッフたちが心配なので偵察に向かうことにした。
「ブリッド、ちょっとニルスの所に行って来るけど」
「今行くと、一緒に考えてくれ〜って、泣きつかれるかもよ」
「そんなに良い案が出ないなら、今頃ダニエルがつまみ食いに顔を出していると思うけど……」
「ふふふ、そうかもしれない」
「ニルスにエッバお婆さんに差し入れを持って行ってもらおうとかなって。今頃、ぐったりしていてご飯の支度どころじゃないんじゃないかな」
「ああ、それは良いわね」
ブリッドにサンドウィッチ作りをしてもらい、私は外に出てみる。そう言えば、会議場はどこなんだろうかと思う。まさか、ヒツジの厩舎で? それとも外でやっているの?
キョロキョロしながら、敷地を歩いてみる。見えるのは、ヒツジとヒツジとヒツジと……そして、牧羊犬のボー。人間の姿はいくら探しても見つからなかった。
それにしても、幼女の私からすると、とてつもなく大きなヒツジに見える。怖すぎて、近くに寄れない。なので、ここで『お〜い!』と叫ぶこともできない。声に驚いて一声に走ってこられたら、間違いなく死ぬ。
高い場所から見たら、見渡せるのかもしれないと、敷地の東側に足をすすめる。レギンの家の敷地は、ほどよく高低があるように作られている。平な土地より東側に高く傾斜する土地は、牧草地にまんべんなく陽が当たる。なにせ、この土地は、冬の様子を聞くとかなり太陽の角度が低い土地だと思う。冬には、白夜までとは言わないが、夜が長くなるのではないかと推測している。
「エルナ、そっちは危ないから行くな」
遠くから聞こえた声は、間違いなくレギンだった。立ち止まって辺りを見回すと、遥か下の方からレギンが走り寄ってくる所だった。私も走り寄る。
「危ないの?」
「森が近いから、魔獣が出ないともかぎらない」
「そっか、ごめんなさい」
「いや、ちゃんと言っておけばよかった。それよりどうしたんだ、1人で」
「ニルスに、エッバお婆さんの所にお昼のご飯を持って行ってもらおうと思って。昨日の夜は大変だったから、ご飯を作るのも面倒なんじゃないかな?」
「そうか」
レギンは、微笑んで頭をわしわしとかき回す。撫でているつもりなのは解るが、レギンといい、イーダさんといい、ブレンダといい、ここの人は結構めちゃくちゃやってくれる。終わった後には髪の毛をもとに戻すのに手間がかかるのだ。
「あいつらは、あそこだ」
レギンが指差したのは、最も南側に近いところにある建物だった。厩舎や鶏舎とは、明らかに作りが違うし、作業小屋や納屋なんかとも違う。どう見てもただの家だった。
「あれは……普通のお家?」
「この村に初めて来た時に住んでいた家らしい」
「残してあるの?」
「村のみんなで集まったり、今では冬の間にアッフたちが泊まり込んでいるからな」
「ええ〜! ダニエルたちは冬の間、ここに籠るの?」
「ああ、冬の閉ざされた間に、家に閉じ込められたら、何をするかわからないからな」
「う〜ん……それは、目に浮かぶけど、その面倒がこっちに来るんだよ?」
「読み書きを教えるのに打って付けだろ?」
「ぷっ」
レギンのちょっと眉を上げた勝ち誇ったような顔に吹き出す。あまりにも今までの印象と正反対の表情だったから。
レギンとこんなに長く話したのは初めてだ。このでっかい男前は、寡黙で感情が表に出にくいご面相だが格好いい。今の所、奇麗だと思える人がこの村にはいるが、格好いいと言えるのはレギンだけだ。
「行くか?」
「うん! あっ、でもレギンは仕事してたんでしょ?」
「もう昼だからな」
「そっか」
もう昼だから、お腹がすいたので仕事を切り上げたのか、お昼に終わる仕事をしていたのか、レギンの言葉を考えると色々な言葉が続くように思えるが、それをレギンは言わないことが多い。口数の少ない人に、こう言う話し方する人は、私の世界でも多いしね。一番厄介なのは、話すことを面倒臭がる人。でも、レギンは聞けば丁寧に教えてくれるから、レギンのような寡黙な人は嫌いではない。どちらかと言うと、好もしく思う。
レギンに手を引かれながら、私たちはアッフたちのもとに向かった。
「あっちには、魔獣が出るの?」
「ああ、たまに出るからな」
「そっか……でも、ヒツジは大丈夫なの?」
「ヒツジを襲うような魔獣が入って来れないように堀がある」
「あっ、前にそう言ってたね」
「アッフはヒツジは襲わないが、人を襲うから気をつけろ」
またも出ましたアッフ。ヨエルたちの渾名になっているのに、その正体はまだどんなものかも解らない。堀に関係なくやってくると言うから、移動手段が陸ではないと言うことだ。そうなると鳥しか思い浮かばないが、鳥なんかが襲って来るなら堀とか壁とか意味ないだろうし……。多分、それはこの世界特有の生き物なのかもしれない。『テグネールのアッフ』は、実際にアッフをこの目に見る時以外は、解決しそうになかった。
家の戸を開けて中に入ると、カーペットに思い思いに座り込んでいた。アーベルは疲れた顔をしていたが、すぐに飽きると思っていたダニエルは何やらいい顔していた。うんざりしているのはヨエルで、ブロルとニルスとオーザは全く変わらない表情。いや、オーサは少し情けない表情をしている。
「ニルス、お婆さんの所にお昼のご飯を持って行ってくれる?」
「うん」
立ち上がるニルスは、ヨエルの肩に手を置く。どうやら、一緒に行こうと誘っているようだ。ヨエルの表情を見ると、ここら辺で息抜きした方がいいのは私でも解る。
「じゃあ、ヨエルも一緒に行ってもらおうかな」
「僕も?」
「今日はみんなでパンを作ったでしょ、だからパンが多くて大変だから、ヨエルはスープを持って行ってね」
「う〜ん、解った」
のろのろと立ち上がる。
「エルナ、俺、腹へった」
「ヨエルとニルスがお使いから帰ったらお昼のご飯にするね」
「ええ〜」
ダニエルは、ゴロゴロとカーペットの上を転がり、足をバタバタさせる。本当にこいつは、欲望に忠誠を誓っているのではないかと思う。でもまぁ、まだ小学校の3年生だしね。
私はダニエルにいらぬ突っ込みをすることなく、ニルスとヨエルとともに家を出た。何故かブロルが着いてくるのか解らないけど……。
ここで本当は、話し合いがどうなっているのか聞く所だけど、何だか大変なことに巻き込まれそうな予感がして、その話しには触れないことにした。ヨエルのこの疲れた表情はただごとではない。
「今日は、パンを沢山作ったから、パンも沢山持って行ってね」
「ありがとう」
そんなことをニルスと話していると、ヨエルは大きな溜め息をついている。うう〜、気になるけど、ここはぐっと我慢する。私はこの後、フェルトを大量に作るつもりなのだ。その上、夕飯の支度もある。
「エッバお婆さんは、パンを焼いたりするの?」
「あんまりしない」
「忙しいの?」
「パンを作っている途中に、病気の人が急に来るかもしれないから」
「ああ、そうだね。パン作りは途中でやめられないもんね」
なるほど、エッバお婆さんの家では、急に病気になったりする人が来るんだなぁ。それじゃあ、ますます私の作り方だと難しいだろう。私の世界にあったオーブンだと、火加減や時間などを設定できるが、ここでは、目と鼻が頼りなのだ。
「ねぇ、母さんとブレンダはパンの作り方を覚えた?」
「えっ?」
後ろからブロルが声をかけてきた。
「コウボキンが手に入っても、作れないなら意味がないからね」
「ああ、それなら大丈夫! 2人ともちゃんと出来たし、今日焼いたパンも持って帰ったよ」
「ブレンダは……姉さんは大丈夫だった?」
「ブレンダ……え〜っと、焼いたらパンがでこぼこしたけど、食べるには何の問題もないと思う」
「まぁ、それくらいは想定内だな」
「明日から、宿にもコウボキンを届けることになったの」
「朝に?」
「つぎの日に使うものを前の日の6つの鐘の頃かな」
「そっか、よろしく」
しかし、何故ブロルは着いて来る?
そんなことに疑問をもちながら、家に着いた。そこには、ブリッドによってニルスが持って行きやすいようサンドウィッチとスープが用意されていた。
「あぁ、ブリッドありがとう!」
「スープは勝手に小鍋に入れちゃったけど、大丈夫?」
「ううん、そうしようと思っていたから」
私は、鍋をヨエルに渡し、サンドウィッチが入ったカゴをニルスに渡した。上にはちゃんと布が掛けられている。
「これは、早く食べてってお婆さんに言ってね。このパンは、すぐに乾燥しちゃうから」
「これは……」
「サンドウィッチって言って、パンにいろいろなモノを挟んで食べるの。これも片手で気軽に食べれるから」
「へぇ〜、どれどれ」
ブロルも覗き込む。またぞろ商売……いや、お金儲けを考えている顔だ。
「じゃあ、お婆さんによろしくね!」
さらに、今日作ったパンも渡してそう言うと、ニルスもヨエルもコクリと頷いて、何だか早足で出て行った。そんなに慌ててると、転ぶぞ! と思ったが、開け放たれている入り口の戸の前にある、段差の近くで速度が落ちたので、転ばないよう注意をしているのが解った。だから、後ろから声を掛けるのをやめた。ふいに声を掛けると反対に危ないかもしれないからね。
「さて、ブレンダもご飯を食べて行くでしょ?」
「えぇ、いいの?」
「イーダさんたちの分も考えていたから、量はたっぷりあるの」
「うれしい!」
そして、話題をフェルトに持って行こうとした瞬間に、後ろから頭をガシっと掴まれた。
「無視するな」
「いっ、イタイイタイ!」
「僕が何の用もなく、ここに居ると思うの?」
「おっ、思いません!」
「じゃあ、何で無視をするんだ」
「えっ〜っと……」
私が言いよどむと、ブロルの手に力が籠る。
「イタイイタイ! どうせ面倒なこと聞かれると思って、無視しました!」
「なんだ、解ってるじゃないか」
解放された頭を、自分でワシワシとさする。ブレンダは、私とブロルを見て微笑んでいるだけだ。ちょっと、助けてよ!
「で、出し物は何が良いと思う?」
勝ち誇った顔で、腕を組んで偉そうに言うブロルは、実は迫り来る危機を全く予想をしていない。ブロルの後ろから、大きな影が近づいているのを。
こちらにいる私とブリッドだけが、その運命を知っていた。
「イダダダダ!」
「ブロル、エルナに乱暴するな」
ブロルの比ではない大きな手が、ブロルの頭を鷲掴みにしている。
ああ、ブロルはしょっちゅうこうやって頭を鷲掴みにされているから、私にもやったんだな。子供は大人のまねをするって言うし。
「イタイイタイ、レギンやめて!」
「ふふふ、エルナにそんなことして、無事だと思っているなんて、ブロルはわかってないわね」
ええ〜っと、何ですそのコメントは、ブリッド先輩!
<エルナ 心のメモ>
・赤ちゃんは、生まれて一年たつとお祝いをするらしい。ということは、赤ん坊の死亡率は高いのだと思う
・出産した母親は、ご苦労様と言うお祝いがあるらしい
・敷地の高い場所、東側は《禁忌の森》があって危険なので近寄らない
・やっぱりアッフという魔獣は不明のままだ
・南側の入り口近くにある建物は、初代の人々が住んでいた家
・南の家には、冬の間、ダニエルたちが住む(?)らしい
・エッバお婆さんは、急に患者が来たりして、パンを作ってはいないらしい