追跡者 1
ヴァレニウス王国には、 東のルンデル王国との国境にオーズレリル川、西のパルム王国との国境を流れるケルラウグ川、中央を流れるスヴィーウル川の3つの大河を有する。北から南へと流れる3つの川は、交通手段として活用されていた。中央を流れるスヴィーウル川には、ヴァレニウス王国唯一のヒミン湖がある。
ヴァレニウス王国では、領主の名前=領地名=領地で最も大きな街の名になっている。この湖とその周辺の山々を領地とするフレドホルム侯爵は、フレドホルム領地内で最も大きな街フレドホルムの中心部に屋敷を構えている。実にややこしい命名方法である。
フレドホルム領地は、国内でもちょっと特殊な地域とされている。領内の山々のほとんどが、なんらかの鉱石や石炭を生み出す宝の山々である。国の金属製品は、この領地で産出される鉱石で補われている。
フレドホルム侯爵の屋敷のある街は大きく、王都で良く見られる贅沢品、高級品を扱う店が並び、街は活気が満ちあふれている。が、少し奥へ入ると、それとは全く違う顔を見ることができる。鉱山での仕事は、流れ者や貧しいものたちが多くその職に就いている。それ故に、鉱山の近くの町や村には、多くの宿屋が林立している。その宿屋も他の領地などにある宿屋とは趣が異なり、長期滞在者が多くいるために、サービス業と言うよりは、賃貸物件のアパートのような扱いである。
流れ者などは、所詮、よそ者であるので、町や村の治安は決して良くはない。その地に定住しているモノ達は、自ずと自警団を作り治安の維持に勤めるが、その自警団の存在が定住者と流れ者の違いを如実に語るため、相容れることはない。故に、どんなに自警しても、治安はそうそう良くはならないのだ。
よそ者が多く住む場所は、よそ者には厳しい目が向くし、その動向にも注意が及ぶ。が、よそ者を見慣れているこの領地の人々は、よそ者であると認識するだけで、案外、放置されている。領地の民としても、よそ者によって領地が豊かになっているのは理解しているのだ。
他所の領地に居たならば、かなり注目されるであろう男が1人、酒場のカウンターに近づいた。酒場の主人は、よそ者だと認識して、少し煙たげにしただけで、それ以上でもそれ以下でもない態度である。その男は、薄汚れた短いマント、長年愛用しているのだろう、良く手入れをされた皮の鎧を着けている。酒場の主人には、行商や運搬業者の護衛とも思えたが、男の双眸はそんな生易しいモノではないと長年の勘でそう感じた。柄の悪いろくでもないヤツや、身持ちの悪いヤツなど多く見てきたが、そのどれにも似つかわしくない。そして、人を傷つけたり殺したりするような人間にも見えなかった。
男の目的は、行商人の一団の情報であった。この国では、町や村の数が多く、それらを間を行き来する行商人や、王都や大きな町へ鉄鉱石を運搬しながら、行商を行う者たちもいる。が、その男の探している行商人は、黒のウマが引く荷馬車で、幌がついていて、生活用品の鍋や包丁の金属製品を扱っているという。そして、その行商のリーダーらしい男は、この国にはめずらしい黒い髪で、目元に7センチくらいの傷があるという。
酒場の主人は、きっぱりと「見たことは無い」と言った。それを聞いた男は、そのまま店を出て行った。
その後ろ姿を見て、酒場の主人はホッと胸を撫で下ろした。男の容貌や雰囲気からただならぬモノであったのが主な理由であった。が、それよりも、男が尋ねている行商人の一団についての質問の仕方に嫌なものを感じたのだ。「○○○の引きいる行商を見たか?」と聞くのが普通なのだが、男は、まるで犯罪者を探すように、馬車や行商人の特徴を尋ねたのだ。男と行商人は、お互いを知っているとは思えないのだ。そのように推測すると、ますます落ち着かなくなる。かかわり合いになるのは勘弁してほしかった。
北に行くと銅を産出する銅山があり、東に行くとクロンヘイム領地へと向かう分岐点に男は立っていた。腰に下げている剣の柄を見つめると、迷わずにクロンヘイム領地へと向かう道を選んだ。この先は、森がスヴィーウル川まで続いている。
早く追いつかなければという焦る気持ちと、見失う訳にはいかないという自分を戒める気持ちが常に鬩ぎあっていた。手がかりは、自分の剣の柄にある魔石の点滅だけである。あの行商人達は、どこに向かうのかも知らないし、それを推測できるような行程ではなかった。ヤツらは、行商人を装っているが、明らかに行商人ではなかった。
剣を交えた瞬間に、かなりの手だれであることはすぐに解ったし、身のこなしは最初から武人のようだと思っていた。だが、それ以上には彼らが何者で、何を目的に、どこへ行こうとしているのか情報はない。一瞬でも躊躇すると、見失うようなことになりそうで、男はウマに乗ると、腹を蹴った。
これ以上離されたら、自分がこの世で最も大切な1つが、また手の平からこぼれてしまうのだ。そう思うと、自制や忍耐をかき集める精神力が、焼き切れてしまうのではないかと感じるのだ。それでも、細心の注意を払い、最速で後を追わなければならないのだ。